▼ 01

 今期の生徒会長様の夜のテクニックはすごいらしい。

 そんな噂を耳にした時、正直目ん玉が飛び出しそうになってしまった。なぜならまさに今期の生徒会長である俺は恋人いない歴イコール年齢であり、超絶テクニシャンどころかキスさえ未経験だったからだ。
 しかしまさか、抱かれたいランキング堂々一位で学園一大規模な親衛隊を持つ天下の生徒会長が未だ童貞だとは言えまい。幼馴染かつ生徒会仲間である副会長も会計も書記もとっくに経験済みだから俺がひそかに焦っているだなんてことは、尚更口が裂けても言えまい。
 というわけでその場は適当に笑って流したが、その日の放課後俺は、一人きりの生徒会室で机に突っ伏しぐだぐだと愚痴をこぼす羽目になったのだった。

「あー……なんなんだよその噂俺がテクニシャンって……つうか夜のテクニックって! なんだよそんなもんあるのかよこちとら1個も知らねえっつうのくっそ大体親衛隊の奴らが俺は皆のものだから誰も手ぇ出しちゃだめなんつう妙なルールつくってんのに俺は一体誰に手ぇ出しゃいいんだよ、親衛隊外のやつなんかびびって口もきいてくれねえっつうのに……出会いなんか1個もねえし俺は誰にそんなもん教えてもらえばいいんだよ、しかも今さら誰かとしたところで童貞なんて言えねえし、会長意外と下手なんですねーなんて言われでもしたら俺は一体どうすれば……あー俺だってヤりてえっつうのいやそこまで贅沢は言わずとも誰でもいいからせめてキスがしてみたい……」
「じゃあしてやろうか?」
「……えっ!?」

 だらだらと口から垂れ流していた愚痴の合間に挟まれた声にがばりと顔を上げると、いつの間に入ってきたのか扉のところに長身の超イケメンが立っていた。

「かっ、会長!? なんでここに」
「会長はお前だろ」
「あ、そうか」

 そうだ、今は俺が会長だった。しかしなにしろ目の前の会長、もとい前会長から会長職を引き継がれてまだ半月。自分が生徒会長であるという事実にも慣れていないうえ、それ以前1年近くにわたって会長、ではなく前会長を会長と呼び続けていたのだから、すぐにその癖が抜けないのも仕方ない。
 が、確かに現在会長である俺が前会長を会長と呼ぶのもおかしなことではある。

「ええと、三崎先輩?」

 悩んだ末呼び方を改めれば、前会長、三崎先輩はどことなく満足げに微笑んだ。うんうん、と頷きながら生徒会室に足を踏み入れ、入り口付近に設置されているソファーの一角に腰を下ろす。

「いいねーセンパイって呼ばれんのも。なんか新鮮だなあ」
「あー……あ、何か飲みますか。何でしたっけ紅茶?」
「おいもう忘れちゃったのかよ。俺紅茶だめだからコーヒー専門っつったろ。あ、ブラックでな」
「あーはい、すいません」

 忘れたも何も、そもそも聞いた覚えさえなかった。なにしろ三崎先輩が会長でかつ俺が会計だった1年間、生徒会役員達の飲み物を淹れてくれたのは副会長……つまり当時の副会長である堂島先輩だったのだ。だから三崎先輩の好みを俺が知るわけはないし、そもそも自分でコーヒーだの紅茶だのを淹れたこともない。が、別にわざわざ口答えするほどのことでもないので給湯室に移動し、何だろう何を探せばいいのかも分からないが多分コーヒー豆か何か? を探すため棚を漁っていれば、いつの間にやら三崎先輩が背後に立っていた。

「豆なら右側、インスタントなら左の棚だな」
「え、あ、はい」
「お前豆挽いたことあんの?」
「いや、ない、です」
「ふうん、じゃあインスタントでいいや。さすがにお湯は沸かせるよな?」
「それは、まあ……っていうか、あの……」
「ん?」

 なぜだか背後にぴたりと密着し、俺の頭越しにコーヒーの瓶に手を伸ばした三崎先輩の吐息が俺の耳をくすぐる。『ん?』じゃない。近い。

「なーに」
「いや、あの……」

 しかも左手がさりげなく俺の腹に回ってきた。ただ添えられているだけだが、まるで抱きしめられているような体勢。つい緊張してしまうが、それは決して俺が三崎先輩を特別に意識しているわけではなく単に人との接触に慣れていないからだということは明言しておく。なぜなら俺が童貞だから。言わせんな馬鹿野郎。

「なんだよ、どしたの」
「あの、手、手が」
「手? ああこれ?」

 もしかしたら墓穴を掘ったのかもしれないと思ったのは、三崎先輩の左手がすすすと動いたからだった。カッターシャツ越しに俺の腹を撫でるその手つきは、童貞にも分かるほど性的な触り方だったのだ。いやまあ、童貞童貞と自分で言いたくはないが。

「ちょっと何なんですか、……っ!?」

 さすがに抗議しようと首を捻り振り返ると、思っていた以上に三崎先輩の顔が近くにあって驚いた。とっさに距離を取ろうとした瞬間、腹を撫でていた先輩の左手に驚くべきスピードと力強さで引き寄せられる。

「ちょ、何、なん、っ」
「え? ちゅーしてほしかったんだろ?」
「ちゅ……いや違っ」
「ん? キスしてみたいって言ってたよな」
「えっ」

 そういえば聞かれてたんだあれ、と青ざめた途端、三崎先輩の右手が持っていたコーヒーの瓶を置き、そして俺の顎を掴んだ。抵抗しようとするも無理矢理もう一度振り返らせられ、至近距離で視線を捕らえられる。

「誰でもいいなら俺でもいいだろ?」
「や、そういうわけでは、……っ」

 反論しかけた言葉は、しかし途中で引っ込んだ。こつんと額を合わせられたせいで元々近かった距離がさらに縮まったからだ。
 何か話すために口を動かせばそのまま唇が当たってしまいそうな距離。思わず息を止めると、焦点が合わないほど近くから俺の目を覗き込んだ先輩は楽しそうに口元を上げ、そして、

「……っ!」

 俺の唇の端を掠めるように、ぬるりとしたものが這わされた。その柔らかさに、かっと顔が熱くなる。これはきっと先輩の舌だと気づいたからだ。いや重要なのはそれが三崎先輩のものであるということではない、誰のものであれそれが舌であるという事実だ。と思う。多分。
 抗議したいが、抗議できない。何か話せばきっと唇が触れてしまうから。けれど逃げたくても、腰と顎を固定している力にかないそうもない。

「かずや」
「……」

 ゆっくり発音された自分の名前に、それと同時に俺の唇をくすぐった吐息に、とうとう限界がきた。からかわれているだけかもしれない、いやきっとその可能性の方が高い。けれど三崎先輩のことだからキスくらいしれっとしてしまうかもしれない。そう思ったらいてもたってもいられなくなって、つい目をきつく閉じた。

「……」
「……」

 しばしの沈黙。視界は真っ暗でも、視線はやけに感じる。けれど三崎先輩は何も言わずに、だが俺を解放もせずにそのままじっと俺を見つめている。どうしたんだろう、と不安になってきた途端、

「やっべえな和哉のキス待ち顏。すげえ興奮すんだけど」

 などという不穏な呟きと共に、唇に柔らかくあたたかいものが重ねられた。

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