※現パロのような、そうじゃないような。とりあえず、日本じゃないです。


三郎が何を言いたいのかさっぱり分からず、僕は思考の中で彼の言葉を噛みしめた。走り続ける車輪が枕木を鳴らす音だけが均衡を崩すことなく同じリズムを刻んでいた。どう応じればいいのか分からず口を噤んでいた僕に、三郎は楽しそうに口の端を上げた。それから、指を僕の方に伸ばす。

「眉間に皺」

額に熱が生まれる。彼は僕の眉間を縫った皺を解くように、押さえた指を動かした。振動だけが響く車内で、急に騒ぎ出す心臓が煩い。三郎に伝わってしまうんじゃないか、って不安が鼓動にますます拍車をかける。体温が急激に上昇していくのが自分でも分かった。顔は見れないけれど、きっと、真っ赤になってるんだろうと思う。彼から視線を逃した先にあった袖口から覗く自分の手が紅潮していたから。

「雷蔵は真面目なんだな」
「な、にが?」
「私のくだらない話もちゃんと聞こうとしてくれる」

くっついたままの三郎の温もりに暴れまわる心臓を宥める術はなくて、恥ずかしさに、思わず目を瞑ってしまいそうになった瞬間、ぱっ、と彼の指が離れた。

「昔、私は牛乳売りをしていたんだ。次の駅で」

突然零れ落ちてきた昔話に、僕は頷くこともできず、ただただ額に残る熱に手の甲を押し当てることしかできなかった。彼の重みが外れた額を、覆った部分の隙間から入り込んだ冷たさが、す、っと撫でる。どれだけ自分の手でカバーしても熱の残滓はそのまま溶けていって、淋しさだけが息づく。何も言わない僕にちらりと視線を投げると、彼は続けた。

「牛乳売りって雷蔵はしたことがあるかい?」
「……ううん。ない」
「だろうな。私の家はとても貧しかったんだ。生きていくために色々働いたよ。駅での売り子もその一つさ。大量の牛乳瓶とか弁当とか色々首から下げた籠で持ち歩くのも大変だったけど、まぁ、それは他の肉体労働と比べればマシかな。大変なのは、そこじゃない」
「そこじゃないって?」
「こういう列車はともかくさ、普通のやつの停車時間は短いだろ。その中で売りさばかなきゃいけないから、口がうまくないと駄目なんだ。相手にぐだぐだ悩まれたら、その分、他の客の所に行けない。さっと口車に乗せて売りつけるのがコツなんだ。まぁ、この仕事をしたから詐欺師の下地ができたのかもしれないけど……。と、そんなことは置いておいて、味は保障するよ。美味い」

彼が語り終わっても反応することができなかった僕に対して彼は「まぁ、そんな話を聞いた後じゃ、『美味い』なんて私の言葉なんて信じれないかもしれないけれど」と続けた。彼は笑っていたけれど、目に浮かぶ色は哀しみに滲んでいるような気がして。そんなことない、とすぐさま否定する。

「僕は三郎を信じているよ」

今度は三郎が口を噤む番だった。もう一度、繰り返す。「三郎を、信じてる」と。瞳に彷徨っていた翳を、ぎゅ、っと萎ませて彼は唇を優しく引き上げた。それから、ゆっくりと「ありがとう」と呟いた。心臓が静かに音を立てた。とてもとても小さな音。けれども、なかったことにできない音。

(知りたい)

三郎のことをもっともっと。今の事も、過去の事も。別に詐欺師であろうと構わない。普段なら囚われる倫理も道徳も、彼のことを知りたいという欲求の前では何の縛りにもならなかった。そもそも、彼が垣間見せてくれた『昔』というそのものよりも、彼が何を想い生きてきたのか、旅路の中で感じた事を知りたいと切に思った。けど、聞いたところで彼がはぐらかさずに答えてくれるかは分からなかった。きちんと僕の意図が伝わるかも不明瞭だった。下手をすれば、避けられるかもしれない。それでも、知りたい、という気持ちの方が勝って。あのさ、と話しかけようとした僕の口は、けれども、そのまま唇を合わせるだけに終わった。

「さて、次の駅に着くまで、本の続きでも読むとするか」

早く返さないとな、と言葉を結ぼうとした三郎に、僕は慌てて「明日のお昼までだったら、いつだっていいんだよ」と止めにかかった。本に没頭している人に話しかけるのはマナー違反な気がして、できない。少しでも長く三郎と喋りたくて、「そんなに焦って読まなくても、長い話じゃないんだし」と言い募った。けれど、彼はゆっくりと眉を下げ、困ったように微笑んだ。

