▼ 01

 放課後の生徒会室。
 副会長の誠一が淹れてくれた紅茶片手に山のような書類と格闘していた俺の耳は、ふと異音をとらえた。大股で廊下を歩いてくる足音。去年一年で聞き慣れてしまったそれに思わず顔を上げると同時、生徒会室の扉が音を立てて勢いよく開いた。

「ういーす、どうよ調子は」
「先輩、生徒会室は部外者立ち入り禁止です」
「部外者ぁ? 後輩の面倒見にきた優しいOBの間違いだろ。あ、これ差し入れね!」
 
 手に持っていた紙袋を誠一に押しつけた闖入者、つい先日俺と交代で引退した前生徒会長である三崎先輩は、満面の笑みでやって来ると背後から俺の肩を抱き、手元の書類を覗き込んできた。

「なんか困ってることねえの? 優しい先輩が相談にのってやるよ」
「ないです」
「優秀だなあ。可愛げがねえぞ」
「なくていいです」
「うそうそ、和哉はサイコーにかわいいよ」
 
 妄言を吐きながら俺の髪をぐしゃぐしゃにかき回す三崎先輩は、親衛隊あたりが見ればうっとりしてしまいそうな笑顔を浮かべる。生憎俺は先輩に心酔している親衛隊員ではないのでその手を払い落としながら室内を見回すが、誠一は紙袋を持って備え付けの給湯室に引っ込んでしまい、会計と書記である後輩達は二人で何か話している様子はあるが助け舟をだしてくれる様子はない。仕方なく体を捻り、背後の三崎先輩を見上げた。

「あの、何なんですか邪魔しにきたんですか?」
「なーんだよ、冷てえなあ。せっかく遊びに来た先輩に椅子の一つも出せねえの?」
「……」
 
 と言われると無視できないのが去年一年ですっかりしみついてしまった上下関係のこわいところである。
 条件反射で立ち上がると同時、誠一がトレイにティーセットとケーキを載せて戻ってきた。「良かったらこちらでどうぞ」と先輩に声をかけつつ応接セットに向かう。気が利くじゃんと笑う先輩に引きずられるまま後を追うと、誠一の手で手際よく二人分のケーキが配置された。俺の分まで隣に並べなくてもいいのに、いささか気が利きすぎだった。

「和哉も座れよ。好きだろここのケーキ」
「何で知ってるんですか」
「そりゃ愛の力?」
「は? こわいんですけど」
「ハハハ、つれねえなあ。まあそこもかわいいんだけど」
「……」
「まあまあ座れって。好きなんだろ、いっぱい食べな」
「……いただきます」
 
 食べ物に罪はないし、なぜ知っているのかは別として確かにそのケーキが俺の好きな店のものであるのも事実だった。大人しく三崎先輩の隣に腰を下ろし、両手を合わせる。絶妙な甘さのクリームに内心舌鼓をうっていると、また肩を抱かれた。

「うまい?」
「近い……」
「ちゅーしていい?」
「よくない!」
 
 思わず肩の手を振り払うと、三崎先輩は目をぱちくりさせた。

「なんで?」
「何でって」
 
 そんなきょとんとした顔をされても。

「この前はさせてくれたじゃん」
「な、」
 
 何を言い出すんだこいつは。いや先輩にこいつとか言うのはあれだけど、でも本当になぜこんな所でそんなことを言うのか。だって全員が手を止めてこっちを見ている。嫌な汗をかきそうだった。

「さ、させてないです」
「したよ」
「というか別に俺がさせてあげたわけじゃなくて三崎先輩が勝手にしたんじゃないですか」
「でも気持ちよかっただろ?」
「き、な、そ、そういう問題じゃなくて」
「そういう問題だよ。キスだけでメロメロになっちゃって乳首もチンコも触らしてくれたじゃん」
「そっ、ちが、つうか言うなよ!」
「でも事実だし。めちゃくちゃ可愛かったからまたしたいんだけど。ダメ?」
「だ、駄目駄目! 無理です!」
「何でだよ」
 
 ぐいぐい迫られソファーに半分押し倒される体勢になるが、さすがにここは譲れないというか、そもそもまず人前だし、誠一達の目もあるし、いや人前じゃなければいいのかと言われると決してそういうわけではないのだが。

「だってそもそもこういうことってそんな気軽にするもんじゃないでしょ。好きなもん同士というか、恋人とするべきことであって」
「じゃあ付き合う?」
「えっ?」
「俺和哉のこと好きだよ。だから付き合おうか」
「え、な、いや……」
「それならちゅーしていいんだろ?」
「……」
 
 三崎先輩が優しく目を細める。俺のことが好きだなんて絶対に口先だけだろうと、そういうことをしたいだけのただの嘘だろうと思うのに至近距離で見つめられてしまえばついこの前のあれこれを思い出してしまって返す言葉に詰まって、近づいてきた唇を思わず見つめてしまった時。

