竹久々(竹谷の里無配)

いきなり稲妻が空を切りさいたかと思えば、土砂降りの雨。箒を振り回してクラスの女子に怒られていたら、同じ班のやつが「見ろよ、すげぇ雨」と叫んで。これで説教から解放される、と俺は窓際に走る。背後から「ちょ、竹谷くん!」と咎める声が飛んできたけど、聞こえないふりをして窓にへばりついた。さっきまで乾いていたアスファルトはあっと言う間に、黒に沈んだ。ずいずいと流れていく先の排水溝はあまりの勢いに排水が追いつかず、こぽこぽと泉のように膨れ上がってる。

「わーすごい雨だね」
「げ、マジかよ。俺傘持ってきてねぇ」
「あ、俺もだ。これ、いつ止むだろうな」
「どうだろうね。通り雨だとは思うけど、まだ西のほう暗いし」

同じクラスのやつらが騒いでいるそばで、ラッキーと内心ガッツポーズを作る。梅雨入り宣言の次の日に母ちゃんに鞄の中に放り込まれてから、ずっと入れっぱなしだった折り畳み傘のことを思い出したからだ。

***

掃除の途中で雨は弱まってきたが、それでも止むことはなくて。恨めしげに空を眺めている連中に「お先にー」と折り畳み傘をひらひらとさせ優越感に浸りながら教室を出る。「何だよ、お前、ずりぃし」という声をBGMに。湿気で上靴がぺたぺたと貼り付くような感覚に足を滑らせながら階段を掛け降り、昇降口まで来て、

「あれ、お前ら何やってるの?」

よく見知った背中が三つあった。一人足りないのを不思議に思いつつ、声を掛ければ、「あ、ハチ」と雷蔵が振り向いた。その声につられ「そっか、今週、素地当番か」と勘右衛門が、そして外を睨みつけたままの眼差しでこちらを見遣ったのは兵助だった。

「もしかして俺のこと待っててくれたわけ?」
「いや、雨宿り」

一番YESと言ってもらいたいやつに、あっさり否定され、デスヨネーと心の中で呟く。そもそも、甘い言葉を兵助からもらおう、なんてのが間違っている。こんなことで落ち込むなんて、って自分で分かっているから、ため息はこっそりと土気の臭いが籠もる昇降口に逃がした。

「傘がなくて出るに出られなくてたんだよ」
「けど、今、ちょっと小降りになったから走ろうかと思ってたんだよね」
「ってか、ハチ、いいもの持ってるじゃん」

さっきまで見せびらかした折り畳みは当然勘右衛門に気づかれた。

「や、これに四人で入るのは無理だろ」
「三人ならいけるだろ」
「勘右衛門、今、誰、抜いたんだよ」
「あ、そっか。ハチ入れて四人か」

 思わず、そう突っ込めば、案の定、そんな言葉が返ってきた。このやろ、っとわざと拳を振り上げた俺に「まぁまぁ」と雷蔵が収めようとする。へら、っと笑いを浮かべた勘右衛門に俺は上げていた拳を傘の柄に降ろした。小さくなったそれを開く。

「まぁ、いいじゃん。とりあえず、コンビニまで入れてってよ」
「あ、そっか。そこで傘を買えばいいよね」

***

そうやって四人で傘の中に入ったはいいが、『コンパクトで軽量、鞄の中に入っていることを感じさせません』がキャッチフレーズの折り畳み傘に大の男四人が入ることは当然きつくて。

「ちょ、押さないで」
「痛っ、誰だよ、足、踏んでるって」
「もうちょい、そっち寄れないか?」

何とかして傘の下に収まろうとする。おしくらまんじゅうでもこんなに密着しねぇだろう、ってくらいぎゅうぎゅうだ。だが、一人で使っていても大雨の時は濡れてしまうような小さな傘だ。無理がある。

「もういいや、僕、走っちゃうね」
「え、雷蔵?」

止める間もなかった。濡れないように、と、とろとろ歩いている上に傘を持っていた俺には。兵助が声を上げたが、走り出した雷蔵はあっと言う間に水煙の中に消えてしまって。と、ちらり、と視線を左隣から感じた。何だ、と思っていると、

「あ、じゃぁ、俺も走る。兵助よろしくな」
「え、勘ちゃん?」
「ちょ、勘右衛門、よろしくって、ちょ、おい」

今度は空いていた右の空間から手を伸ばしたけれど、するり、とすり抜けられて。勘右衛門もまた白に溶け消えた。残されたのは、俺と兵助。二人きりだった。

(ちょ、マジで?)

