竹谷の里新刊サンプル(竹久々)

※海外某コーヒーチェーンをイメージしたオムニバスです。


Tokyo

外に出たとたん、むわ、っと重たい熱の固まりが喉を直撃して、思わず唇を引き結んで息を止めた。口を閉ざした分だけ、嗅覚に訴えられる。湿気たっぷりの風は、潮が腐ったような臭いを含んでいて----------------ちょっと懐かしい。

(あー、日本に帰ってきたんだな)

そんな実感を覚えながら俺はモノレールに乗り込んだ。巨大なキャリーカートにバックパック、小さなビジネス鞄。思い思いの荷物を抱えた乗客を乗せてガラス張りの箱は淡々と川を渡っていく。観光なのかビジネスなのかは分からないが外国人も多く、飛び交う言語にここが別の国じゃないかと錯覚させられて。俺は外を流れていく景色に目を凝らせた。看板の文字にここは日本なのだ、と言い聞かせるが、妙な気持ちになぜかなる。

(実感が湧かねぇのは、聞こえてくる言葉のせいだけじゃねぇのかもな)

目の前に広がっている景色は、何もかもが変わってしまっていて----------それでいて、何も変わっていねぇ。移り変わりのスピードから取り残された俺は外側から箱庭を眺めているような、何とも妙な気分でガラスの向こうの東京を眺めていた。

(ここに兵助がいるのか……)

 俺に与えられた猶予は三日間。その間に兵助をこの街、東京から見つけ出すつもりでいた。



***
Quebec

「何やってんだ?」

もこもことした防寒着のシルエット。俺よりもやや大柄の男がそこには立っていた。日本よりも北に位置するせいなんだろう、この場所では冬になれば日が沈むのが異常に早い。まだ時計の長針が横に寝そべっている時間帯から暮れていった空はすっかりと闇に包み込まれていて、夜と同化してしまって、輪郭の内側がどうなっているのかよくは分からなかった。だが、その影が近づいてきて、だんだん見えてきた。はっきりとはその人なつっこそうな笑みと、それからカメラを携えていることに。

(っ)

さっきのがカメラのシャッターの音だということに気づいた俺は「何、勝手に撮ってるんだ」と正論を男に浴びせた。勝手に撮影するだなんて、非常識にもほどがある。だが、

「いや、すげぇ綺麗だったからさ」

悪びれもない笑顔に俺は毒気を抜かれてしまった。言い募ろうとした言葉は半開きの唇から逃げていった。どれだけ怒ったところでこの男には通じない、そう思い俺は男に背を向けた。これ以上、この場にいることがバカバカしい。

「どこか行くのか?」

そんな声が追いかけてきたけれど、俺は無視をした。しつこく追いかけてきたら、どうしようか、そんなことを考えながら。-------だが、それ以上、男は着いてくることはなく、俺はほっとしながらホテルへの道を急いだ。



***
Seattle

「この街は、一年のほとんどが雨なんだ」

この街に住むなら雨漏りのないアパートをお薦めする、とひどく真顔で兵助が言うものだから、一瞬、彼の言葉を本気にして実行してしまおうか、と思った。このままここに残って棲んでしまおうか、と。だが、それが叶わぬことだというのは俺も、その言葉を口にした兵助も知っている。-----------なぜなら、俺も兵助も、明朝、この地を発つのだから。だから、迷ってしまった。何て言えばいいのだろうか、と。彼は最初から俺の答えなんか望んでない、とでも言いたげに沈黙をどうにかしようとはしなかった。中途半端に開いた唇を否定に閉ざすこともできず、かといって、互いに望んでいる言葉を肯定することもできねぇでいて。ただただ、窓の向こうを見るしかなかった。

(このまま雨が降り続けていたらいつか水の底に沈んでしまえばいいのに、な……)

降りだした雨が本格的なものになって、ずいぶん久しい。彼は「一年を通して雨は多いけど、こんな風な大雨なのは珍しいな」と呟いていたが、俺には分からなかった。この場所はあくまでも中継地であって目的地ではなかった。だから、飛行機が飛ぶか飛ばないかという天候は重要だったが、一年を通しての雰囲気なんかには関心がなかった。ここに留まらなければ、きっと、一生知り得なかっただろう。--------そして、兵助と出逢うことも一生なかった。



***
Paris

『フランスにいれば、どこに行ってもエスプレッソが飲める』

そう曰った兵助の言葉通り、この街には至る所にカフェがある。目の前にある景色のどこかにカフェの看板が映り込むのだが、色々な店があって、ちょっとおもしろい。大通りに面したオープンカフェもあれば、下町の奥に潜んでいる小さなカウンターしかない店もある。一つ一つの店がそれぞれに違う雰囲気があってカフェと大枠にくくるのは難しい。だた、そのバラバラとした店々の中で共通することが二つだけあった。一つは、エスプレッソが出てくること。もう一つは、ひどくゆったりしているということだ。そんなパリに住む俺の朝は、兵助の淹れた一杯のエスプレッソから始まる。







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