竹久々(現代)

「ただいま」

玄関口から届いた声に、画面に集中していた俺は、一瞬、

「ハチ!?」
「おう。……どうしたんだ? すげぇ、びっくりした顔して」
「や、こんなに早く帰ってくると思ってなかったから」

家庭教師の自分と違い、飲食バイトはゴールデンウィークが稼ぎ時という認識のあった俺は予想外に早いハチの帰りに驚きつつ、ふり返った。「おー、俺も予想外だった」と笑うハチを出迎えるのは、何だか久しぶりな気がした。「すげぇ疲れた」と玄関マットで靴下も脱ぐハチに「洗濯かご」と視線を脱衣所に送る。わーってるって、とぶつりと文句を一つだけ零したハチは、けれど、俺の言葉通りに直行した。消えた背中に声を掛ける。

「ビール、飲むか?」
「お、いいのか? ってかあるのか?」

嬉しそうに声が弾んだのは、たぶん、発泡酒じゃなかったからだろう。一緒に棲んでいる俺たちのささやかな楽しみは、ビールと枝豆と豆腐で一杯やることだった。それが、発泡酒と豆腐に代わったのは、この春からだ。

(そういや、一緒に呑むの久しぶりだな)

GW明けに旅行に行くか、なんて話をしてたのが春休み。けど、色々と計画を立ててるうちに「どうせなら、夏休みの後半に海外とかに行こうぜ」と、いう話になって。まぁ、海外でも近場のアジアとかそんなものなのだろうが、どうせ行くなら長く滞在したいよな、って話になって。行きたいところを挙げていくうちに、どんどん話が盛り上がっていったのはいいのだが、「先立つものがないと」と気がつけば、バイト三昧な日々とさらなる節約生活に突入した。そんな中で、発泡酒じゃなくてビールにしたのは、ささやかな労わりの気持ちだった。バイトで汗を流しているハチへの。

(まぁ、俺はハチとならどこでもいいんだけどな)

別に近場でも海外でも、ハチといたら楽しい。けど、「絶対貯めてやる」とバイトに精を出すハチを見ていると、わざわざそんなこと言わなくてもいいか、と最初は思っていたんだけど。

(けどな……あんまり会えないってのは、なぁ……)

同じアパートに棲んでるはずなのに、全然顔を合わせてない気がした。新学期も始まり、互いに忙しかったこともあるだろう。見るのはいつも朝、爆睡している姿だけで。一緒に晩酌をするどころか、ご飯を食べることもほとんどなくて。別々だった頃の方が、ちゃんと会話をしているような気がしていた。過去の眩さに眩暈う。

(淋しい、……なんて言えないけど)

「ない。けど、今からコンビニ行くから、先、シャワー浴びてろよ」
「何だ。わざわざ買いに行くくらいならいいって」
「いや、俺も飲みたいし」
「なら、一緒に行こうぜ」

裸足で戻って来たハチは、俺の言葉も待たずに、ひょい、とサンダルに足をつっかけた。しわしわのシャツは疲れているような気がしたけれど。久しぶりに二人っきりでどこかに出かけるのが嬉しくて、俺はサイドテーブルに置いてあった共用の財布を手に取った。

***

「そういや、さっき、何、見てたんだ?」
「英国王室の結婚式の生中継」

久しぶりの缶ビールは急速に俺を酔いの中に落としていって。付けっぱなしにしておいたパソコンはスクリーンセーバーの画面になっていた。豆腐が増えていく奴がいい、と以前俺が設定したのは、いつの間にか、動物のイラストが増えていくものに変わっていたのだが、それが、ぐるりと回転しているような気がした。アルコールじゃない酔いに代わりそうだ、とぱ、っとマウスを動かせば、ロイヤルブルー、と称される青にクロスする赤が浮かんだ。

「へぇ、珍しいな」
「何が?」
「兵助がそんなの見るなんて」
「課題だよ。英国王室についてのレポート」

揺れる旗は祝福の象徴だ。すぐに画面が切り替わり、聖歌隊が神に祈りの歌を届かせれば、宗教画に出てきそうなトランペットが響き渡る。-----------世紀のロイヤルウェディングというだけあって、格式高い。音量を消せば、まるで映画を見ているようだった。ゆらゆらと揺らめく純白とロイヤルブルー。

「綺麗だな」

その情景に思わず溜息が零れれば、そうだな、と相槌を打ったハチがじっと俺の方に視線を注いでいるのが分かった。

「…何?」
「いや、兵助の方が綺麗だな、と思って」

ちょうど画面は新しい妃が白いヴェールに包まれ倖せそうな笑顔を見せている所で。俺は光景そのものを言ったのだが、どうやらハチの方は王妃そのものと比べて言っているようだった。冗談でもからかいでもなく、真剣だと分かっているからこそ、恥ずかしさに視線を伏せてしまった。

「……俺はイギリスの景色のこと、言ってたんだけど」
「え、あ、」

俺との齟齬に気付いたハチの声に恥じらいが見えて、さらに恥ずかしさが募ってくる。何か別の話題を、と思ったけれど、とっさに出てこない。ぱ、っと視界に入るのはロイヤルウェディングに歓ぶ英国の情景で。

「この教会とかもすごいよな」
「あぁ。世界遺産なんだっけ?」
「そうそう。一回、この目で見てみたいよな」
「なら、ここにする? 夏休みの旅行先」

イギリスとかあと何十万か貯めないとだけどな、と笑うハチに、ぎゅ、っと淋しさが落ちてきた。それだけ貯めるために、また、ハチとゆっくり顔を合わせる日々がなくなるのだとするのならば、

(…そんなの、いやだ)

不意に目の奥を青が襲った。ロイヤルブルーじゃない、海の青。じわり、と喉を通るのはビールじゃなく、もっと塩辛いもので。じわり、と画面の白が滲む。頭上から焦った「兵助?」という声が降ってきた。

「……イギリスなんて行かなくていいからさ、一緒にいたい」
「兵助……」
「誓いの言葉も指輪も人々の祝福もいらない……ハチが傍にいてくれればいい。それが俺の一番の倖せなんだから」

ぐらぐら揺れる。自分でも何を言ってるんだと思う。こんな重たいやつ、迷惑だろう。------けど、止まらなかった。

「ごめん、変なこと言って」
「……変なことなわけねぇだろ」
「え?」

優しい温もりが、俺を包み込んだ。

「俺だって、兵助の傍にいるのが一番の倖せに決まってるだろ」



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ついったの竹久々結婚タグとロイヤルウェディング見てたら書きたくなったので(笑)





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