※竹にょた久々

小さい頃読んだ人魚姫の話を思い出した。王子様に気づいてもらえない人魚姫が可哀想で可哀想で。王子様を騙して結婚するお姫様は、何て意地悪なんだろうって思ってた。けど、今ならお姫様の気持ちが分かるような気がした。嘘を吐いたっていい、どんなことをしたって手に入れたい。時に、そういう飽く無き感情があるのだと。

***

「ねぇねぇ、兵助」

教室で暇つぶしに本を読んでいると、いつの間にか彼女がそこにいた。ハチの告白を受けて以来、俺は彼女の顔を真っすぐ見ることができなかった。自分のチョコレートじゃないのに否定しなかった。それだけじゃない。ハチと付き合うことになった時に『学校内では内緒にしておこう』とハチにお願いした。自己保身ばかりだった。彼女が話しかけてくる度に「ハチと付き合っていることが、ばれたんじゃないか」と、そのことばかりが、ぐるぐると頭の中を回る。

「んー、何?」
「あのさ、竹谷くんのことなんだけどさ」
「あ、ごめん。俺、担任に呼ばれてるんだった。ちょっと行ってくるね」

がたん、と思わず席を立っていた。自分でもあからさまだと分かった。「あ、そうなんだ」と呟く彼女のあやふやな笑みは、けれども、どこか泣きだしそうで。自分でも酷いと思う。けれど、けれど、どうすることもできなかった。そのまま「ごめん」と謝り、彼女と机との間をすり抜けるように逃げだした。俯きながら教室から廊下へと飛び出す。行き先なんてなかった。けど、あの場にはいられない。頭が痛い。息苦しい。

「兵助?」
「あ、……ハチ」

柔らかな声がふわりと俺を包み込んだ。今、一番、会いたくなかった。けれど、踵を返すわけにもいかず「先生に呼ばれているから」と彼の上履きを見ながら避けようとする。けれど、背中が彼の前を通り抜けた瞬間、右の手首に温かな熱が加わった。振り返れば、俺の手を掴んだハチが「顔色、悪くないか?」と気遣わしげに見つめていた。

「兵助、最近、元気なくないか?」
「え、そんなことないって。全然、元気」
「そうか?」

まだ心配そうに眉に皺を寄せて覗きこむハチに、無理やり口の端を引き上げて笑う。「元気、元気」と。表面がひび割れたみたいな違和感を覚えつつ、まだ顔を曇らせている彼の眼差しに耐える。数秒黙った彼はようやく皺を解放させ、笑った。

「じゃぁよ、今度の休みどっか行こうぜ」

思わぬことに、ワンテンポ遅れた言葉が乾いた喉で引っ掛かった。返事がなかったことにハチは「デートしない? ってことなんだけどよ」と言葉を重ねた。彼の誘いに、嬉しさよりも驚きよりも、心痛の方が大きかった。そのせいで、答えに窮した俺にハチはがっかりしたように肩を落とした。

「……嫌?」
「や、じゃなくて……部活は?」
「休みだからさ。ホワイトデイ前だし、行かないか?」

切なる言いように俺は頷いた。ぱ、っとハチの顔が輝く。けれど、俺の気持ちはそのハチの表情と真逆だった。底なしの影。ハチと話していても、ドキドキ、しない。むしろ、胸が疼いている。つき、つき、と。まるで見えない棘が刺さりっぱなしになっているみたいだ。取りたいのに、取ることができない。

(-----------俺は、どうすればいいのだろう)



***

初めてのデートは、誰かに見られてないか、ってことで頭いっぱいだった。せっかくハチがデートコースを考えてくれたのに、入る店入る店で知り合いがいないか気が張ってしまって。多分、厳しい表情をしてたんだろう、ハチが折々で心配そうに「大丈夫か?」と聞いてくるくらい、終始上の空に近かった。その憂いを含む眼差しを向けられる度に、泣きたくなる。

(俺はハチに優しくされる資格なんてないのに)

ハチが「そろそろ帰るか」って口にした時、肩の力が抜けたのが分かった。けれど、心は晴れることはなかった。一生懸命、気遣ってくれたハチに申し訳ない気持ちにずっしりと押しつぶされそうだった。黙りこくってしまった俺に彼の表情もますます沈んでいくのがわかった。と、沈鬱な空気を、不意にハチが破った。

