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昔の記憶がなくなってから久しいけれど、ここに来る前はどこか別の世界にいたことだけは覚えている。いや、覚えてはいないのだから知っていると言った方が 正しいのかもしれない。生まれ育った世界のことは何も覚えていないけれど、ここがそことは全く別の世界であるという知識はあるのだ。けれど、なぜここに来たのか、ここに来る前はどんな生活をしていたのか、という知識はない。ふと気がつけば、僕は、そしてどうやら僕と同じ立場であるらしい周りの人間の男達は、皆彼女達に飼われる愛玩動物であった。





「香の君」

僕の名を呼ぶ柔らかい声に振り向けば、ほっそりした綺麗な手に2つのお膳を捧げ持った末の君が立っていた。薄い浅葱色の着物に濃紺の袴、涼やかな一重瞼が今日も変わらず美しい。白い手からお膳を片方受け取った僕は、内心鼓動を高鳴らせながら彼の隣に並ぶ。

「何を見ていたんですか?」
「湖を。魚が跳ねていたので」

僕達の住む(彼女達に言わせれば飼われている)屋敷は、湖の中央にあるらしい。らしいというのは岸が見えないからだ。見渡す限り広がった大きな湖の先に何があるのかは知らないし、知ったとしても多分どうしようもない。彼女達ならいざしらず、僕達人間には到底泳ぎきることのできる距離ではないのだから。

僕の言葉を受けて、末の君は横目で水面を見やる。同じことを考えたのか、はたまたそうではないのか。少し寂しげな瞳で「そう、魚がね……」と呟いた彼は、それきり口を噤んでしまった。

屋敷をぐるりと廻る外廊下を進んだ先、大広間と呼ばれる広い座敷に彼女達は集まっている。最奥にはお館様が座っているはずだが、いつも豪奢な簾の向こうにいるのでお姿を目にしたことはない。お館様を含め、大広間の両端に奥からずらりと並ぶ彼女達が、僕達の飼い主である。皆一様に碧の長い髪を持ち、その間には2本の角のようなものがちんまりと佇んでいる。色とりどりの着物から覗く手の甲には僕達にはない鱗があり、両の瞳は金色に鋭く輝いている。

ここに来たばかりの頃は、彼女達の容貌が僕はとても恐ろしかった。けれど今となっては、何がそんなにも恐ろしかったのか分からない。人間とは明らかに違うその外見を、今の僕は美しいとすら思う。以前そう言った時、月の君という男は薄い眉を顰めてそれを飼い馴らされていると言うんだ、と苦々しく零したけれど。昔の記憶を失っているのは彼も変わらないはずだけれど、彼は彼女達への反抗心を持ち続けている数少ない人間の1人だ。屋敷を抜け出そうとしては彼女達に見つかり、連れ戻されては度々折檻を受けている彼の行動は、僕からすれば不思議で仕方がない。僕はもう帰る場所を忘れてしまっているし、帰りたいと思う気持ちすら失ってしまっている。





彼女達の遊びは夕餉の後に始まる。膳を全て片付けた後の大広間で、酒を片手に彼女達は気紛れに男達を指名する。気紛れに、とは言っても彼女達はそれぞれに好みの組み合わせがあるらしいことには最近気がついた。僕はといえば大抵、末の君と対にされることが多い。あるいは、頻度は少ないけれど剛の君という大柄な男と共に指名されることもある。その場合は体格差からか僕が受ける立場になるのであまり気はすすまないけれど、彼女達の言葉は僕達にとっては絶対であるので致し方ない。とはいえ今日の指名役は、ありがたいことに僕と末の君の組み合わせを好む方だったようだ。

指名が終わった時点で他の男達は大広間から下がり、大きな灯りが落とされた室内はぼんやりとした薄闇になる。もっとも彼女達の金色の瞳は非常に夜目がきくというから、これはおそらく僕達に対しての配慮なのだろう。僕達は夜毎、彼女達の目を愉しませるために睦み合わされるのだから。

もう慣れた行為なので、手順は分かっている。まず見つめ合い、それから唇を合わせる。そっと触れ合うだけの口付けを重ね、舌で末の君の柔らかい唇を割って口内へ。同時に帯を緩めて、着物の合わせから手を滑りこませ、手探りで素肌を愛撫する。

身に染み付いているのは、彼女達の好む手順だけではない。末の君が悦んでくれるやり方も、なんとなく分かるようになってきた。羽根で触るような柔らかさでそっと腰を撫で、口付けを深くしながら背中をなぞり、指先で優しく胸の粒を転がす。そうするとそれに応えるように末の君は、目を潤ませ、甘ったるい声を上げ、身を震わせてくれる。涼やかな目元がうっすら赤く色づくのを見下ろすといつも、僕の胸は奇妙な具合にきしむ。この気持ちを何と形容すればいいのかは分からない。けれど、それはきっとここに来てから忘れたのではなく元々知らないからなのではないかと思う。証拠はないから確率は五分五分だけれど、僕はなんとなくその考えに確信を持っている。

兎にも角にもそれから長いこと、僕と末の君は彼女達が満足するまで何度も体を重ねた。時折短く飛ぶ彼女達の指示で体位を変え、時には結合部位を晒し、そして時には快感に喘ぎ泣く末の君の顔を上げさせることで応えた。もっとも末の君の表情だけは独り占めしたいと思ってしまうのだが、彼女達の言葉に背くことはできない。最終的には僕が二度、末の君は四度吐精し、ようやく解放される頃には空はうっすらと白み始めていた。

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