「ちょっとターイム!」

 大声で割って入ってきた声にすんでの所で我に返った。急いで自分の口を手で押さえてガードする。

「なんだよ」
 
 眉を寄せた三崎先輩が顔を上げる。その体を押しやりながら体を起こすと、後輩のうちの一人、会計の恭平が立ち上がって仁王立ちをしているのが見えた。

「いや先輩方に口を出すのは本当に本当に大変恐縮なんですけど、さすがに黙って見てられないと言いますか」
 
 恭平の言葉に、三崎先輩はむっとしたように口をとがらせた。

「なんで」
「だって見てくださいよ和哉さんを。こんなに見た目男前なのにチョロすぎてただのヒヨコちゃんになっちゃってるじゃないですか」
「いいじゃん、かわいくて」
「いやいやもう、恋愛経験もないピヨピヨの和哉さんには三崎先輩の相手は荷が重すぎますよ。騙されてぺろっと食われてうっかりハマっちゃったところで呆気なくポイ捨てされて泣くのが目に見えてるし」
 
 ものすごい言いぐさだが、冷静に考えると全くその通りだった。恭平の言う通りの未来しか見えない。危ないところだった。

「さすがにそんなことしねえって。よく考えろよ、こんな可愛い子にそんなことできる? ひでえ男だなあお前は」
「俺はしないっすけど三崎先輩ならしかねないでしょ。悪名高すぎますもん」
「ほんっとに生意気な後輩だなあ。な?」
 
 楽し気に笑った三崎先輩は、俺の頭をよしよしと撫でた。よしよしじゃない。もうほだされるわけにはいかない。

「生意気と言われようとも俺は和哉さんの味方なので。じゃあせめて誠意を見せてあげてくださいよ」
「誠意? どうやって?」
「どうって、あー……ええと、そうですねえ」
 
 口ごもり宙を睨んだ恭平は、それから困ったような顔で室内を見回した。書記の武に視線を止めるが、武は黙ったまま同じく困ったように首をかしげる。次に恭平が視線を動かした先、王子様然としたスマイルでにこにこと成り行きを見守っていた誠一は、恭平と目が合うと小さく肩をすくめて立ち上がり、おもむろに発言した。

「では記念すべき第一回生徒会会議を始めたいと思います」
「な、」
「議題は三崎先輩がどうしたら誠意を見せて僕達を信用させられるか。武くんボードよろしく」

 何だ一体。急に何か始まってしまった。
 一人うろたえる俺の前で武が部屋の隅からホワイトボードを転がしてきて俺と三崎先輩の目の前に設置する。事態についていけずに思わず隣を見るが、先輩は半笑いで腕組みをしながら見守る姿勢に入っていた。完全に面白がっているようだ。

「意見がある人は挙手お願いします」

 そう言ってぐるりと室内を見回した誠一は、誰も口を開かないのを見ると一つ咳払いをした。

「じゃあ僭越ながら僕から。僕としては身辺整理をお願いしたいです」
「身辺整理?」
「親衛隊やセフレやその他諸々全員と手を切って、今後も絶対に浮気しないと誓ってください」
「なるほど」

 ひょいと片方の眉を上げた三崎先輩は、俺を見るとにこりと微笑んだ。

「いいよ。これからは和哉一筋にする」
「……」

 そんな優しい顔で頬を撫でられても返答に困る。黙っていると、ホワイトボードに「身辺整理」「浮気厳禁」と書いた武がふと口を開いた。

「でも口先だけならなんとでも言えますよね。もうすぐ卒業だし、俺達の目も届かなくなるし、いくらでも遊び放題というか」
「ええ? しねえよそんなこと」
「ではそこは卒業後も見張っていただくように堂島先輩に協力をお願いすることにします」

 誠一が真面目くさった顔で言う。ちなみに堂島先輩とは三崎先輩と同時に引退した前副会長のことで、確かに一番仲はいいはずだし進学先も同じだし卒業後に住むマンションまで同じと聞いていたから見張りとしては確かに適任なのだろうが、しかしさすがに迷惑なのではないかと、というかそこまでせんでもと思ってしまったが、三崎先輩は苦笑いして「まあいいけど」と頷いた。

「じゃあ次俺いいすか。和哉さんに手出すなら段階を踏んでほしいです」

 次に挙手したのは恭平だった。三崎先輩は俺の頬で遊びながら首を傾げる。

「段階?」
「そう。ちゃんと浮気しないことを時間かけて証明して、その後デートするとか手をつなぐとかゆっくりやってほしいですね。いきなり手出すんじゃなくて」
「そこまで指定すんのかよ」
「だって可哀想じゃないすか。ピヨピヨのヒヨコちゃんにいきなり三崎先輩のただれたセックスは刺激が強すぎます」
「お前は俺のセックスの何を知ってんだよ」

 さすがに呆れた顔をする三崎先輩だったが、「でもまあその通りだな」と頷いた。その通りと言われても。

「ちなみに時間かけて証明ってどんくらい時間かけんの?」
「少なくとも一年は」
「長ぇよ。一年もおあずけかよ」
「和哉さんの卒業を待つくらいしてもいいんじゃないすか。その間浮気しないならさすがに多少は信用できるし、俺達も納得できますよ」
「うーん……なげーな……」

 そもそも何でお前らを納得させなきゃいけないんだ、だの、お前らは和哉の何なんだ、だのぶつぶつ言っていた三崎先輩だったが、確かに俺もその通りだとは思うのだが、しかし結局はしぶしぶ頷いた。

「まあいいよ、でもちょっとつまみ食いくらいは許して。デートだの何だのは長期休み中に平行してさせてくれ」
「それくらいならまあ、健全な関係を保っていただけるなら許可しましょう」

 なぜ俺でなく恭平が許可するのかは謎だったが、一応の合意に達したことで「段階を踏む」とホワイトボードに記した武が最後に口を開いた。



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