※これの仙蔵視点。ややシリアス。
実家から送られてきた荷物の中に、その葉書はあった。ちゃんと食べてるの、と心配する母親の気遣いからか米やら野菜がたくさん詰まった段ボール箱の隅の方に押しやられたそれは折れ曲がり、印刷されていた文字は滲んでいた。
同窓会
ぼんやりと広がったインクでも、はっきりと読みとれたその三文字。色鮮やかな枠線は久々に再会することに浮かれているような印象を覚える。差出人である幹事の近況をざっと流し読めば、肝心なことは最後の方に記されていた。出席か欠席かに丸を付けて返信してくれ、とあるその期日は、すぐそこまで迫っていた。別にそのまま葉書をゴミ箱に投げ捨てることもできたが、迷いが生じたのは、それが中学や高校でなく大学の同窓会だったからだ。
(あやつは、文次郎は……来るだろうか)
すんなりと奴の顔が脳裏に出てきた。久しぶりだというのに。ただ、思い浮かんだ面持ちはあの頃のままだった。元々年齢詐称な顔立ちだったが、更に老けただろうか、それとも、変わらないだろうか。それすら分からないほど遠く離れてしまった。
(3年、か)
一緒にいた時間の方がまだ長いというのが嘘のようだった。私が奴の元を去ったのは、卒業の日だった。
***
大きな足音を踏み鳴らして歩く奴は、その日はいつにもましてドタドタと騒がしかった。代表挨拶に選ばれたために他の学生よりも集合時刻が早いらしく、ダークスーツに辛みを利かした暗褐色のネクタイを締めながらシェーバーをいじるという、なんとも。そんな奴の姿を私はベッドに腰かけなからぼんやりと眺めていた。最後と決めていた。だが、感慨は沸かなかった。
「文次郎」
そう呼びかければ、「んだよ?」といつもの三割増しで苛立った声が返ってきた。とはいえ、眼光は鋭い、というよりも焦りに満ちているようだった。ちょっとからかってやろうかと、「代表挨拶に選ばれたって言ってなかったか? 遅刻するぞ」と笑いを滲ませながら投げかければ、焦燥の色合いが増した。
「んなこと、分かってる。つーか、見て分かるだろうが」
くぐらしたネクタイを親指と人差し指で押し上げ、首元の襟のラインに収めようとするが、。利き手とはいて、片手でやっているせいか上手くネクタイを締めることができず、左側に結び目がやや落ちるようにして垂れさがった。姿見の前で空いた右手を顎に当て、剃り痕の手触りを確かめているやつは、そのことに気づいていないようだった。
「文次郎」
「だから、何だよ」
再び呼びかければ、今度は振り向かなかった。時間がねぇんだ、と言わんばかりに、鏡越しに苦々しい視線と交差する。
(今日までは学生だというのにな)
ぴしり、と堅苦しいくらい皺ひとつないスーツ。きっちり着こなされたその後ろ姿だけ見ればすっかり様になっていて、やはり年齢詐称だ、と一人笑いを噛み殺す。だが、鏡に映し出されたネクタイの歪みに歳相応なのだ、と思いなおし、指摘してやる。
「ネクタイが曲がっているぞ」
「んなの、今、気にしてる暇がねぇ。向こうで直す」
乱れたまま飛び出ていきそうな勢いの奴を「あほ。ちょっと来い」と呼び寄せた。素直に従った文次郎に、私はベッドから降り自分の目線の高さにある奴ののネクタイに指を絡ませる。なんとなく覚えのある光景に一瞬考え、すぐに分かった。奴と熱を分かち合う時、こうやって首筋に腕を回すのがくせだ。
(くせだ、じゃなくて、だった、にもうすぐなるのか)
自分で決めたくせに、過去にしていかなければならないことに、す、っと体が寒くなるのが分かった。思わず視線を外せば、奴の手首にずいぶんとくたびれた時計が手巻かれているのに気付いた。
「お前、その時計をしていく気か?」
前にも揶揄したことがあったが、その時は、頑丈さと耐久性がとりえだ、とまるで奴自身と重ねるようなことを言っていた。だが、色ははげ落ち、革ではないベルトはくたくたになってひび割れていて、さすがにハレの場にはいかがなものかと溜息を吐く。
「これしか持ってないからな」
眉を若干潜めている顔つきから、少しはまずいと思っているのだろう。私は「なら、私のを貸してやろう」と自分の手首に巻きつけてある時計を外した。しっとりとした飴色のベルトに鈍く磨かれた盤面。腕に付けていれば自然と脈よりもやや遅く時を刻み続ける。古色蒼然としたそれは祖父から譲り受けた大切なものだった。そのことを文次郎も知ってるからだろう、奴は目を見張った。
