決着の着かない想い





人気の無くなった廊下で立ち止まり硝子越しの景色を見下ろす。窓の向こうではぶ厚い雲の隙間から沈んでゆく日が校舎に影を垂らし長く濃く伸びている。その影が次第に風景に溶けていくだろう様を思い、僅か顔を顰めた。とうとう今日という一日を終わらせる夜が来る。

少し前までは待ち遠しく思い、最近では緊張を覚えながらも大切であった一時。だが今日は。あまり来てほしくない時間だった。そう思わせる相手の顔を思い浮かべ、同時に昨晩やってしまった己の失態を回顧し、眉間を押さえ項垂れる。

失敗した。
何故あんな馬鹿げた事をやってしまったのか。本人にその気が無いのはよく分かっているが、まるでこちらの想いへ揺さぶりを掛けるかのような行動に耐えきれず忠告したまでは良い。しかしその後そういった意図を持って触れたのは、果たして本当に忠告の為の方便であっただろうか。……未だ指先に残る熱の記憶がそうだと断言させてくれない。自分がこれ程まで堪え性が無いとは思わなかった。

扉を潜り外へ出て、拳を額に当て深く息を吐く。気が重いせいか時間にしてはやけに周囲が薄暗いように感じる。そんな情けない思考を払うよう髪を掻き上げ足を進める。
今日も後輩は部屋に来ているだろう。俺があんな事をやっても全く態度も顔色も変えずにいたのだから。そんな彼に安堵と、ほんの少しの落胆を感じながら帰した昨日。程々に、と再三言い付けたからにはそう無茶はしてこない筈。後は俺が余計な事さえしなければ、良いんだ。

自制自制、と悶々としたまま重い足を動かし自室の扉を開く。ノブに手を掛けたまでは億劫だったというのに明るい室内で顔を上げた後輩が安心した顔で笑むのを見てしまえば胸が弾み勝手に口角が上がる。我ながら現金なものだと呆れながら帰宅の挨拶を述べた。











「色々考えてはみたとばってんやっぱり分からんけん。こうなったらもうせん、……貴之さんに頑張ってもらうしかなかと思ってですね」
(「色々考えてはみたんですけどやっぱり分からないので。こうなったらもうせん、……貴之さんに頑張ってもらうしかないと思ってですね」)


「……何をだ」

「スキンシップですよ」


人差し指を立て提案する後輩に頭が痛くなる。いつものように対面で食卓を囲み、茶を傾けていた時分。それまで落ち着かなげながら大人しく座っていた後輩が突然言い放った話に返事をすればこの一言。苦い溜め息を吐き出し、睨みを返しながら口を開いた。


「お前は……昨日言った事をもう忘れたのか」

「わ、忘れとらんですよ!だけん貴之さんから教えてもらおうて思ってかっ言いよるとですっ」
(「わ、忘れてないですよ!だから貴之さんに教えてもらおうと思ってから言ってるんですっ」)

「教える?」

「はい」


慌てた様子で否定し、頷いた後輩は居住まいを正して息を吐く。そして軽く身を乗り出して口を開いた。


「スキンシップは程々にって昨日貴之さん言ったじゃなかですか。でも程々っていうのがサッパリ分からんでですね。だけん、貴之さんから触ってどこまで良かとか教えてください」
(「スキンシップは程々にって昨日貴之さん言ったじゃないですか。でも程々っていうのがサッパリ分からなくてですね。だから、貴之さんから触ってどこまで良いのか教えてください」)


さぁ、と晴れやかな顔で手を伸ばす後輩に口が引き攣った。
昨晩あれ程の言い含めておいてこれか。いや、言い付けたからこそ自分なりに話の折り合いをつけようとしているのだろう。触れたい、触れられたいという後輩の願いと節度を持とうという俺の意見。それを両立させる為の方法を聞きたいと。
こちらとしても触れたいという思いはある。けれどそれをするには憚られる理由があってだな。

話すにはリスクのある断りをどう噛み砕いて伝えるか。考えたところで緊張した面持ちで真剣にこちらの反応を窺う様子を見てしまえば拒めはしないと諦めに肩を落とす。
どうあっても後輩を突き放せないのに無駄な足掻きばかりだ。口元に浮かんだ笑みはそんな自分への自嘲だと言い聞かせ、了承を返した。


しかし。分かったと言ったところでどうするのか。
彼からの接触ならばそれをそのまま返してやれば良い。彼が喜び自分が耐えられる程度に接しつつ、度が過ぎればたしなめる位どうとでもできる。けれど俺からとなると。
どこまでなら大丈夫かなんて、俺が知りたいものだ。


思い悩む目の前で後輩は期待に目を輝かせ俺の手を待つ。餌の前で許しを待つ子犬の様な有り様に思わず吹き出せば気を害したらしく文句を吐かれた。謝って笑いを治めれば力が抜けていて。指先だけならば大丈夫だろうと差し向けられた掌へ己の手を伸ばした。


「?握手ですか?」

「手を伸ばされたなら取り敢えずするだろう?」

「それもそうですね」


伸ばされた手を掴み軽く繋ぐ。未だ子供の柔らかさが僅かに残る体温に少し胸が跳ねたが触れた瞬間だけで。確かにこれ位ならば大丈夫だと落ち着き指を小さく撫でる。不思議そうに首を傾げた後輩が納得しつつこそばゆそうに身動ぐ姿に苦笑した。



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