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「おーい!大丈夫っすかー!!」

埠頭にずらりと並ぶ単車のライトの眩しさに目を細め、香坂尊は大きく左腕を上げた。途端に、埠頭脇に居並ぶ柄の悪い男達から歓声が上がる。呑気に喜びやがって、と一つ舌打ちをし、香坂は右腕の中でぐったりしている男に声をかけた。

「おい、生きてっかよ末吉」
「……アホか、こんなとこで死んでたまるか」

今まさに溺れかけ、そして現在進行形でぐったりしているというのに、男ーー末吉要の声は存外しっかりとしていた。けれど冬の海の冷たさに体温を奪われかけているのか、支える細い体は明らかに震え始めている。再び舌打ちをした香坂は、右腕で鷹揚に末吉を抱え直すと岸を目指して立ち泳ぎを始めた。

「ったくよお、テメェは。ブレーキくらいかけろっつうの」
「かけたに決まってんだろうが。テメェんとこのがブレーキオイル抜いてやがったんだろ」
「あァ? ……おい、マジか」
「じゃなきゃいちいち海ん中にダイブしたりしねえよ」
「……だよなあ、泳げねえっつうのにな」
「っせえな……」

いささか古いやり方だが、香坂と末吉は一悶着の決着をつけるために埠頭でのチキンレースに及んだのだった。ルールは説明するまでもないだろうが、アクセル全開で海を目指して走り、先にブレーキをかけた方が負けという単純なものだ。万が一何かあってもいいように、と香坂のチームの後輩が廃車寸前の原付を二台調達してきた。その時既に何かしらの仕掛けがしてあったに違いない。犯人はおそらくその後輩、もしくはその周辺の、敵対する派閥の頭である末吉を快く思っていない人間だろう。その企みによって末吉は原付ごと海に飛び込み、驚いた香坂もそれを追って飛び込んだ。なぜそんなことをしたのかは、自分でも理解不能である。

香坂は一つため息をつき、ずるりと滑り落ちかけた末吉の身体を再び肩に担ぎ上げた。その拍子に、ぐったりと目を閉じている末吉の顔が視界に入った。青ざめているせいで余計に白く見える肌と、涼やかな一重瞼。思わず喉を鳴らした香坂は、ごまかすように悪態をついた。

「あーもう、ちったあ気合い入れて泳げよ。世話かけさせんなっつうの」
「るせえ、そもそも助けてくれなんて頼んでねえよ」
「あァ? 命の恩人に向かってなんつう言い草だテメェは」
「黙れよ。散々好き放題しやがっ、て、……」
「……あ?」

不意をつかれた香坂は、勢い良く首を捻った。覗きこんだ末吉の顔は、失言とばかりに歪められ、なんとも気まずげな表情が浮かべられている。

「……覚えてんのか、お前」

ようやく声を出すと、末吉は一つ低く唸り、そして顔を背け呟いた。

「黙れっつうの」

その苦々しげな返答は、明らかに肯定だった。既に現実感がなく遠い夢の世界のことだったような気がするあの出来事は、やはり現実に起こったことだったのだろうか。しばし黙りこくった香坂はその日何度めかのため息を深くつき、そしてにやりと笑った。

「あーあ、あーんなに可愛かったのになあ、末の君は」
「あ?」
「泣いてよがってよお、香の君に触られんのは嬉しいなんつってさ」
「あァ!? てっめ、死ねよちくしょう!」
「バッ、おま、暴れんなよ!」

照れ隠しというには獰猛に暴れ出した末吉につられ、香坂は危うくバランスを崩しかけた。濡れた衣服は重く、それでなくても人を一人引きずっているせいで歩みは遅々としている。すなわち岸はまだ遠く、今暴れられては今度こそ二人して溺れる危険もある。抵抗を無理矢理抑え込んだ香坂が内心安堵の息をつくと、抑え込まれ大人しくなった末吉は、けれど気を取り直したかのように笑った。

「は、大体テメェも人のこと言えねえだろうが。剛田に突っ込まれかけてアンアン言ってたじゃねえかよ」
「あ? 剛田ァ?」
「あいつアレだろ、柔道部の三年の」
「……げっ!」

脳裏に浮かんだのは、素行の悪いヤンキーばかりの高校で唯一スポーツ推薦で部活に励む集団の主将、通称ゴリラである。顔色を失くして固まった香坂に、お返しとばかりに末吉の攻撃は続く。

「しかもお前チンコ縛られて変なクスリ塗られてたろ。もしかしてアレってまだ有効なんじゃねえの?」
「あ? ちょ、テメどこ触っ……!」
「僕が抜いてあげましょうかー?」

幸いそこに物理的な違和感は一つもないし、そもそもこの水温ではたとえ興奮していたとしてもとうに冷めきっていることだろう。しかし、香の君、と耳元で囁かれれば、香坂の顔はかっと赤くなった。夜の闇に紛れられたのだけが救いだった。

「ばっ……アホかテメェは! くっそ触んな! 一人で化け物共の巣に戻れ!」
「あァ!? ぜってーごめんだわそんなん! ちょっ、暴れんじゃねえよ!」
「うるせえ離せ! ここで死ね!」

二人の声が響く夜の海はどこまでも暗い。月明かりがぼんやりと金色に光る中、どこかでぽちゃんと魚の跳ねる音がした。

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