焦りに満ちた表情の雷蔵と深刻な顔をして黙り込んだ兵助。この二人を見ているだけで、ヤバイ、という感情が伝播してくる。少しでも場を明るくしようと「とにかく、見張りの場所まで行ってみようぜ」と声を張り上げたが、蔓延する嫌な予感というものを拭いきることはできなかった。

***

三郎は、見張り場所にもいなかった。墨染の空は撒かれた星が所せましと輝いていて、月影はない。そういえば今日は大潮だったか、と、やたら迫ってくるように感じさせる波音に思い出す。一応、手分けをして辺りを探索してみたものの、三郎のさの字も見当たらなかった。足を滑らして海に落ちた、なんてヘマを三郎がするとは思えず、「小便でも行ってるんじゃねぇの」なんて冗談を言おうかとも思ったが、さすがに、ぎゅ、っと拳を握りしめ唇を噛みしめている雷蔵を前に、俺は口を噤んだ。けど、いまいち、二人が何をそんなにも危惧しているのか分からなかった。置いてきぼりにされたような、妙な疎外感を覚えて訊ねる。

「なぁ、何が合ったんだ?」
「……わからない。けど、何か嫌な予感がするんだ。昼間から、ちょっと変だったし」

ひっそりとした声音は潮騒に呑まれそうなほど小さかった。塞ぎこむ雷蔵に兵助が「確かに、様子、おかしかったよな」と続けた。それと三郎が今いないことが俺の中で繋がらず、どういうことだ、と訊ねようとして。場違いな明るい声が砂浜に響き渡った。

「あれ? 何してるんだ? 俺の迎え?」

は、っと息を詰め、俺が振り返るのと同時に、兵助が安堵の声を上げた。

「勘右衛門っ、」
「思ったより遅くなったから宿の見分け分からなくてさ、外で一晩過ごそうかと思ってたから」

学園長のお使いで実習開始日に間に合わない、と聞いていた勘右衛門が暗がりの中に立っていた。ふにゃりと笑いながら「よかったぁ」と疲れの滲んだ声に「よかったは、こっちの台詞」と兵助が言葉を被せる。その意味が分からなかったんだろう、きょとん、と彼は目を丸くさせた。

「鉢屋がいない?」
「あぁ」
「お前たちをからかってるんじゃないか?」

鉢屋の性格ならそれもありそうだろ、とからかいを含んだ言を継いだ勘右衛門に対し、兵助が「それはない」と断言した。それから、ゆっくりと兵助は昼間の事を話しだした。龍火の対岸、崖の上で見つけた火の痕跡のこと。そこから降りて行った所にある間欠泉。海賊さんから借りてきたこの辺りの本。地図と海図のこと。三郎が訊ねてきたこと。

「それで僕たちが帰って来た時、ちょっと様子が変だったんだ」
「あぁ」

雷蔵と兵助のやり取りに、そういえば、と食事時に三郎と兵助に流れた微妙な空気を思い出した。あの時は単に俺たちに情報を流さないためだと思っていたけれど、どうやら三郎の意図は別にあったようだ。兵助が目に翳を背負いながら「やっぱりあの時、言っておけば」と零すと雷蔵が「兵助のせいじゃないよ」と無理やり笑った。それから、「戻ってきたら、絶対、殴ってやる」と己を励ますように続ける彼の背中を「そうしてやれ」と俺は軽く叩いた。

「ありがと、ハチ」
「おぉ。にしても、どこに行ったんだろうな? 三郎の奴」
「兵助、さっき言っていた本、今も持ってる?」

それまで、値踏みをするように俺たちの話を聞いていた勘右衛門が不意に口を出した。さっきまでの冗談を言うようなものではなく、真剣なそれ。すぐさま「あぁ。夕方に三郎は返しに来たから。何か気になることがあるのか?」と兵助が応じれば勘右衛門は言いにくそうに零した。「ここに来る途中でさ、ドクタケを見たんだ」と。

***

ドクタケ、と聞いて、さっと血の気が引いた。あまり出来のいい忍を抱えている感じはしないが、それでも相手はプロだ。三郎が厄介なことに巻き込まれた(もしくは首を突っ込んだ)可能性を否定できない。すぐさま宿舎となっている館に飛び込んで、昼間、兵助が読んでいた本を囲んだ。

「これだけど」


周りの級友たちを起こさないように注意を払いながら、火種で最小限の灯を燭台にともす。潜んでいた闇が散り、じわり、と滲む明るさの中、兵助が「この頁と、ここと……」と三郎と見た所を俺たちに示していく。ふんふん、と相槌を打ちながら話を聞く勘右衛門の横で、雷蔵は睨みつけるように本を眺めていた。普段が温和な彼だけに、その纏うものに若干俺は引いていた。

(痛いだろうな、本気で雷蔵に殴られたら)

鬼気迫る雷蔵の怒りに心の中で三郎に手を合わせておく。まぁ、何も言わずに出て行った三郎が悪い、ということにしておいて、余計なことから頭を切り替える。と、兵助が「これがこの辺りの地図」と、本の間に折りたたまれていた紙を広げた。それから「ここが館」と中心よりやや上方を指差す。それから、更に上に広がる海に人差し指を這わせて、一点で留めた。

