▼ 01

 三嶋は朝に弱い。五分おきにセットしたアラームの六回目でかろうじて目を覚ますがまたすぐに眠りにつき、八回目で俯せになり、十回目でなんとか腕に力を入れて体を起こす。が、すぐに重力に負けて枕に顔を伏せ、十二回目でようやくベッドから転がり出る。
 そんな風にして一時間かけてかろうじて起床した後は、ふらふらと寝室を出て、洗面所へ向かう。まだ若干うとうとしながら歯を磨き、顔を洗い、そこでやっと目が覚めてきたのを感じながら寝癖を直す。それから寝室へ戻り、制服に着替え、ネクタイを締め、部屋を出る。
 その日も同じ過程を辿り部屋を出た三嶋は、寮の食堂へ向かう道中、ふと思いついた。そうだ、目安箱をつくろう、と。





「目安箱? 何それ?」
「目安箱は目安箱だろ。意見とか要望だとかを投書してもらうやつ」
「何のために?」
「よりよい学校にするために」
「ハァ? めんどくさ。いらないでしょ、そんなん」
 三嶋の提案を一刀両断した佐久間は、鏡片手に髪型チェックに余念がない。
「何でだよ」
 一刀両断された三嶋は若干拗ねて口をとがらせたが、佐久間の視線が一向に自分に向かないことに気がつくと、諦めて矛先を変えた。
「神田はどう思う?」
「どうでもいいです」
 変えた先の神田は両手にダンベルを持ち、筋力トレーニングに勤しんでいる。
「相馬は?」
 また諦めて視線を移すと、真面目に書類と向かい合っていた相馬が顔を上げた。
「どうもこうも、どうせもう作ったんでしょう?」
 反対に尋ね返され、三嶋はぱっと目を輝かせる。
「さすが相馬。分かってるな」
「それはまあ、長い付き合いだからね」
 相馬は苦笑しながら左手の人差し指で眼鏡を上げる。三嶋の考えていることは、母親同士が大の親友で実家は隣同士、進学先も同じ、十八年来の腐れ縁である相馬には嫌でも分かってしまうのである。
「え? もう作っちゃったの?」
 ようやく手鏡から視線を上げた佐久間は、細く整えた眉の間に皺を寄せた。相馬とは違って三嶋との付き合いが生徒会に入った数ヶ月前からである佐久間にとっては、三嶋の行動は常に唐突で突拍子がない。
「そう。これ」
 そんな評価を受けているとは知らない三嶋は、満面の笑みでどこに隠し持っていたのか大きな箱をデスク上にとんと乗せた。
「へー……これはまた……」
「ずいぶんレトロですね」
 言葉につまった佐久間の後を、神田が引き継いだ。
「目安箱といえばこれだろう」
「そうなの?」
 やけに達筆な黒文字で大きく目安箱と書かれた木箱を前に、佐久間は首をひねる。
「常識だろ」
 が、三嶋に軽く頷かれ、「そうなんだ」と呟いた。箱入りで育てられ若干常識に疎いという自覚はあるので、強く言い切られてしまうとそういうものなのかと納得せざるをえないのだった。黙ってしまった佐久間の代わりに、相馬が尋ねる。
「で、投書が来たらどうするの?」
「返事を書く」
「誰が?」
「俺が」
「何て?」
「それは来てみないと分からないけど。叶えられそうな要望なら検討するし、出来なさそうなことなら無理ですって書く」
「そうか。じゃあ投書用紙の書式はどうしようか。何か考えてる?」
「もちろん。あのな、まずーー」
 事務的な相談を始めた三嶋と相馬から視線を外し、佐久間は筋力トレーニングを続けている神田に向き直った。
「放っといていいの?」
「別にいいんじゃないか」
「いいのかなあ」
「通常業務に差し支えないなら別に。残業は困るけど」
 ダンベルを上げ下げしながら淡々と答えた神田に「そうかもしんないけど」と佐久間は曖昧に返した。