「ん? あそこにいるのって、兵助のクラスの子だろ?」

ハチが指した先にいたのは彼女で、俺は慌てて「あのさ、あっちの道、行こうよ」と彼の腕を取った。怪訝そうにハチが俺の名を呼んだ。「兵助?」と。けれど俺はそれをかき消すように「行こうって」と掴んだ服を引っ張り急かした。どうか気付きませんように、と祈りながら。けど、神様は、やっぱり見てるのだろう。

「あ、兵助っ!」

一際、はっきりと届いた声が、俺の足を地面に縫いとめた。気付かないふりをすることはできなかった。ハチが「お、向こうも気づいたぞ」なんて言うものだから。曖昧に「う、うん」と言葉を濁していると、彼女が「遊びに来てたんだ」と笑いながら近づいてきた。あと数メートル、という所で彼女が立ちすくんだ。さ、っと頬を桜色に染めた彼女にハチが近づいていって、俺はどぎまぎしながらもその背中を追った。

「え、あ、た、竹谷くん……こんにちは」
「よぉ」
「あ、えっと、偶然、そこで出会ったんだ」

しどろもどろになりながら、結局、口から吐いて出たのは嘘だった。彼女のひらひら揺れているスカートだけを目で追う。とてもじゃないが、彼女の顔を見れなかった。今すぐ、この場所から逃げ出したかった。でも、足が石になったみたいに動かない。す、っと頭が霞んでいく。息が詰まりそうだ。元気のない「そっか……」という言葉が痛い。沈黙が怖くて「そっちは買い物?」と言おうとしたけれど、声の出せなくなった人魚姫みたいに、出てきたのは、ひゅ、という空気だけだった。俺の方に構えられていた彼女の靴の爪先が「あ、あのね、竹谷くん」とハチの方向に向いた。彼女の声が遠かった。心臓が掴まれたみたいに痛い。俺は裁かれるのを待つ罪人のように目をぎゅっと瞑った。

「美味しかった? バレンタインの「ごめん」

その瞬間、叫ぶようにして、俺は彼女の言葉を遮っていた。

「ごめん、二人とも。俺、騙していた。俺のじゃないんだ、あのチョコも言葉も」

頭を下げていても、二人の目が、俺を穿っているのが分かった。もう、駄目だ。きっと、ハチの軽蔑された。ハチの疑問の声を、彼女の非難の言葉を俺は待ち-----は、っと気付いた。こんな時でも、ハチや彼女のことじゃなく、まだ自分のことだけを考えている自分自身に。

(------------どこまで自分勝手なんだろう)

どうしようもなくて、俺は弾けるようにその場から逃げ出した。

「兵助っ?」

俺を追ってきた、困惑したハチの声を振り払って。



***

家に帰れば部屋の机の上に、ラッピングされたマシュマロが置いてあった。勘ちゃんからだ、と思ったら駄目だった。彼の部屋に飛び込んでいた。入るなり泣きだした俺の話を彼は幼子をあやすようにしながら聞いてくれた。そうして、これまでの事を全部話し終えると、勘ちゃんは「ばかだなぁ」と呟いた。

「…うん、分かってる。自分でも馬鹿なことしたって」
「違う違う」
「違うって?」
「辛かっただろ、今まで。一人で抱え込むなんて、馬鹿だよ」

幼馴染だろ、と微笑まれ、さんざん泣いてもう枯れたと思った涙がまた湧き出た。

「ごめん……」
「いいよ。昔からそうだもんな。一人で答え出そうとするとこ」
「ごめん」
「けど、もう、今回だって、答えは出てるんだろ?」

俺が頷くと、ぐしゃぐしゃと頭をかき撫でた勘ちゃんはそれから「頑張れ」と俺の背を押してくれた。

***

部屋に戻ると俺は携帯のメモリから彼女の番号を呼び出した。どれだけ謝っても謝っても謝り切れない。けれど、なにもかもなくなってしまった今、自分にできる唯一のことだった。無視されるかもしれない、そう思いつつ耳を当てていると、5コール目で「もしもし」と声がした。

「あのさ」
「竹谷くんから全部聞いた」
「ごめん……」

何度言っても言い足りない。けど、赦されることでなくても、自分がしたことは変えることができないのだ。もう一度、告げる。「騙して、ごめんなさい」と。暫くの沈黙の後、彼女は全然違うことを言ってきた。

