▼ 06

前途多難に思えたアルバイト生活は、しかし意外と順調に過ぎていた。
10時に店を開け、17時に閉める。その間ちらほら来るお客さんは大体が健一さんの知り合いのサーフィン仲間で、時々ふらっとコーヒーを飲みに来る近所の人もいた。
慎二さんの言った通りたいして繁盛しているわけではないので、一通り店の内外を掃除してしまうと後はたいていすることがなくなってしまう。最初の数日は夏休みの課題を持ち込んでいたのだが、それもすぐに終えてしまった。

そうなると気になってくるのが、店の経営状況である。
俺の時給が千円、実働7時間なので一日七千円、プラス昼飯は適当に作って食べていいよと健一さんが時々食材を買ってきてくれるので、その代金。
家賃や光熱費やコーヒー代なんかも考えると少なくともそれ以上の売り上げがなければ赤字のはずなのだが、どう考えても足りていなかった。

「俺がいたら赤字じゃないですか?」

なので尋ねてみたところ、健一さんは「金ならあるから」と笑った。

「慎二から聞いた? 俺家出少年なんだけどさあ」
「ああ、まあ多少は」
「でも元は金持ちの家で育ったから貯金はくさるほどあるし、オッサンも跡継ぎ放棄しちゃったけど甘いからこっそり仕送りくれんだよね。俺ダメ人間だから」
「はー……」

じゃあまあいいのか、いやいいのか?
しかし重ねて聞けば、どうやらネット通販もしているらしく、そっちでもある程度は売り上げがあるそうだ。
給料をもらう以上ある程度の働きはしたかったので、じゃあそっちもしましょうかと言ってみたところ、健一さんは目を輝かせて俺に仕事を教えてくれた。
注文や問い合わせに対するメールでのやり取りと、梱包作業、発送。
サーフィンの合間に眠い目を擦りながらやってたからすげえ助かる、と言われたが、増えた仕事もそうたいした作業ではなかった。

どうしても時間を持て余したので、思い立って原付免許の勉強を始めることにした。家からの行き帰りに電車とバスを乗り継ぐのがどうしても不便だったからだ。
その日もカウンターで問題集を広げていたら、ドアベルの音がからんと鳴った。顔を上げると慎二さんと西園寺さんが入ってくる。やたらと面倒見のいい慎二さんは三日と空けずに様子を見に来てくれるのだった。時にはこうやって、西園寺さんを伴って。
いらっしゃいませ、と立ち上がる。慎二さんにはコーヒー、西園寺さんには紅茶。味にうるさい西園寺さんのお陰で俺は紅茶の正しい淹れ方を覚え、店のメニューが一つ増えた。

「あっちーなー毎日。どうよ、儲かってる?」
「いやヤバいんじゃないですか」
「ふはは、いつまで持つかねこの店」
「どうですかねえ」

なんて会話をしながらコーヒーと紅茶を出すと、西園寺さんはにこりと笑ってありがとうと言った。
バイト初日に慎二さんが呼び出した時は無表情でむすっとして冷たい感じだったのだが、数回顔を合わせ俺が紅茶の淹れ方を覚えたことで、ようやく態度が軟化したようだ。
小島の崇拝する副会長にこんなことを言うのもあれだが、人見知りの猫みたいな人だった。

「あれ、宏樹免許取んの?」
「取ろうかと思って。ここに来るのもちょっと不便だし」
「あーね、ちょっと遠いよな。原付? どうせなら中免とれよ」

という慎二さんは、俺は詳しくないのでよく知らないが、ヤンキー仕様のバイクを乗り回している。もっぱら後ろには西園寺さんを乗せているので安全運転をしているようだが。

「教習所行かないといけないんでしょ? そんな金ないですよ」
「兄貴に給料上げさせるか。せめて日給一万つっときゃ良かったなあ」
「今でも十分貰いすぎですよ。こんなヒマなのに」
「まーなあ。ほんっといつ来ても客がいねえな」

苦笑いした慎二さんが煙草をくわえる。ついでに俺も火をつけると、西園寺さんが「ところで」と突然口を開いた。

「周防は来ないんですか?」
「あーまあ、まだ忙しいみたいですね」

連絡は時々来ていた。詳しくは聞いていないけれど相続だかなんだかでもめて連日親族会議だとか、俺がいる必要はないのに解放してくれないだとか、早く会いたいだとか。

「家のことで? 大変みたいですね」
「なんだ美波なんか知ってんの?」
「親のつながりでちょっと。後継者問題がどうとかで」
「うげ、後継者問題?」

まさにそれに巻き込まれて転校を余儀なくされたという慎二さんが嫌な顔をする。
それを横目でちらりと見て、西園寺さんは続けた。

「周防のお兄さんが駆け落ちしたらしいですよ。政略結婚の話を嫌がって」
「政略結婚!? 今ドキそんなんあんの、どんな家だよ。王族?」
「まああの家は特別ですから」

そう言って西園寺さんがつらつら並べた会社の名前は、俺でも名前を知っているような大企業ばかりだった。いっそ感心して、本当に住む世界の違う人なんだなと思ってしまった。