「ここが、たぶん、龍火を見た所」

次に彼はそこから横に指をずらすと「たぶん、これが松の崖なんだろうな」と海へと突起している陸地の部分を示した。じゃぁ、と雷蔵が俺の方を見遣る。

「そこが昼間、僕たちが行った所だね」
「だな、洞窟は海側に広がってたけど、この地図じゃ分からねぇか」
「うん。多分、途中から海底のさらに下を歩いてたんじゃないかな」

この地図を見た限りでは、あくまでも平面というか、見える範囲のことしか描かれておらず、昼間に雷蔵と飛行生物に襲われた洞窟は載ってないようだった。兵助が「どのあたり?」と訊ねてきて、俺は一度見たものや行った所への記憶が正確な雷蔵に説明を任せた。

「えっと、この崖から海側に向かって------距離にすると、この辺りまで行ってたと思う」

丁度、松の崖と龍火の半分当たりまで雷蔵は指を走らせると「この辺で襲われて戻って来たんだけど、反響音もしたし風も流れていたからもっと先まで続いてたと思う」と続けた。

「もしかして」

兵助の声が弾けたかと思うと、彼は手にしていた本を急いでめくりだした。俺が「どうしたんだ?」と聞いたけれど答える時間すら惜しい、といった様子の兵助に返答は諦める。目当ての頁が見つからないのか、何度か、行きつ戻りつを繰り返し、「これだ」と俺たちの前に広げたのは海図だった。

「海図?」
「あぁ。ちょっと、それ、隣に合うようにして並べてくれないか」

そう言われて俺は兵助が出した海図の隣にさっきまで見ていた地図の方角やだいたいの位置を揃えて置く。しばらく腕を組んで見比べていた兵助は「やっぱり」と呟いた。俺も倣って眺めていたけれど、何が何だかさっぱり分からず、「何がやっぱりなんだ?」と訊ねた。

「この海図のここ、おかしくないか?」
「おかしい?」

とん、と彼の爪が海図を弾く。その音を立てた位置は、さっきの地図でいう龍火を見たという場所だった。兵助が何を感じ取ったのが分からず「ん?」とそれをもう一度見遣る。だが、海流の流れを示す矢印が円弧を描いている、ってくらいしか読みとれなかった。

「あぁ、隠れ島か」

不意に声を出したのは、勘右衛門だった。聞きなれない言葉に「隠れ島?」と食いつけば「そう。潮の満ち引きの関係で普段は海の中に島があるって、前にここの海賊さんに教えてもらった事がある」と彼は続けた。兵助が矢印を指で辿りながら補足する。

「海流は島の周りをぐるりと巡るんだそうだ。見た目は何もなくても、海底には岩盤があるからな」
「もしかして、三郎はそこに?」
「あぁ。可能性はあるだろうな。龍火の正体は何か分からないが、島に気付いたんだろ」

あの馬鹿、と雷蔵が呟き、それから「どうする?」と俺たちの方を見遣った。

「どうするって言ってもな……もしかしたら、ドクタケが絡んでるのかもしれないだろ」

そこまでくれば、さすがに俺たちだけで対処するには事が大きすぎる。とはいえ、まだ、それが確定とは限らないし、じきに三郎も戻ってくるかもしれない。その迷いは俺だけじゃなく、みんなの中にあるようだった。うーん、と唸っていた兵助が「勘右衛門」と呼びかける。

「ん?」
「勘右衛門がドクタケを見かけたのってどこ?」

あぁ、と地図の方を引き寄せた彼は、視線を手前の方にうろつかせ、それから「この道から少しそれた辺りかな。まだ森の中というか崖の上というか」と、指で円をなぞり書き、範囲を示した。

「この辺り、か」
「例の、火の跡と近いのか?」
「遠いわけじゃないけれど、すぐ傍でもないな。どっちかというと間欠泉に近い」

ふーん、と俺が相槌を打つと「行ってみようか」と勘右衛門が立ちあがった。

「え?」
「このまま、ここで唸ってても埒があかないし。とりあえず、俺はドクタケの偵察に行ってくる」
「俺も行く。もしかしたら、火の跡の方にも何か動きがあるかもしれないし」

続いて兵助も立ち上がると勘右衛門と視線を交わし頷いた後、「ハチたちはどうする?」と俺たちの方を向き直った。偵察は少数精鋭が基本だし、もしかしたら三郎が戻ってくるかもしれない、そう思うと四人で行く意味はないだろう。どうしたものか、と思案していると雷蔵は床に広がっていた海図を拾い上げた。

「僕は、この島に行ってみるよ」
「え?」
「三郎の事だから、絶対、この島にいると思うんだ」

だから迎えに行く、と言い切る雷蔵に兵助が慌てて「けど、危険だぞ。暗いし、大潮だし。ただでさえ、この辺の海流は舵を取りにくいのに」と止めに入った。そのとおりだ、と俺も頷く。舟を操る実習をしたが、正直、そういうのが得意な俺でさえ腕力を駆使して無理やり舟を走らせたのに近い。下手しなくても島に行き着く前に転覆してしまうだろう。

「うん。でも海図あるし、それに、ハチもいるし」
「え、俺?」

ぱん、と手を合わせて雷蔵は俺を拝みこんだ。「お願い、付き合って」と。



 

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