「やっぱりな」

とろけるような漆黒の闇に息を潜めるようにして、その島はあった。時々、白い舌が舐めるようにして現れる。岩礁が隠れているのだろう。波がぶつかり白く泡立っていた。ここに島が隠れていると知っていなければ、もしくは相当、海を熟知して注意深い人物でなければ、そのまま舟を進めてしまうだろう。そうなれば、薄い船底には穴があき、あっという間に浸水して、海の藻屑と化すだろう。自然相手に云うのはおかしいかもしれないが、それほど、巧妙にこの島は海に隠れていた。



***

兵助が夕刻に見せてくれた海図には、私が知りたいことがたくさん書かれていた。よくよく見れば、この辺りは潮の流れがやたらと複雑だった。沖合からの道筋だけでも、数え切れぬほどあって。さらにより返す岸からの流れが、さらに流れを難解にさせていた。そんな、錯綜する海流の流れで、一カ所だけ、目に引かれる場所があった。潮の流れが、ある一点を中心として円を描いているようだった。単に海流がぶつかり合うだけで、こんな四方山からの流れが美しく弧にまとまるのだろうか。そこで、はた、と思い当たったのだ。
----------隠れ島があるのではないだろうか、と。それとなく、海賊さんに確かめれば、大当たり。

「あの辺りは、潮位の関係で、大潮の日の潮が引くときだけ現れる島がある」

と。完全にその姿が海上に現れるのは、月が闇に呑まれる日か、それとも全てを照らし出す日だけだという。普段は全くその形は砂粒ほども見えないのだという島は、地元の物は幽霊島と呼んでいて、その気味の悪さと潮流の難しさに、地元の者も普段からはあまり近づかないらしい。その島が沈んでいるのは、例の松の崖の傍らの海だった。つまり、龍火があったところ。龍火が見えた原因はその島にありそうだった。けど、それだけでは、龍火と対岸の崖の上にあった火の跡(つまりは兵助が見た橙色の火)の説明ができなかった。つい、好奇心が勝ってしまったのだ。不寝番の時にもし龍火が見えたら、確かめに行こうと。



***

実際、こっそりと舟を借りて海に出てみれば、思ったよりも流れがきつく、櫓を漕ぐのも一苦労だった。必死に掻いて進路をその幽霊島に取っているうちに、海岸で見つけた龍火は見えなくなっていた。月明かりのない闇夜では、ただただ、漆黒の海が広がっているだけに見える。

(そりゃ、この辺りで海賊さん達が崇められるわけだ)

これだけ入り込んだ海において舟を疾らせるのは、至難の技だろう。この辺りに住む漁師たちから一目置かれている理由が分かった。自分も海賊さん達が作ったきちっとした海図を、こっそりと写してきたからここまでたどり着いたものの、もしなければ、今頃海に投げ出されていたはずだ。

(あー、そろそろ雷蔵達にばれる時間だろうなぁ)

天を仰ぎみれば、捲き散った星々がさんざめいていた。月明かり一つないせいか、他に遮るものがないせいか、こんなにも星があるのか、と驚くほど一面に煌めきが溢れている。普段なら、月で判断する時間も、今日は星回りで推し量らねばならなかった。目印になる星は、さっきよりも大分高いところに昇っている。天と地の境界が分からないくらいとっぷりした闇に呑まれた海は、穏やかに見えた。けれども、波が島にぶつかるって生まれる白さは鋭く荒々しかった。優しげな面の下に隠されているのは、鬼の形相か。打ち寄せる波を蹴散らす岸壁は、屈強の兵を想わせた。頭をふりかぶれば、ぬめぬめとした光沢の岩肌が目の前に立ちはだかっていた。断崖絶壁、という言葉が頭を過る。鍵縄は引っ掛かりそうにない。

「さて、と。どうすっかな」

ふ、と、岸壁に小舟一つ分の穴が空いているのが分かった。とりあえず島の全体像を掴もうと一回りしてきたが、さっきは気付かなかった。潮はずいぶんと引いていったおかげで、現れたのだろう。ぽっかりと開く洞穴は、黄泉の口のように冥い。幽霊島に上がるには、そこからしか方法はなさそうだ。

(一度、戻るべきか。行くべきか)

刻限からすれば完全に潮が引いたわけじゃないだろうが、宿に戻って報告をし、再び体勢を整えて、となると、もうこの口は閉じられてしまうだろう。そうすれば、次は半月も待たねばならない。ちりちりと思考を灼きつく不穏な気配を、見過ごすことはできなかった。これ以上ここで待っていれば、今度は脱する時に困る。そう判断し、櫓をひと漕ぎ。するり、と潮流に乗った舟は、洞穴に吸い込まれていった。