「やばいね、これ」
 翌日の生徒会室で、三嶋が回収してきた目安箱を覗きこみながら佐久間は眉を顰めた。今日一日食堂前の廊下に置かれていた木箱の中には、備え付けておいた投書用紙が早速溢れかえっている。
「やばいな」
 神田も同意した。上半身と下半身のトレーニングを毎日交互に行っている彼は、今日はスクワットに勤しんでいる。
「いいことじゃないか」
 三嶋は自分の思いつきに生徒達が反応してくれたことを喜んだが、
「イタズラも多いみたいだけどね」
 中から取り出した数枚を検分しながら呟いた相馬の言う通り、目安箱に投げ込まれた投書には幾分不真面目なものも紛れ込んでいた。例えば三嶋が試しに取り出してみた一枚にはこう書かれている。
『副会長と一発ヤりたい。2-B曽根崎』
 形のいい眉を寄せて三回その文章を黙読した三嶋は、眉間の皺を揉みながら口を開いた。
「相馬、ご指名だぞ」
「曽根崎? 知らないなあ」
 投書用紙を覗きこみ、相馬は首を傾げる。
「佐久間くん知ってる?」
「あー、同じクラス。確かバレー部」
「イケメン?」
「そこそこ」
「ふうん」
 満更でもない顔で、相馬はその紙をポケットに入れた。
「え、ヤんの?」それを目撃した佐久間は目を丸くする。
「え、ダメ?」
 不思議そうに答える相馬に、佐久間はますます目を見開いた。
「マジ? 副会長意外とヤリチンなの?」
「まさか。童貞だよ」
「え? えっ?」
 目を白黒させる佐久間を見て、横から三嶋が補足を加える。
「ただし非処女」
「ええっ!?」
「やだな。男に処女はないよ」
「セーフセックスは徹底させろよ」
「それはもちろん」
 淡々ととんでもない会話をする二人を前に、佐久間はこめかみを押さえた。
「マジか……ビッチだったのか……」
「やだな。ただちょっと節操がないだけだよ」
 それをビッチと言うのでは、と返したかったが、その前に神田が口をはさんだ。
「それって頼めば俺とも寝てくれるんですか?」
「いいよ全然。いつにする?」
「じゃあ今夜どうですか」
「うん、じゃあ九時に僕の部屋でいいかな。あ、でも僕すっごい喘ぐけど平気?」
「むしろ大好物です」
「マジかよ……」
 相馬の貞操観念が思っていたよりも随分低かったことに、佐久間は他人ごとながら頭を抱える。
「セーフセックスは徹底させろよ」
「それはもちろん」
 先程と同じ会話を繰り返す三嶋と相馬は、実は今までに何十回と同じ話を繰り返している。その分、話題の切り替えもスムーズである。
「ところでどうしようか、これ」
「どうって?」
「ちょっと多すぎるでしょ、さすがに」
「そうだな、これ全部は掲示板に貼りきれないかもな」
「掲示板?」
 ようやく新しい話題に追いついた佐久間は首を傾げた。ちなみに神田は、既に興味を失ったのかスクワットを再開している。
「貼るの? 掲示板に?」
「そう。ここに返事を書いて、掲示板に貼る」
 三嶋が新たに取り出した一枚を、佐久間は横から覗きこんだ。確かに投書用紙には、要望欄とクラス名前の記入欄、そしてその下に回答欄が設けられていた。ちなみに、要望欄には『数学の伊藤先生に恋人がいるか調べてほしい』と書かれている。
「ふうん」
 納得した佐久間の横から、さらに相馬もそれを覗きこんできた。
「伊藤先生は確か山梨先生と付き合ってるんじゃなかったかな」
「英語の?」三嶋が尋ねる。
「そう。準備室でキスしてるの見たよ」相馬が頷く。
「いつ? 山梨先生には外に婚約者がいるって聞いたことがあるけど。別れたのかな」
「見たのは先週。でもそれならセフレなのかもね」
「なるほど。不誠実な男だな」
「うん、不誠実だ」
「山梨先生も相馬には言われたくないだろうけどな」
「はは、確かにそうだね」
 自分の頭越しに淡々と続く三嶋と相馬の会話の脱線具合に、佐久間は脱力しながら口を挟んだ。
「ねえ、それで結局どうすんの?」
「ああ、そうだったね。どうしようか」
「とりあえず伊藤先生に確認してみればいいんじゃないか」
「直接聞くの? 教えてくれるかなあ」
「無理かな?」
「いやそっちじゃなくて」
 あっさり元に戻ったと思っていた話題は、しかし全く戻っていなかったらしい。佐久間は急いで目安箱を指差す。
「多すぎるからどうすんのかって話でしょ」
 その指を追った三嶋と相馬は、納得したように顔を見合わせた。
「そうだったね。どうする?」
「掲示板を増設すればいいんじゃないか」
「そんは予算ないよ」
 生徒会会計職として、佐久間は再び口を挟む。
「じゃあ抽選にしよう」
 代替案を提示した相馬に、三嶋が訝しげに尋ね返す。
「抽選?」
「貼れる分だけ選べばいいんじゃない? 十枚くらいかな」
「三十はいけるだろう」
「十」
「二十」
「七」
「減らすな」
「じゃあ十でいい?」
「仕方ないな」
 渋々頷いた三嶋に、相馬は目安箱を押しやった。
「三嶋が選んでいいよ」
「いいのか?」
「こういうのは会長の役目でしょう」
「そーだね」
 佐久間にも異論はない。と言うよりもう早く終わらせて帰りたいという投げやりな気持ちだった。
「そうか」
 そうとは知らない三嶋は、ふわりと表情を緩めた。そして「会長になって良かった」と呟き、目安箱に手を差し込んだ。

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