「そっか、言ってなかったな。私は君より先に降りるんだ」

三郎の柔らかな声を、僕は遠いところで聞いているようだった。何かに覆われたように、ぼやけて、あやふやで。けれど、言葉ははっきりと僕の中に届いた。認めたくない、という思いとは裏腹に「え? どこの駅で?」と口走っていた。ぎゅ、っと拳を握り、爪を掌丘に突き立てる。強く、強く。これが夢であるなら、今すぐ醒めるように、と願いながら。

「明日の朝、というか夜明けぐらいに停車するの駅で」

そこでさよならだ、と息を零すような密やかな声音で告げる三郎に僕はどんな顔を向けていたのだろう。

「ごめん、ちょっと、トイレ」

叩きつけるようにして、僕は部屋を飛び出した。自分でもあからさまな態度だと思ったけれど、この場に、居たくなかった。三郎に、見られたくなかった。------きっと、泣きそうな顔をしていた。乱暴に閉めた扉の残響を耳の端に捉えながら、僕は、ずるずるとその場に座り込んだ。壁に背中を預ける。カタン、カタン。列車が枕木を渡っていく振動が、崩れることのないリズムが、部屋に居る時よりも大きくて僕の頭を掻き乱す。

「そっか」

さっきの熱の理由も胸に根を下ろした淋しさのわけも、分かってしまった。

(僕、三郎のことが好きなんだ)

出会ってまだ日も浅いというのに、彼のことをほとんど何も知らないというのに、偶々道が重なったというだけなのに。----------そして、もうすぐ、別れなければならないというのに。僕の心に棲みついていた。三郎が。三郎が好きなのだ、という感情が。

(好きだと気付いた途端、さよならだなんて)

車体に預けた体に合わせて、叶うことのない三郎への想いがゆらゆらと揺れていた。



***

いつの間にこんなに曇っていたのか、今にも降り出しそうな重たい灰色の雲の下、どこまでも延々と続く赤茶色に錆びたレールを眺めていると、旅が終わることなど嘘のようで。ぎりぎりまで迫って左右に分かれ飛び去って消えていく景色の中で、ただただ、変わることのない線路だけを見据えていた。ずっと、このままいられたらいいのに、と。誰もいないひっそりとした展望車の窓ガラスの先に連なっている軌条は、一枚の絵のようだった。

「やっぱり、ここにいた」

柔らかな声が背後から覆い包むようにして届いて、僕はゆっくりと振り返った。

「……三郎」
「中々、戻ってこないから、心配した」

ごめん、と唇の形だけで伝えると「昼飯、まだだろ。もう昼飯って時間じゃないかもしれないが」と彼は窓の向こうにある雲よりもずっと明るい白色の瓶を掲げた。反対の小脇には、薄茶色の紙袋が挟まれている。そういえば彼が勧めていた牛乳とサンドウィッチを売ってくれる駅をとっくの前に出立していた気付いた。思い出した途端、お腹が一つ鳴いた。締まらないなぁ、と気恥ずかしさがこみ上げたけれど、相好を崩した三郎に、ほ、っと胸を撫で下ろす。

(よかった。さっきまでと変わらずに話すことができて)

急に飛び出したから変に思われているかもしれない、と不安だったけれど、口を大きく開けて笑っている三郎に安堵し、今度は声に出す。

「ごめん。ありがとう」
「いや、それより早く食べよう」

まるでピクニックだ、と広がる展望を見回しながら三郎は僕の近くにあったベンチに座ると、がさがさと紙袋の中に手を突っ込んだ。よく見れば牛乳瓶はびっしりと水滴が付いていて、彼が触れた所から雫が流れ出して幾筋もの流れを紡いでいて、ずっと彼が僕を待っていたことを示していた。

「待っててくれたんだ」

嬉しさよりも申し訳なさを押しだせば、三郎は「二人の方が楽しいんだろ? 旅は道連れって。最初に君が言ったんじゃないか」と表情を懐柔させた。その笑顔があまりに優しくて。三郎が愛しくて、愛しくて、ずっと一緒に痛くて。つい、「このまま、旅が終わらなければいいのに」と、そんな言葉が零れ落ちていた。三郎は、は、っと息を呑み、僕を見ていた。今さら引っ込むこともできず、かといって、もう一度告白する勇気もなく、ただただ、三郎を見つめていた。やがて、彼は哀しそうな翳を覆わせて、小さく微笑んだ。

「このまま、世界の果てまで行ってしまおうか」

それから、僕の方にゆっくりと伸ばしてきた三郎の指先に、淡い期待が込み上げる。けれど、

「冗談だよ。私と雷蔵じゃ住む世界が違いすぎる」

彼は僕の額を人差し指で弾いて、消えない熱だけを植え付けた。ぱたり、と雨粒が窓ガラスを叩いた。



嘘つきな聖人と正直者のペテン師


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