忘れじの

しん、と静かな廊下を歩めば身を刺す木枯らしが古い窓枠をガタガタと揺らす。芯から冷える空気は吐いた息を白く凍らせ見た目にも寒々しい。耳がピリピリと痛むが温めようにも指先すら悴んでいて。こういう時は長髪の方が得なのだろうかと詮無き事をつらつら考える。
そうして進む内辿り着いた部屋の前。上げた手に揺らいだ躊躇いは一瞬で、少々立て付けの悪い戸を二、三音を鳴らして来室を告げる。そのまま立ち尽くし、返事が無いのを確認して取っ手に手を掛けた。

慎重に戸を引いた瞬間、中の空気がぶわりと顔を包む。それに噎せそうになりながらも入り戸を閉めれば暖かい空気が身に染みてぶるりと体を震わせた。暖房がきいた部屋はなかなかに居心地が良く、外に出るのが億劫になりそうだ。だがあまり長居はしていられない。ヤカンの立てる湿気の匂いに鼻を鳴らし、ぐるりと室内を見渡して目的の机に狙いを定める。誰もいないのは分かっているがそれでも忍び足で素早く近付いたところで、ガラッとベランダの引き戸が開かれた。


「っ。……いたのか不良教師」

「おう、なんだクソガキ。入室許可は出した覚えねーぞ」


後少しだったのに。
チッと舌打ちを鳴らせば何だその態度は、と近付いてきた教師が眉を寄せる。ふうっと吐いた息から届いた香りに、こちらも顔を顰めて返した。


「そこ、喫煙禁止なんじゃないですかー。良いんですかチクってもー」

「かー。イヤなヤツー。とっとと卒業しちまえ」

「言われなくても後半月もすりゃ卒業しますー」


べーっ、と舌を出して言ってやる。言いながら、自分の言葉がチリリと胸を引っ掻く心地に口を歪めた。
三年間の履修を積み、試験は途中で結果は未だだが、次へ行く場所は決めている。後もう半月も経てば卒業してこの学校を去る事になる。勉強やら運動やら面倒にしか思っていなかったけど、それを過ごした学校にいられるのが僅かしかないと思うと寂しくもあるし、また別の理由で苦しくもある。

少しだけ感傷的な気分になり、クルリと体ごと教師から視線を外す。と、丁度目的であった机に行き当たり益々気分は降下した。


「……つーか。机散らかり過ぎじゃねぇの」

「いーだろ〜」


嫌みを言ったのに自慢するのはどんな神経かと思う。しかし、今日机を散らかしている物は男として勲章にも値するものだろう。プリントやノートの上に積まれた、主にピンク色で占められた色とりどりの箱の山。きっちり梱包されていても甘い匂いがしそうなそれらはバレンタインという今日この日。横でニヤつく教師に渡された物だ。おモテになるようで羨ましい、というより、憎らしい。
お前は貰えたの?だの聞いてくるのを溜め息一つでスルーして机を指で叩く。


「なんで女子って先生にチョコあげたがるかな」

「年上の教師に憧れる年頃だろ。カワイイじゃん?」

「その相手がアンタってのは趣味悪い」

「んだと。こんなイイ男つかまえて何を言うか」

「それ自分で言うか」


呆れて睨むが奴の言葉にそう偽りは無い。口は多少、どころかかなり悪いがそれなりに生徒思いだし、授業分かりやすいし、話面白いし。何より、見た目がかなり良い。そんなもんだからこの教師は他の教師と比べても圧倒的に女子人気が高い。そんな様子はこの三年間嫌という程見てきた。

かなり久し振りに訪れた俺に何を聞くでなく悪態を吐き返す、一年時の担任かつ部活顧問な教師。反抗期な生徒の馬鹿みたいな言動を同じように馬鹿みたいにやり返す姿は本当に教師なのかと毎度呆れさせられる。そんな人なのに。


「お前はくれないの?」

「今までやった事あったっけ」

「ねぇなあ。恋人なのにせんせーかなしー」


笑う教師から目を逸らし机に背を付ける。切っ掛けなんてよく覚えていない。何となく引かれて、告白して、まさかのオッケーで付き合って、こうしてたまに二人きりで会ったり遊びに行ったりしていた。でも、それだけ。手を繋いだ事はあるけどキス一つした事は無い。
教師と生徒だから、なんてそれらしい理由を付けられてもヘラヘラ言われたんじゃ信用できなくて。あぁ、遊びなのかと静かに理解したのはだいぶ前。それでも嫌いになれなくてだらだらと今まで。それも、きっと卒業したら終わる。卒業したら今までみたいに会えないし、そのまま自然消滅してしまうだろう。こんな適当な男の事だ、そうなるに違いない。辛いけど、きっとそんなものなんだろう。
手元にあった可愛らしいリボンをつつきつつ、重い口を開く。


「……告白とかされたの」

「ん?んー、どうだろな」


されたんだな、と惚けた顔を横目に睨んで歯を食い縛る。年に一回の大義名分。それを口実に想いを告げる女子は少なくないだろう。特に卒業を控えた生徒なら本気だろうがおふざけだろうがぶつかって。その内の誰かが俺の代わりに付き合ったりするのかも。
つい顔を歪めた俺に気付いているのかいないのか。機嫌良さげに椅子に座った教師はキュルリ音を鳴らしてこちらを見上げ笑う。


「まぁまぁ。そう不貞腐れなさんな。若い頃の恋愛はなんでもしとくもんだぜ」

「……どーせ若気の至りってやつで直ぐ忘れるだろ」








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