「いいのか?」
「あぁ。今日は特別だからな」
私の言葉を文次郎は額面通りに受け取っただろう。今日が卒業式、だから、と。だが、私はまるで形見分けをするかのような思いだった。もしくは、最後の記念。そんな私の気持ちなど知る由もなく、奴はいつもと変わらぬ笑みで「悪いな」と呟きながら手首のやつを外すと、私の時計を引き取った。代わりにスポーツウオッチを私の方に寄こす。
「あんな格好で代表挨拶なんぞしたら、末代までの恥だからな」
「……悪かったな。にしても、お前のベルトの穴に合わせるときついんだけど」
あっさりと私の手首を掴むことのできる文次郎。体格の差異を考えれば当然のことだった。私が普段止めているベルトの穴に苦労してはめようとしている文次郎に「なら、大きい所で留めればいい」と示せば、奴はその革が擦り切れた穴の隣に通した。だが、日頃の形状で固まっているかのように、私の穴の所が膨らんでしまっていた。それが気になるのか、しきりに触っている文次郎に告げる。
「文次郎、本当に遅刻するぞ」
あらためて時計に視線を落とした文次郎は「げっ、もうこんな時間かよ」と叫んだ。それから踵を返し、ソファに放り出してあった鞄を掴みながら飛び出して行った。いつもと同じ言葉を投げかけて。
「じゃあ、またな」
また、が来ないことを知っているのは私だけだった。
***
(さて、行くとするか)
もともと物が少なかった部屋だったが、全て引き払ってしまえば、がらんと無機質な壁がむき出しになっていて、もう、どこにも奴との思い出はなかった。最後に一度だけ見回し、それから、部屋を後にする。ドアを閉めようとすれば、ぎ、っと鈍い音が静けさの中で響いた。その大きさに、ぎくり、とし、そんな自分に苦笑いする。まるで夜逃げみたいだ、と。
(まぁ、逃げることには変わりないがな)
互いに進む道が決まった時から決めていた。何も告げずに、奴の元から去ろうと。けれど、ずっと、実感がなかった。昨日は昨日とて、奴が持ち込んだDVDを見て、ぐだぐだと飲んで、それからベッドにもつれ込んで。いつもと変わらない日常。このまま、ずっと続くような気がしていた。この瞬間までは。
(文次郎が帰って来る前に行かなければ)
そうと分かっていたが、だだをこねる幼子のように、私は最後の一歩を踏み出すことができずにいた。握りしめた奴のスポーツウォッチ。同じリズムで点滅し続ける、秒針の代わりのコロン。止まってしまえばいい、など願うことは愚かなことだろうか。奴の元から去る、と決めたのは自分なのだから。
「またな、か」
また、がいつか来ればいい、そう切なる祈りを軋む胸に抱える己の弱さを今だけは赦すことにする。この部屋から出てしまえば、もう、そんな甘えた事など言えない、そう知っているから。ぐ、っと嗚咽に震える喉を抑えつけ、玄関から外へ出れば、そよそよと優しい春の風が私を出迎えた。振り向き、ゆっくりと扉を押し戻す。--------奴との思い出を、その笑顔をこの部屋に閉じ込めようと。ひっそりと誰もいない部屋に呟く。
「さよなら、だ」
***
あの時の判断が正しかったのか、と問われれば、互いに就いた仕事のことを思うと、当然、是、と答えるだろう。けれど、文次郎と離れて----------正しいか正しくないか、だけで割り切れないものがあることを、ようやく知ったような気がする。あの日から一度も電池を変えることなく動き続けている時計。頑丈さと耐久性がうりだと言っていたそれは、あやつとそっくりだった。
「さよなら、か」
掴んだペンは自然と出席に丸を付けていた。文次郎が来るかどうかなんて、分からない。もし、再会したとしても、もう一度、なんてむしのいい事を言うつもりはなかった。ただ、私は告げなければいけないのだ。面と向かって、あの言葉を。はじまりための、終わりの言葉を。
(『また』じゃなく『さよなら』を、文次郎に)
さよなら、からはじめよう
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