名付けたくない感情

風邪で倒れて以来鬱いでいた後輩が久し振りにスッキリした顔になった夜。未だ少し不安定だがもう大丈夫だろうと見守る先で、後輩はケータイを取り出し画面を見詰めた。誰か友人にでも連絡を取るつもりなのだろう。しかし元気付いたとはいえ迷いは完全に捨てきれないようだ。部屋の隅、強張った表情で暫くそれと対面した後漸く後輩は電源を入れた。

その途端鳴り響いた着信音。

ケータイを握り締めたまま驚いた表情で硬直する後輩に声を掛ければ狼狽えながら謝り席を外していった。件の友人からか、他の友人か。はたまた風紀か教師か。
相手が誰なのかとつい考えてしまったが、それは少々邪推かと頭を振って思考を散らす。

それでも共に喜ぶ事になるか、宥め慰める事になるか気になる。第三者でありながら落ち着かない気分で待つと思っていたより早く扉の開く音がした。もう話し終えたのかと顔を上げれば、後輩は扉の隙間から手に持つケータイの通話口を塞いで困った顔をしている。その姿に訝しく思いながら声を掛けた。


「どうした?」

「……えっと、ですね。電話、親からだったんですけど……」


予想外の相手だったが納得する。恐らく担任から連絡が行ったのだろう。やや疲れた様子に怒られたのかと問えばそうだとげんなりした様子で返される。あまりに嫌そうな顔だったので笑うと一端拗ねて眉を顰めるが、その口が何か言い淀むよう動いている事に気付いた。


「何か言われたのか?」

「……その。風邪の間先輩にお世話になってるって話したら、お礼言わなきゃだから、代われって……」

「……俺に?」


頷いた後輩は良いですか?と申し訳無さそうに見下ろしてくる。後輩の保護者と電話。確かに普段接する機会の無い立場の人間相手となると躊躇するが、出ない訳にもいかないだろう。
眉を下げて窺う後輩からケータイを受け取り、隣に座らせ近くに来た頭を撫でながらそれを耳に当てた。


「代わりました。緒方と申します」

『あらあらこんばんはー。もう、すみませーん。悠真の母ですー。息子がお世話になっちゃって。もー、何か色々ご迷惑をお掛けしてるみたいで、本当にもぉー』

「いえそんな。好きでやっている事ですから」

『あらー。本当に丁寧でしっかりした子なのねぇ。申し訳無いのだけど助かりますー。ありがとう』


代わって直ぐ、勢いに少し押される。後輩の親だからと穏やかなものを想像していたのだが、次々に掛けられる言葉に圧倒され返すだけでやっとだ。後輩が変わるのを躊躇った理由を悟りながら話を聞く。後日また礼をする等と言われ断ろうとしたが遠慮するなと押し通された。母親とは強い、と恐縮しながら礼を言えば笑い声と安心したような溜め息が聞こえてきた。


『ぼうっとした所があるから目の届かない所に行っちゃうの心配してたんだけど。貴方みたいな子がついてくれてて安心したわぁ。また色々面倒掛けた時は別の時に遠慮無く使っちゃって良いから、どうかこれからもうちの子の事、よろしくお願いします』

「はい」


時折子供扱いされる事に不思議な気分になりながら返事をする。礼をまた返された後、後輩へ代わるよう言われ目線を下げた。
撫でられる体勢のまま緊張の面持ちでこちらを見ている後輩。何を話しているのか気になって仕方無い、という様子に笑いそうになりながらケータイを返せば会釈をした後少し離れて耳に当てた。


「……何も変なこつゆーとらんよね。…………本当ね?先輩何か困っとらしたとばってん。は?何てね……って、ちょっと、」
(「……何も変な事言ってないよね。…………本当に?先輩何か困ってたけど。は?何を……って、ちょっと、」)


潜められ小さい話し声は親相手だからか砕けた物言い。何と無く微笑ましく思いながら見ていると切られてしまったのか画面を見て呆然とする後輩。溜め息と共に脱力した背中へ苦笑しながら声を掛けた。


「終わったのか?」

「はい、いきなりすみませんでした。……あの、母から何か妙な事とか言われませんでしたか?」

「妙な事は無いが……お前の事をよろしく頼むと言われたな」

「そぎゃんこつ言われたっですか!?っ……あ」
(「そんな事言われたんですか!?っ……あ」)


後輩は慌てた様子で驚きの声を上げた口を押さえた。やってしまった、と言うような罰の悪い表情で見上げる頭に手を置き目を細めた。


「久し振りだな。そうやってうっかり喋るのは」

「……親とのやり取り未だ引き摺ってたみたいで……忘れてください。……取り敢えず、すみません。母さん、十分変な事言ってましたね」

「いいや、そんな事は無いさ。言われなくてもするつもりだし」


先日錯乱気味になった時も方言ではあったが、曖昧な記憶を思い出させるものじゃないかと伏せて話し掛けた。恥ずかしげに少し頬を染めた後輩は気を取り直すよう首を振って深呼吸をする。そうして頭を下げようとするのを留め髪を撫でた。似たような事を言っただろうと言い聞かせれば確かに、と漸く落ち着く。それを見て手を離し、少し席を外した。








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