「ねぇ、兵助。一つだけ、聞いてもいい?」
「ん……」
「竹谷くんのこと、好き?」

ノイズが掛った中で、『好き』って言葉が明瞭に聞こえた。あぁ、と相槌を打ちかけ、すぐさま取りやめる。

「ハチが好きだ」

はっきりと言葉にすれば、張りつめていた空気が受話口の向こうで、ふっと緩んだ。

「ずっと知ってたよ」
「え?」
「気づいてた。兵助が竹谷くんのこと好きだって。それこそ、兵助が竹谷くんを意識する前から」

まさか、と絶句していると、ラインの向こう側で彼女は自嘲気味に小さく笑った。それから、ぐっと声を落として「兵助は私のこと騙した、って言ってたけど、ずるしてたのは私もだよ」と続けた。その意味が分からず、「どういうこと?」と尋ねれば、彼女はさらに低く笑った。その笑い声は泣いているようだった。

「兵助に竹谷くんが取られるのが怖くて、だから先に言ったんだ。協力して、って」

ごめんね、と震える彼女の声に、ぎゅ、っと胸が軋んだ。再び降り立った静寂は彼女によって壊された。

「兵助は竹谷くんに気持ち、伝えないの?」
「……そんな資格、ないよ」
「あのね、竹谷くんは兵助からだと思ったから、あのチョコ受け取ったんだって」
「え?」
「この意味分かるよね?」



***

彼女の電話を切り俺は駆けだした。走りながら必死に携帯で彼の番号を呼び出す。けれど、何度掛けても繋がらない。無視されてるのかもしれない。喉が切り裂かれたみたいに、息をするのが苦しい。慣れない全力疾走のせいか、ガクガクと膝が震え始めてきた。立ち止れば楽になる。でも、今すぐにハチに会わないと、ただその思いだけが俺を突き動かしていた。

(会って--------赦されないだろうけど、とにかく謝りたい)

彼の家に向かう坂道で俺はその背中を見つけ、力を振り絞って大声を出した。

「ハチっ!」

ぴくり、と彼の肩が揺れ、坂道にぐっと長く伸びた影が止まった。振り返った彼は何も言わなかった。その顔つきからは、怒っているのか呆れているのか、分からなかった。ただただ、ハチはまっすぐと俺を見ていた。立ち止ったハチに駆け寄り、彼の影を踏みしめる手前で、俺は足を止めた。何も言わないハチの視線を受け止め、それから、俺は頭を下げた。

「ごめん、ハチ。ずっと嘘ついてた。ずっと、言おうとして。けど、言えなかった。あのチョコは俺のじゃないって、気持ちも俺のじゃないって。言ったら、ハチに嫌われるんじゃないかって……赦してもらえるなんて思ってないけど、けど、騙してしまって本当にごめんなさい」

それまで、俺の言葉を黙ったまま聞きとげたハチがゆっくりと言葉を発した。

「兵助、顔上げて」

覚悟を決め、息を吐き出しながら視線を地面から引きはがして--------俺の視界に飛び込んできたのは、顔をくしゃくしゃに歪めて今にも泣き出しそうになっているハチだった。

「あのさ、俺も騙してたんだ、兵助のこと。ずるをした」
「え?」
「本当は、最初から分かってた。あのチョコが兵助のじゃないって。兵助からだ、って家に浮かれながら持って帰って開けてみたらさ、手紙の字、兵助じゃないって、一発で分かった。空しくてさ、半分、やけくそで『付き合ってよ』なんて言って。だから兵助からOKもらった時、嬉しくて舞い上がって---------俺も、言えなくなかった。『本当は俺のこと好きじゃないのに付き合ってくれている』って思うと、確かめるのが怖かった」

二人で似たようなことで悩んでたんだな、って小さく笑った彼の目は濡れていて。俺も涙にむせびながら彼の元へと走り寄った。ぎゅっと抱きしめられ「ごめんな」と告げるハチに首を横に振って「もう一度チャンスをくれないか」と答える。

「チャンス?」
「あぁ。ちゃんと告白させてほしい」

涙に滲む視界を掌でこすり、俺はまっすぐとハチを見据えた。


涙の終着点


「俺は、ハチが好きです」


title by カカリア

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