※竹にょた久々

たった、一日。その一日が過ぎれば、教室中に広がっていた甘ったるい匂いもすっかりと薄れ、そわそわとしていた校内もすっかり落ち着きを取り戻していた。何事もなかったかのように戻ってきた日常は、けれど、昨日までとは違う。昨日を境に、違うのだ。染め上げる空気の色、とでもいうのだろうか。登校してから違和を覚えつつもはっきりと掴めずにいて。ようやくその正体が分かったのは、久しぶりに女友達と昼ご飯を食べていた時だった。

「えー、じゃぁ、2組の佐藤君とくっついちゃったんだ!?」
「らしいよ。その場でOKもらったんだって」
「いーなぁ」

障子に目あり壁に耳あり、じゃないけれど女の子たちの情報網は半端ないと思う。昨日の今日だというのに、誰が誰に告っただとか、くっついたとか、誰がいくつチョコレートをもらったとか、学年の事情が知れ渡っているのだから。友人らは話に花を咲かせるのに夢中で、小さな弁当を平らげる手が止まっていた。

(やっぱり、勘ちゃんたちの所で食べればよかったかな)

そう思いつつ、せっかく誘ってくれたのだから、と、あまり興味のない話題にも笑みを浮かべて「そうなんだー」とか「えーそうなの?」と明るめの声を上げる。

「で、兵助は?」

目の前に座っていた友人に急に話を振られ、齧り付いたパンが喉に詰まりそうになった。どうしたら「で」となるのか話の展開がよく分からず、とりあえずパンを呑みこみ「何が?」と尋ねれば、「やだなぁ」と彼女はガムシロップみたいな甘い声で笑った。

「バレンタインに決まってるじゃない」
「兵助は誰かにあげたの?」

興味のベクトルが一気に自分に向けられたのが分かって、拍動が一気に速くなった。期待に満ちた眼差しに、意味もなく指先が冷えて頬が火照っていくのが分かる。それと同時に、昨日のハチの笑みが浮かんで、ぎゅ、っと胸が痛い。

「尾浜くんは? 幼馴染だっけ?」
「あー勘ちゃんならあげたよ」
「やっぱりっ!」

オクターブくらい甲高い声に、慌てて「でも毎年恒例だから」と釘を刺すと、それでも「じゃぁ、他には? ほら、よく鉢屋くんとか不破くんとか、あ、竹谷くんとかとも仲いいんでしょ」と食らいついてきた。『竹谷くん』という言葉に、心臓が捩じ切られた様に、さらに痛んだ。けど、その言葉に反応したのは自分だけじゃななかった。右隣に座っていた人物の肩がぴくりと跳ねたのが分かった。それは、俺にチョコを渡すのを頼んだあの友人だった。

(そういえば、昨日の事、報告してなかったっけ)



***

ハチと別れた後、ポケットの携帯に指先が伸びたけれど、けれど、彼女に渡したことを知らせるメールを送ることはできなかった。ぐるり、と脳裏を回り続ける、あの柔らかな笑み。どうしようもない後悔と重い足を抱えて戻った自宅の扉を開ければ、息苦しさに襲われた。まだクッキーの匂いがしていた。巡るのはハチの笑み、勘ちゃんの『竹谷にあげないのか?』って言葉。あの時は勘ちゃんに合わせて「ふられるのが怖い」って言ってみたけど、そんなんじゃない。もっと、どろりと薄汚い感情なような気がしてた。何だか分からなかったけど。

(ハチは他の女の子から貰ったチョコで、あんな優しい顔をしたんだ)

あの表情を見た瞬間、気付いてしまった。自分の中に冥く潜むその感情の正体に。------優越感、だった。自分の事をハチは好きなんじゃないか、って。女の子の中で一番近くにいるのは自分なんだ、って。けれど、それも打ち砕かれてしまった。

(ハチ……)

クッキーのこうばしさが残るこの家にいたくなくて。けれど、後ろめたくて勘ちゃんの部屋に遊びに行くこともできなかった。ぐ、っと息を詰め、胸やけしそうなくらいの甘い匂いを吸い込まない様にベッドに顔を押しつけていた。苦しい、苦しい、苦しい。そのうちに、眠ってしまっていた。

***



左隣にいた友人に、「いいなぁー」と腕を引っ張られ、は、っと引き戻される。右隣にいる彼女は俯き加減だったけれど、全神経がこちらに向けられているのをはっきりと膚で感じた。

「そうそう。羨ましいよね」
「羨ましいって?」
「結構、人気なんだよ。で、あげたの?」
「三郎と雷蔵はあげなかったけど、ハチにはあげた」

右耳に「えっ!?」と声が弾けた。じ、っとこっちを見遣る彼女の目はチワワみたいに潤んで震えているように思えた。勘違いさせてしまったことに気がついて、すぐさま「自分のじゃないけどね」と笑いかければ彼女は「なーんだ」とはにかんだ。

「ちょっと、そこ、二人だけで会話してないでよ」
「何、どういうこと?」
「え…あ、私が頼んだんだよ。兵助に、竹谷くんに渡してって」

顔を赤らめ目を伏せながら小声で話す彼女は本当に可愛くて-------きっと、ハチもこんな子が好きなんだろうな、と思った。

「ハチ、すごく嬉しそうだったよ」
「ホント? よかった!!」

彼女の桜色の唇が、幸せそうに緩んだのを見て、俺は頭の中で聞こえる勘ちゃんの声から耳を塞いだ。

(これで、よかったんだ)



***

昼食も食べ終え、もうすぐ予鈴が鳴る時間になって、ふ、と英語のノートをハチに貸したままだったことを思い出した。まだ輪になって恋バナを続けている友人に「用事を忘れてた」と断り、慌てていつも5人で食べている屋上につながっている階段へと向かう。と、最後の踊り場を曲がった所で、丁度、降りてくるハチと遭遇した。

「お、兵助」
「あ、よかったー会えて」
「なんだ、淋しかった?」
「馬鹿、違う。英語のノート返して。次、英語なんだ」
「あー悪い、お前来なかったから勘右衛門に渡しちまった。会わなかったか?」

いや、と首を横に振ると「行き違いかーしまったなぁ」とハチは困ったように頭をかいた。「いいよ、教室に行ったら会えると思うし」と踵を返して-----------ぎゅ、心臓が縮んだ。ハチが俺の腕を掴んでいた。どんどんと速まっていく鼓動。ざわざわと耳に痛い。廊下に響く他の生徒たちの声が遠くなる。差し込む光に白っぽい埃がきらきらと光る。唇が震え、「ハチ?」と紡いだ言葉も揺れているような気がした。

「いいよ」

彼の目は真っすぐ俺を射抜いていて、逸らすことができなかった。

「昨日の返事。付き合って、って書いてあっただろ。俺と、付き合ってよ」

すぐにハチの勘違いだって分かった。あれは俺のチョコじゃない。付き合って、って言葉は俺のものじゃない。そう、俺のじゃないのに、ハチがあの時と同じ、すごくすごく優しい眼差しで「すっげぇ、嬉しかった」なんて言うものだから。だから、

「あのさ、ハチ。学校では付き合ってるの内緒にしてほしいんだけど」

気が付けば、俺は、嘘をついていた。



世界の色が変わる時


(--------もう、戻れない)



title by カカリア

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