「でもまあそれ自体はちらほら聞きますけどね。僕の姉も家のつながりで見合い結婚ですし」
「へえ、えっじゃあ美波は?」
「いや僕はまあ……」

気まずそうな顔をした西園寺さんに、慎二さんはがたんと立ち上がった。

「えっ、もしかして結婚すんの? 将来どっかの女と?」
「あ、いやしませんしません、ちゃんと断ってます」
「マジで? 留学も断れねえのに本当に断れてんの? 嘘だろなあ、俺はどうなんの?」
「いや本当に! 絶対結婚しません! 留学が交換条件なんです!」
「あ? あーそう……えーもう何だよ何で皆そんな面倒くせえ家なんだよ……」

突然勃発して突然おさまった痴話喧嘩を呆気にとられて見守っていた俺は、ふと思った。
慎二さんの家では、健一さんが家出して慎二さんが叔父さんの跡継ぎになったという。
じゃあ先輩は?

「元哉さんって次男でしたっけ?」

おそるおそる尋ねると西園寺さんは頷き、慎二さんは眉を顰めた。

「マジ? じゃあ兄貴が逃げたら次は元哉の番ってこと?」
「……」
「美波聞いてねえの?」
「すいません、そこまでは」
「……」

短くなった煙草をもみ消し、続けざまにもう1本。
つい確かめた携帯には、先輩からの連絡は来ていなかった。





翌日、慎二さんが店番を変わってくれるというので、電車とバスを反対方向に乗り継いで試験場に出かけた俺は、無事に原付免許を取得して地元に戻ってきた。
その足で訪ねたのは商店街の端にある自転車屋で、今までもらったバイト代をつぎこんで中古の安いスクーターとヘルメットを購入した。
おまけに貰ったラビ夫ステッカーはその場でスクーターに貼った。

大通りはまだ怖いので裏道を選んで走り、途中で元々少なかったガソリンが尽きそうだったのでガソリンスタンドに寄った。
地元に帰ってきて、何度か連絡は取っていたけれど予定が合わずに会えていなかった中学時代の友人、鶴ちゃんがバイトをしていると言っていた場所だった。
久しぶり! と駆け寄ってきた鶴ちゃんは春休みと変わらず、最後に会った日のままだった。
とはいえ人間数か月でそう変わるはずもないし、俺も全く変わっていないんだろうけれども。

「元気だった? どうよ男子校は。あっそれ買ったの?」
「元気だよ。今日買った」
「マジか、いいなー俺も免許取ろうかなー。レギュラーでいい?」
「分からん。いいの?」
「いーでしょ。満タン?現金?」
「うん」

慣れた手つきで給油しながら鶴ちゃんは、「いやー久しぶりだなー」と笑った。

「もっと早く会いたかったんだけど全然予定合わなかったな。いや俺の門限のせいなんだけど」
「だな」
「俺もうちょっとでバイト終わるんだけど大谷暇?彼女と飯食いいくんだけど一緒に来てよ。紹介したいし」
「あーうーん……」

少し考えた。彼女を紹介されるというのは若干気が引けるが、鶴ちゃんと飯を食いに行くというのは魅力的だった。つもる話もあった。
だが、結局断った。

「ごめん、今からちょっと遠出」
「マジかー残念。どこまで行くの?」
「A市まで」
「マジ? 遠くね? 買った初日にチャレンジャーだなあ」
「ヤバいかな。ナビだと2時間くらいだったんだけど」
「原チャなら倍はかかるんじゃない? とばすなら別だけど、まーでもいけるっしょ、捻っときゃいーんだからそのうち着くよ」

給油を終えた鶴ちゃんは右手を回す仕草をして、「事故んなよ」と笑った。

「じゃーまたそのうちな。ガソリンも入れに来てよ。これポイントカード」
「うん、ありがとう」

じゃあ、と別れて、まだぎこちない動作で走り出す。先輩に連絡をした方がいいことは分かっていた。もしかしたら着いても忙しくて会えないと言われてしまうかもしれない。
でもそれでもいいと思った。何度もアプリでなぞって覚えた地図を思い出しながら、俺は日が暮れ始めた地元の町を出発した。

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