口から出たら二度と捕まえることなんてできねぇだろう、って勢いで飛び跳ねている心臓に、落ち着け、落ち着け、と宥める。と、兵助までもが俺を見ているのに気づいて、俺は先回りした。

「兵助は送ってくから。濡れて風邪引いたら困るだろ」
「俺は風邪引いても、ぜんぜんいいけどな」
「俺が嫌なの。いいから、送らせて」

やや強引な口調で告げれば「ありがとう」と、彼はすとんと俺の隣に収まった。すんなりといきすぎて、もう一声あるかと構えていた俺は言葉が見つからなくて。おぉ、なんて相づちを打ったけど、声は喉に縛られてしまったみたいに出てこなかった。兵助も何も言わなくて。沈黙を埋めるのは雨音だけだった。ちらり、と兵助の方を見遣るが、何も気に留めていないのか、月始めに衣替えをした白が妙に眩しい。

(というか、近いだろ、これ。や、兵助と相合い傘ってすっげぇ嬉しいんだけど、けど、)

少しでも雨を避けるために、と雷蔵と勘右衛門がいなくなったできた空間を詰めたからだろう。すぐ隣に兵助の温もりを覚える。しっとりと濡れた黒髪、淡く赤らんだ唇、睫についた雨粒。あっちこっちでぶつかりあっている心臓はもう限界を訴えていて、俺は、すっと身を引いた。さっきまで右側にあった温かさが消え、隙間から入り込む雨風の冷たさが残される。その涼しさに収まっていく拍動に安堵する一方、自分で作ったくせに淋しいと思ってしまって、ちょっと笑ってしまう。

(あーにしても、相合い傘って難しいんだな)

ぽたん。傘布と骨とが留められている球のような部分に溜まっていた水滴が落ち、兵助を濡らした。緊張故に自分が外側に広がってしまったからだ、と慌てて、彼が傘の中心にできるだけ入るように腕を伸ばす。だが、ぽたん、とまた濡れてしまった。もちろん兵助は何も言ってこないけど、俺が嫌だった。

(何で、ずれるんだ?)

兵助を傘の真ん中に入れよう入れようとするけれど、どうしても、ゆっさ、と風にあおられて揺れた傘を引き寄せようとして、兵助にぶつかりそうになって、たたらを踏んで。そうして、気づいた。---------自分と兵助との歩幅が違うことに。

(そっか、それでか……)

初めて知った気がした。俺の二歩が兵助の三歩くらいだろうか。よくよく考えれば当たり前のことだ。身長だって違うし、足の大きさだって違うのだから。けど、なんか、改めて感じる。俺と兵助は違うのだ、と。それは身体的なことだけじゃねぇ。生まれも育ちも、考え方も、何もかもが違って------それなのに、こうやって一緒の傘の下にいる。

(それって、結構、すげぇことなんじゃねぇか……?)

難しいことは分からねぇけど、ほわり、とした心の温かさが答えな気がして。何だかふわふわした足取りで、けれども、彼の歩幅に合わすことだけは忘れずに歩く。と、ふ、と兵助が俺を見遣った。その目の色が、ふ、と驚きに変わり、突然、彼の足が止まった。同じ歩幅の一歩を慌てて引き戻し、俺もまた立ち止まる。何だろう、と思っていると、

「ハチ、びしょ濡れじゃねぇか」

そう言われて俺は自分を見下ろせば、確かに濡れネズミのごとく俺は頭から爪先まで濡れに濡れていた。呆れたような眼差しで「何でそんな離れて歩いてるんだよ。風邪引くだろ」と尋ねられて、けどそれを答えたら告白するようなもので、「何で、って……」と考えあぐねて。結局、俺は逃げた。「まぁ、いいじゃん。風邪引くくらい」と。

「俺が嫌なんだけど」

しばらく俺を見ていた兵助がぽつりと、漏らした。

「……なぁ、それってどういう意味、って聞いてもいい?」
「もう聞いてるだろうが」

そうぼやく兵助の耳はどことなく赤くなっている気がして、俺はもう一歩だけ、兵助に近づいた。





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