終わりの日まで愛して

窓の隙間から差し込む光の眩さに目を渋々開けた翌朝。
私の体は最悪最低のコンディションだった。
恐らく前日に全力疾走したせいだろう。
この歳になってあんなに走る事なんて基本的にはない。
長年に渡り運動していなかった事が祟ったのだ。

鉛のように重い体を無理矢理動かしベッドから這い出ると。
これまた重い足を引き摺りながら漸く台所へと辿り着いた。
何かを忘れているような気がするけれど忘れる程だ、屹度大したことではない。
却説今日からまた仕事が始まる。
体が重いだの痛いだの云っていられないのだ。
昨日買い物に行っていない冷蔵庫の中は当然ながら殆ど何も入ってはいなかった。
仕方がない仕事に行く前に朝食を買って行こう。
顔を洗って化粧をして、服を着替えて髪を整えて。
此処でやっと私は気付いた。
彼の存在に。
そうだ、今私は"二人暮らし"をしていたのだった。

太宰さんが寝ているであろう部屋の扉をそっと開けると、彼はまだ蒲団に包まっていた。
枕元には一体何処から持ってきたのか、酒瓶が転がっている。
一人で酒盛りでもしていたのだろうか。
起こすのも何だか気が引けてしまうが、かと云って放って置くわけにもいかない。
しかしそろそろ家を出なければ仕事に間に合わなくなってしまう。
見るからに暫くは起きそうにないと判断した私は簡単にメモを書き机上に置いて出掛けた。

筋肉痛の酷い時の仕事程辛いものはないと思ってしまうくらい今日は特に過酷だった。
とにかく体が動かない。
何をするにもあちこちが痛む。
時折漏れ出る声に上司や同僚、後輩までもが心配して声を掛けてくれた。
とてもストーカーと追いかけっこをして筋肉痛になったとは云えないが。

仕事が終わってから思い出したが、そう云えば太宰さんから連絡が来ていない。
メモを残してきたとは云え、何も連絡がないと少し不安になってしまう。
若しかしてまだ寝ているのだろうか。
いろいろな考えを巡らせつつ外に出ると見慣れた外套を見つけた。
包帯を何重にも巻いたその人もまた私を見つけるなりこちらへ歩いて来た。

「やあお帰り」
「何で職場が分かったんですか」
「私は探偵だよ?それくらい朝飯前さ」

この人がもし一歩道を踏み間違えてストーカーにでもなった日には、奴よりも大変な事になるかもしれない。
因みに仕事の事は一切何も話してはいなかった。
当然ながら職場の場所についても何も云っていない。
国木田さんにも話してはいないのだが。
本当に如何やって探し出したのか。
それも今日一日で。
まさか後をつけられていたとか。
これ以上ストーカーが増えるのは勘弁して欲しいところだ。
そう思う反面、太宰さんを見つけた瞬間安心した事もまた事実ではある。
驚きよりも嬉しさが勝っていたと云うのが本当の処だ。

「何処からストーカー君が君を狙っているか分からないからね。彼氏の身としては身を案じて迎えに来るのは当然の事だ」
「彼氏(仮)ですけどね…でも有難うございます」

ゆっくりと握られた手が熱く感じるのは気のせいだと信じたい。
彼氏(仮)なのだ。
この件が終わればもう何でもなくなる。
私と太宰さんはそう云う関係だ。

握られた手を咄嗟に離してしまったのは決してわざとじゃない。
たまたま離れてしまっただけだ。
まだ触れられた部分が熱く感じる。
屹度暑さのせいだ。
断じて照れているなんて事はない。

やれやれと云いつつ私をご飯へと誘ってくれた彼氏(仮)の誘いに乗り。
彼の後ろを微妙な距離を保ちつつついて行く。
入り組んだ道を進んで行き、やがて足が止まったのはレトロチックなお店の前だった。
近くにこんなお店があるなんて知らなかった。

店内も懐かしい雰囲気を醸し出しており、まるでこの空間だけ時間がゆっくりと流れているような錯覚に陥る。
一番奥の席へと腰を掛けると愛想の良い美人な店員さんがメニューを持ってきてくれた。
までは良かったのだ。
太宰さんが「可憐なお嬢さん。どうか私と心中してくれませんか」と云い出すまでは良かったのに。
その科白で何もかもが台無しになってしまった。
店員さんは愛想笑いを浮かべつつ完全に引いている。
彼女の手を握る太宰さんの男らしい手を止める相手は私しかいないので。
呆れつつ止めなさいと無理に引き離す。
嫉妬しているのかい、なんて笑えない冗談は流しておいた。

「太宰さんはいつもあんな事してるんですか、女性に」
「そうだねえ。美女との心中が私の夢なので、綺麗な女性を見るとつい声を掛けてしまう」
「はあ…」
「でも君は特別だ。いろんな意味でね」

檜皮色の瞳が真っ直ぐ私を見つめる。
心音がバクバクと五月蠅い。
全身の血液がぐるぐると駆け巡っているのが厭な程に分かる。
でも忘れてはいけないのだ、彼が女好きである事を。
つまり他の女性にもそうやって云っているに違いない。
そんな考えに一寸悲しくなったなんて事は決してない、絶対に。
はいはいと云わんばかりに視線を逸らすと太宰さんんは冷たいねえと苦笑した。

「絶対に騙されないんだから…」



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