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結局なんとかたどり着いた映画のラストは予想以上に面白かった。恐怖に耐えた甲斐があったと俺としては大満足である。

が。

「先輩」
「どうした?」
「廊下が怖いんですけど……」
「あー……」

帰り際のことだ。
玄関まで見送りに出てくれた先輩に別れを告げて部屋を出ようとしたのだが、夜も更け照明が消えて薄暗い常夜灯や非常口の表示のみがぼうっと灯る廊下に足を踏み出す勇気がどうしても出なかったのだ。
しばらく逡巡してから恥をしのんでそのことを告げれば、それを聞いた先輩は複雑そうな表情で口ごもった。

「……部屋まで送ろうか?」
「いいんですか? あ、でも」
「だよな、見られたらまずいか」
「ですよね」

どうしよう、1人で廊下を抜け屋上に上がりさらに暗い非常階段を下るなんて考えただけで怖すぎる。しかもその後寮の表玄関に回りこむまでには暗い森の横を通らなければならないし、俺の部屋までもまた薄暗い廊下を通る必要がある。そしてやっとの思いで部屋に帰ったところで1人で風呂に入って1人で寝るなんて、正気か、としか言いようがない。

「先輩、あの」
「……泊まっていく?」
「迷惑じゃなければ……」
「そりゃまあ、もちろん迷惑ではないけど」

まだ将棋勝ってないけどな、と苦笑いした先輩は、俺を再び部屋に迎え入れてくれた。



風呂も怖いんですけど、とおそるおそる告げたが、予想以上に難しい顔をした先輩に「それは多分俺の理性が持たない」と真顔で言われてしまった。そこまで言われて付き合ってもらうほど鬼ではない、というかよく考えたら俺も多分羞恥でどうにかなりそうなので、諦めて超特急でシャワーだけ借りることにした。
そして風呂から上がった後、先輩に借りた着心地のいいパジャマに身を包んだのだが、

「……」

洗面所の鏡を覗きこんだ俺は、非常に微妙な気分で、1つ上の姉である美衣姉のことを思い出していた。彼氏に借りたというサイズの大きな服を楽だからと部屋着として愛用していた姿をつい思い出してしまうほどに、今の俺の格好はそれに酷似している。
つまり、先輩に借りた服は、袖も裾も長すぎたのだった。

と言っても中身が俺なので別に可愛らしくも何ともないし、むしろ男としてこの体格差はいかがなものかと情けなくなるばかりなのだが、

「……」

先輩にとってはどうやら何か思うところがあったらしい。風呂ありがとうございました、と居間に戻ると先輩はしばらく黙ったまま俺を見つめたのだ。
穴があきそうなほど、という言葉がぴったりな視線に居心地の悪さを覚えて身じろぐと、先輩はどこか焦ったように視線を逸らし、そろそろ寝るかと呟いた。

「ベッド使っていいからな。シーツ変えといたから」
「え、先輩は?」
「俺はソファーで寝るよ」
「そんな!」
「……いや、あのな」
「だってそれじゃ泊めてもらった意味が、いや意味はあるんですけど、でも、そんな……」
「……」

無言のまま視線のみでの攻防に白旗を上げたのは先輩の方だった。ため息をついてソファーから立ち上がった先輩は、すれ違いざまに俺の髪をくしゃりと撫でて呟いた。

「もうホラー禁止な」

……ごもっともです。



常夜灯のみの薄暗い部屋、しかもキングサイズの広いベッドの上で2人きり。
という状況に、俺だって何も考えないわけではない。だが結局、目を閉じれば勝手に映画の怖い場面が浮かんでくるという現象に負けた。眠れないまま寝返りをうつと、人1人分の距離をあけた上に反対側を向いて寝ている先輩の背中が目に入る。

「先輩、寝ました?」

ベッドに入ってしばらく経つからもしかしたら、とも思って小声で囁いたのだが、

「……起きてる」

こっちを向かないまま、声だけの返事があった。

「あの」
「ん?」
「……もうちょっとそっち行ってもいいですか?」
「……」

少しの間の後振り返った先輩は、しょうがねえな、と苦笑した。
引き寄せられるままにじり寄ると、かすかに触れる体温が温かくてやけに安心する。

「寝れない?」
「なんか目閉じると色々考えちゃうっていうか」
「そんなにホラー苦手だとは思わなかった。平常心で見てそうなイメージだったんだけどな」
「それは……すいません、幻滅しました?」
「いや、それはないけど。でも」
「?」
「欲望との闘いが……」
「……」