***

「へぇ、船着き場って感じだな」

ある船底が擦れない様に、喫水を考えながら舟を寄せる。縄を片手に岩場へと飛び移った。ぬるり、とした感覚に、つい、さっきまでは、ここが海の中だったことを思い出す。もう数刻もすれば、再びここは水に沈むのだ、と想像するだけで、ぞ、っと戦慄が背中を走り抜けた。その一方で、こんな場所で何かをしているなど悪事以外の何物でもない、とその正体を知りたくて首を突っ込みたがる自分がいた。

(ま、もう少しだけ様子を見て、それから帰ろう)

闇にこなれた目は、洞穴の奥へと、細い水路が続いているのを見つけていた。元々は自然にあったのかもしれないが、人の手が加えられているようだった。その証拠に、小舟が頭上に吊るされている。見つかったらヤバイよな、と思いつつ、乗ってきた舟を隠そうにも隠すものがない。このまま波間に漂わせておけば、波にさらわれて洞窟の外に放出され漂流してしまうだろう。仕方なく、岩の突起に縄を掛けて舟を係留させる。念のため、と身に着けていた手ぬぐい(当然、雷蔵とおそろいのものだ)を外す。

(きっと、あいつらは気付くだろう)

確信にも似た思い。ハチはともかく、雷蔵は私の様子がおかしかったことに気づいていたし、兵助は海図を一緒に見ていた。起きて私がいないと分かれば、探すはずだ。私でも分かったのだ、きっと、ここにたどり着くだろう。その時のために、と手ぬぐいを私は舟の敷き板に置いた。



***

(しっかし、どこまで続いてんだ?)

水路のように掘られた部分以外は、手つかずのようだった。まぁ、そりゃ、潮が引ききらなければ掘り進めることもできないのだから、水路以外の部分を整備する暇もないのだろう。私が乗って来たような舟が一台通るのがやっと、という浅い水路の横の岩場を進む。潮臭さがべっとりと貼りついた岩は、ぬめっていて歩きにくいことこの上ない。波にもまれて引きちぎられた海藻や割れた貝がらがたくさん落ちていた。だが、水路はすごい勢いで水が引いていって、足を取られそうだったため、そこを歩くのを断念する。波が刻みつけているせいか、突出している岩壁はガタガタしていて、目に刺さりそうだった。けど、その地形は見慣れてしまった気がする。昼間の間欠泉の辺りの洞窟を初め、この辺りの海岸線はこんなのだった。

(と、明かり、か)

道なりに曲がった途端、目を射抜くような眩しさに、足がすくんだ。慌てて陰にひそみ、そっと顔だけを出して覗う。はっきりとした明かりに照らされているのは、見覚えのある赤褐色の衣。ドクタケ、と音を出さずに唇だけで刻む。壁に映り込む影の様子から、どうやら、二人だけのようだ。時々、火元が揺れるのか、下卑た笑みに落ちる影が蠢いて、さらに狡猾さが増した形相が見えた。ごくり、と喉が唾で鳴るのを抑え込み、奴らの会話に全身全霊を傾ける。

「なぁなぁ、これ、まだ水揚げしなくていいのか?」
「あぁ。外への合図用以外は、水に浸けておけって指示だ」
「外への合図って、龍火に見せかけるやつだろ?」
「おぅ。すげぇ作戦だよな。龍火に見せかけりゃ、地元の奴は言い伝えを恐れて絶対に近づかないって」
「賢いよな! けど、それなら、ずっと火を見せときゃいいのに。何でもっと出しちゃいけないんだ?」
「さぁなぁ? あんまり外に出しておくと危険だってお頭は言ってたけどなぁ」

のんびりと話す奴らは、まさか、侵入者がいるとは思ってもいないのだろう。有難いことに、普通に喋っているせいか、幾分離れている場所にいるが、はっきりと声が聞きとれた。にじり寄りたくなる心を抑え、さらに聞き耳を立てる。

(それにしても、何を企んでるんだ?)

「それで、いつ運ぶんだ?」
「昨晩、向こう岸の合図があったからな」
「じゃぁ、今晩か」
「おぉ。潮が戻りきる直前に積みゃぁいいだろう」

奴らの言葉から推測するに、どうやらこの幽霊島を、ドクタケが何かの取引の根城にしているらしい。そのブツは、龍火に見せかけることができるが、水に浸けておかないと危険で。それをもうすぐ、この島から運び出す、といった所だろうか。向こう岸の合図、と言っていたが、きっとそれは兵助が見た火だろう。どうりで、土中に痕跡を隠していたわけだ。私がさっき見た龍火は、作戦開始、ってことだろうか。って、ことは、もうすぐ、人が来るってわけで。

(ヤバイ。一刻も早く脱出して、先生たちに伝えねば------------------)

「おやおや、鼠が一匹、入り込んでるようですよ」

耳元に生温かい息。ひやり、と体の髄を掴まれたような感覚がした時には遅かった。ガツリ。目から火が噴くような衝撃と痛み。-------------------そして、世界が暗転した。



 

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