竹くく(現パロ)

「こんばんは」
「あら、兵助くん、いらっしゃい」
出迎えたのはハチ---------ではなく、よく似た笑顔だった。
「あ、おばさん。お久しぶりです」
よく似た、というのは語弊があるかもしれない。似たのはもちろん後から産まれたハチなのだから。笑顔を一目見た瞬間、二人が親子だというのが分かるくらい、二人のそれはまるで日なたにいるかのような、温かな気持ちにさせてくれる。
(あれ、ハチは?)
さほど広くはない店内。俺の声が聞こえればすぐさま現れるもう一つの太陽-------もといハチの姿はなく、辺りに視線を遣る。いつも以上にピンクや赤といった華やかな色が氾濫する中にハチを見つけることはできなくて。
そんな俺の様子を察したのだろうおばさんは「あの子なら配達に行ったわよ」と、ショーウィンドーの向こうに視線を投げた。
「配達?」
こんな時間に、という意を込めて疑問を投げる。数刻前まで明るかった空も緩やかに夕闇に呑み込まれ、すっかりと夜に沈み込んでいた。まだ夏には遠いこの時期、日が暮れてしまえば肌寒さを覚える。日中の配達は珍しいことではないだろうが、こんな夜になってというのは珍しい気がしておばさんを見つめれば、こちらに振り返った彼女は目尻の皺を一層深めて笑った。
「ほら、今日は母の日でしょ」
「あ、そういえば……」
どうりで店内の色合いが赤系統に偏っているわけだ、と合点がいく。まるでフリルのような花弁が何重にも包まったその花。鉢にはピンク色のリボンが掛けられ、貼られたシールには『お母さんありがとう』だなんて、可愛らしい文字が躍っている。
「そっか、5月の……?」
小さい頃に母親がいなくなった自分には、あまり馴染みのない行事だった。一昔前は母親を亡くした子どもには白いカーネーションを、みたいな風習があったらしい。だが、両親が揃っていない家庭も今時珍しいものでもないのか、配慮されているのか、そういう事も聞かなくなり、俺の中でその行事は随分と遠いものだった。
「二週目の日曜日よ」
途中で途絶えた俺の言葉を、おばさんは引き取ってくれた。こちらの家の事情は、何でも話すハチによっておばさんにも知られている。けれども彼女の目に宿るのは、俺に対する同情とは違う、まるで実の子に向けるかのような優しい眼差しだった。
「今年もカーネーションなのかしらねぇ」
「え?」
「あの子からのプレゼント」
「毎年、カーネーションなんですか?」
「そうなの。というか、もう20年以上もカーネーションなのよ。うちは花屋なんだから、偶にはスカーフとか別の物を贈ってくれてもいいのにねぇ」
そう愚痴めいた口調のおばさんの唇は、けれども、緩んでいて。本当に幸せそうで。---------ぎゅ、っと胸が軋んだ。
(ごめんなさい……)
何でも話すハチの口から、俺との関係は伝わってしまった。マイノリティな俺たちのことをおばさんは驚きこそすれ、嫌悪し糾弾してくることはなかった。ただ、それが受け入れられたのか、と問われれば、俺は素直に首を縦に振ることはできなかった。
(きっと大人な対応をしてくれているのだろう)
言葉にはしないけれど、心では思う事があるはずだ。まだ俺とハチが友人関係だった頃、おばさんが「こんな馬鹿息子にお嫁が来てくれるか心配でねぇ〜」と冗談めかして嘆いてきたのだから。
息子が結婚して、家を継いでもらって、孫が産まれて。----------母親であれば誰でも抱きそうな夢を、俺は壊してしまったのだ。
ハチは「気にすることねぇ」と言っていたけれど、気にしないなど土台無理なわけで。「父ちゃんや母ちゃんが反対するなら、家出ればいいんだし」なんて事だけは実行させるわけにはいかない。けれど、じゃぁ、おばさんに「あの子と別れて」と言われても俺は「はい」と答えることはできないだろう、と分かっていた。
「どうかしたの?」
ふ、と心配そうに俺を覗き込む眼差しに、自分が後ろめたさに囚われていたことに気付く。
「あ、いえ……」
慌てて言葉を紡いだものの、それ以上が続かない。おばさんの顔を見ることができず逸らした視線の先にあるのは、カーネーション。
「私はあの子が幸せなら、それが一番幸せなのよ」
見透かされたかのような言葉に、心臓が抉り取られたかと思った。
「っ……」
唇に走った痛み。強く噛みしめたせいだろう。けれど、息を吐き出したら嗚咽になってしまいそうな気がして、必死に抑え込む。立ち尽くし強張った体に巡る血脈が煩い。ピンクや赤の花はあまりに鮮やかで。鮮やかすぎて網膜が灼かれてしまいそうだった。けれど、そこから焦点を逃がすことができない。
(ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい)
小さな子どものように、その言葉を心の中で唱え続ける。
(ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい)
せり上がってくるのは罪悪感だった。
「ねぇ、兵助くん」
「今、幸せ?」
喉を掻き切ったような感覚に続いて「ごめんなさい」と迸らせそうになった瞬間、おばさんは「あの子といて」と続けた。あの子、その言葉に、ふ、と浮かぶ。----------ハチの温かで優しい笑顔が。途端、それまで縺れ絡まっていた息がすっと胸の奥まで入り、するり言葉が出てきた。「はい」と。
「そう。なら、よかった」
不意に、温かな温もりが俺の頭を包み込んだ。-------小さな、けれども、大きな掌。
「あの子の幸せがあなたなら、私の幸せもあなたなのよ」
「っ」
顔を上げれば、そこにはハチと同じ日なたのような笑顔。
「あなたが幸せなら、私も幸せよ」
その向こうで揺れる赤が滲んで------視界が柔らかに溶けた。


+++++

「ただいまーって、え、兵助、泣いてるんだ? え、ちょ、母ちゃん? え、何があったんだ?」
「何でもない」
「何でもねぇって……けど、「ちょっと、あんたの話をしてただけよ。面白すぎて、つい涙がねっ、兵助くん」
「そうそう。笑い過ぎて涙が出てきただけだから。だから大丈夫」
「ならいいけど…って、そんな涙が出るくらいって何の話したんだよ?」
「それは、未来の息子との秘密だから教えれないわよ」
ねぇと笑いかけてくるおばさんに後でハチと一緒にカーネーションとスカーフを選んだのは、また別のお話。




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