俺は童貞だが一応思春期の男なので、先輩の言うことも分からなくもない。ので、重ねがさね申し訳なくて何も言えなかった。
今度こそ何もしない、という約束を律儀に守ろうとしてくれているのは有難いが、酷なことをしないで大人しく身を任せるべきだろうか、いやさすがにそんな勇気はない。
すいません、と謝ると再び苦笑した先輩は、寝酒でも飲む? と俺の頭をぽんと叩いた。
が、

「俺酒弱いんです」
「あ、そうなの? 全然だめ?」
「だめっていうかすぐ赤くなるし、酔うよりどっちかっていうと気持ち悪くなるっていうか」
「へえ」
「あ、でも先輩は俺に構わずどうぞ」
「いや、俺も別にいいや。じゃあ眠くなるまで話でもする?」
「どんな?」
「うーん、何でもいいけど。あ、エロい話すると怖いのは寄ってこないって言うよな」

え、この状況で? と思わなくもなかったが、悪戯っぽく笑った先輩を見るとどうやら俺の考えすぎだったらしい。それならば、怖いのが寄ってこないという話をすることに異論はないし、深夜のテンションに任せてしまえば健全な男子高校生同士の寝物語としてはそう不自然でもなさそうだ。
いやどうだろう、微妙かな?

「何の話します? 好きなAV女優とかグラドルとか?」
「あー……やっぱり見るの?そういうの」
「え、先輩見ないんですか?」
「うーん、見たことがないわけではないけど」
どうもはっきりしない。
まさか恥じらっているのかと思えば、

「そもそも別に女体に興味がないというか」

どうやら違う理由だったらしい。
しかしそうだったのか、それは初耳だ。だが、思い返してみれば確かに、彼女がいたことはない代わりに彼氏がいたことがあるらしいというのは聞いたことがある。

「あ、そうなんですか? てっきり男でも平気くらいの人かと」

だから、そう言ったのもただの驚きからであって特に含むところはなかったのだが、

「え?何それ」

俺はどうやら地雷を踏んでしまったらしい。

「大谷に好きだって言ったのもそういう軽い気持ちだと思ってた?」
「えっ、いやそういうわけじゃ、というか別に俺のことじゃなくて」
「なんだよ、もう、マジかよ……」

ああもう、と呻いて枕に顔を埋めてしまった先輩を見て、素直に申し訳ないと思う。反省しながら謝ると、ちらりと視線だけが寄越された。

「あのな、本気だから」
「……はい」
「本気で好きなんだよ。女がいないからじゃあ男でいいやとかそういうわけじゃなくて、だからって男なら誰でもいいわけじゃなくて。大谷だから好きなんだよ」
「は、はい」
「好きなのも、そういうことしたくなるのも宏樹だけだから。そこんとこをちゃんと理解した上で考えてもらえると嬉しいんだけど」

さりげなくまた下の名前で呼ばれたことを指摘するほど無粋ではない。しかし、

「……そういうこと、って?」

そんなことを尋ねてしまうほどには、思えば俺は男同士の行為には無知だった。が、さすがに質問が曖昧すぎたのか、先輩は不思議そうな顔で首を傾げた。

「え、そういうことって、って?」
「つまり、あの、男同士でする時って、一体どういう……」
「……」

気まずい間に、馬鹿な質問をしてしまったと後悔する。そのくらいそれこそ後から調べるなり人に聞くなりすれば良かったのだ。
しかし発言を撤回するより先に、ごろんと寝返りをうって俺の方を向いた先輩が口を開いた。

「どうって、多分男女でするのとあんまり変わんないと思うけど」
「あ、そうなんですか? ……あの、できればもうちょっとこう、具体的に聞いたりしても……?」
「うーん、具体的にどうって言われるとちょっとあれだけど、でもまあやっぱりキスから始めて手とか口でしたり、後はまあ……」
「後は?」
「……いや、まあ大体そんな感じかな」

口ごもった先輩はそれで話を終えてしまったが、何か隠しているような気はする。が、そこまででも十分俺にとっては衝撃的な内容だった。
手とか口。
具体的に想像するのもなんだが、はたして俺にそんなことができるのだろうか。女の子相手にも想像がつかないのに、しかも男、というか先輩相手に。

「できるのかな……」
「……試してみる?」
「……いや、寝ます」
「え、寝るの? この流れで?」

驚いたように跳ね起きた先輩に答える余裕もなく、布団を顔まで引き上げる。流れなんか知るか想像するだけで刺激的なのに実践なんて絶対無理だ、と寝返りをうって目を閉じれば、先輩はそれ以上何も言わなかった。

その後、しばらくしてから先輩が何か小声で呟いたような気もしたが、ホラー映画と今の話の衝撃で精神的に疲れていた俺はそれを気にとめる余裕もなくすぐに眠りについたのだった。

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