「さてと、明日も早いし、そろそろ寝るか」

連日の課題に、そろそろ疲れがたまってきたのだろう、雑魚寝状態の宿舎の四方八方からはすでに鼾や歯ぎしりの音が聞こえてきた。起きて武具の手入れをしている同級生もいたが、初日のような浮かれた気配はどこにもなく、皆、泥に沈み込んでいくような面持ちをしていた。僕らは夏だからと、寝具代わりに敷かれたむしろに、あぐらをかきながら座って話し込んでいた。蝋燭の灯芯が絞られているとはいえ、そろそろ、迷惑な時間だろう。三郎の提案に「そうだね」と相槌を打つと、ハチが「あー、全身、潮くせぇ」が鼻を鳴らして小さな声で笑った。それから、急に真顔になって、さらに声を潜めるように僕たちの方に顔を近づけた。

「そういや、あれ、どうなったんだ?」
「あれ?」

意味が分からないというかのように、兵助が首を傾げた。僕も何のことだろう、と思っていると、ハチが辺りを見回した。誰も僕らの方を気にしてないのを確認して、矢羽音ではなくハチが小声で囁く。

「龍火だよ、龍火」
「……あぁ」

息を吐き出すような三郎のそれは、どことなく投げやりのような感じがした。昨日、あんなに気にしていたのに、と妙な違和を覚える。

(三郎?)

そんな様子に気がついたのは僕だけのようで、目の前の兵助とハチの二人は、いつもと変わらないやり取りをしている。

「俺、一回も見てねぇんだよな。見てみてぇな」
「だったら、起きてればいいだろ」
「徹夜はなぁ。明日もあるし」

と、ぼやくハチに「じゃぁ、交代で不寝番でも張る?」と便乗してみる。ちらりと三郎の方に視線を投げると、黙ったままの彼は明らかに顔をしかめていた。まるで、その話題に触れるのを嫌がるかのように。

「いいね、それ」
「それだったら、ちょっとは寝れるし、見れたら起こせばいいし。この蝋燭って、今からなら、丁度、朝方に消えるよな。なら、四つに分けて、交代の目安にしよう」
「なら、夜警の順番、決めようぜ」

さっさと決めていく二人に、三郎がこっそり溜息をついたのを、僕は見逃さなかった。燭台の上で、ゆらり、と揺らめく細い炎が、三郎の影を深く抉る。宿っている目の光は、恐ろしいほど鋭くて。その様子が気になって、「ねぇ」と三郎に話しかけようとした瞬間、兵助に遮られる。

「三郎、何番にする?」
「どこでも。余ったのでいい」
「ふーん、なら、俺、一番いいか?」
「ハチは、一回寝たら、起きないしな。雷蔵はどうする?」

突然、話を振られて「んー」と曖昧に返答していると、「雷蔵は三番でいいんじゃないか」と横から三郎が口を出してきた。その順番に意味があるというよりは、大方、僕の迷い癖が発動するのを防いでくれたんだろう。まぁ、別に異存はなかったから「それでいいよ」と伝える。

「なら、俺は二番で、三郎が最後な」

さくっと決めてくれた兵助に「分かった」と答える。三郎はというと「りょーかい」と、あからさまに面倒そうに頷いた。幽霊騒動なんて、こんな楽しいこと(三郎から言わせれば、だけど)、普段の三郎ならほっとく筈がない。むしろ、率先して、計画を立てそうなものなのに。

(やっぱり、何かおかしい)

問い詰めようとした瞬間、今度は、ハチに邪魔をされた。

「そういや、今夜は新月だな」
「蝋燭の灯りを落とすと、かなり暗いな」
「あぁ。忍ぶにはもってこい、ってわけだ」
「こんなに波音が煩いのも新月のせいか。見に行った時に、波にさらわれないよう気を付けないと」

冗談ぽく笑った兵助の台詞に、大潮だったことを思い出した。昨日の夜も、随分と手前まで砂浜の石が濡れていた。今日は、それ以上に大きくめり込んでくるだろう。

(そういえば海賊さん達が、「この辺は満潮と干潮の差が激しい」って言ってたっけ)

初日の講義の中では海図の読み方以外にも、この辺りの地理や歴史にも教えてもらって。その時に、言っていたのだ。遠浅にある岩島が一つ二つ呑みこむぐらい、潮位が上下すると。予想以上なのかも、と不寝番の時に気をつけようと心に刻むと、ふ、とそれまで黙っていた三郎が口を開いた。

「あ、兵助、交代してくれないか? やっぱり、二番目にしてくれ」

突然の願い出に、兵助は不思議そうに首を傾けながらも「いいけど」と同意した。「じゃぁ、ハチが一番で、次がわたし。その次に雷蔵で、最後が兵助な」と三郎は決めると、「二番目だから、もう寝る」と、体を横たえた。いつもと変わらない背中なのに、心臓が、ざわざわと騒ぐ。

(絶対、何か、隠してる)

けれど、何も言えないまま、僕もむしろに体を転がした。自然と瞼が重くなっていって---------------。



***

ふ、と冷たい潮風に、身ぶるいをして、僕は目を覚ました。体は起こさず、顔だけで周囲の様子を窺う。最小限に明るさを絞った蝋燭が、うっすらと辺りを照らしていた。高鼾をかいて大の字になっているハチ、猫のように丸まっている兵助 -------------三郎がいない。がばり、と飛び起きて、蝋燭の残量を確認する。おかしいっ。

「兵助っ! ハチっ! 起きてっ!」

慌てて傍の二人を揺さぶる。ハチの方は、相変わらず鼾が続いていたけれど、兵助の方は僅かに目が開いた。迷惑そうに、「んー、雷蔵?」と掠れた声が返ってくる。そのまま、眠りに落ちて行きそうな兵助を引きとめようと、「兵助っ、起きて!」と激しく体を揺り動かす。それで、ようやく異変を感じたのか、兵助は上半身を起こした。

「どうしたんだ、雷蔵? そんな慌てて」
「三郎、知らない?」
「え?」
「三郎がいなくて」
「外で見張りしてるんじゃないか?」
「でも、ここ見て。もう三郎の時間はとっくに過ぎてる」

僕の指さした方を見て、「あのバカっ」と兵助の顔色がさっと変わった。そのまま、「ハチ、ハチ、起きろっ」と馬乗りするように、ハチに向かう。胸の辺りに圧し掛かる兵助に、それまでガァガァと空気をかき切るような鼾が、ぷつり、と途切れた。「んが?」と、覚醒するような息が漏れ、閉じられていた瞼が微かに開いた。すかさず、「起きてっ」と僕が耳元で喚くと、「なんだよ、さっき寝た所だぜ」と鼻がかった声しながらハチが起き上がった。それでも、まだ、頭の中は寝ボケているんだろう、片手でぼさぼさの髪をかき、もう片方の手で欠伸を受けていた。

「どうしたんだ、二人して、そんな怖そうな顔して」

ハチの問いかけに、僕はぎゅと拳を握りながら、胸のざわめきを吐き出すように言った。

「三郎が、いないんだ」

 

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