▼ 体育祭の夜

ちょっと待って、と動きを止められたのは、挿入してすぐのことだった。両手を突っ張るようにして俺の胸元を押さえた宏樹は、恥ずかしそうに顔を逸らしながら「ベッドが……」と呟いた。

宏樹の部屋のシングルベッドで事に及ぶのはこれで二度目だったが、一度目は手で触るまでで終わったので挿入に至るのは初めてで、だからこのベッドがこんなに軋むとは思ってもみなかった。
壁が薄いというのはどの程度なんだろう、隣の部屋まで物音や声が聞こえるんだろうか。一年の時は俺も同じような二人部屋だったが隣の部屋から何か物音が聞こえたことはなく、しかしただ単に隣人が静かだった可能性もあるので防音の保証にはなりそうになかった。

ベッドが軋まないように上体を倒し、耳元に口を寄せる。
「やめる?」と小声で尋ねたが、もちろんやめるつもりはなかったし宏樹も頷かないだろうと分かっていた。案の定宏樹は俺を見上げると小さく首を振った。

「やだ……」
「じゃあゆっくりしようか」
「ん、……っ」

体内の奥を探り、反応のいい部分に押し当てる。音を立てないくらいの動きで緩やかに刺激を続けると、宏樹は声を堪えるように唇をかみ、手を口で塞ぎ、目もきつく閉じていたが、しばらくしてからそっと瞼を開いた。

「あの……」
「ん?」

首に回された両手で引き寄せられるままに顔を寄せると、唇を押し当てられた。口内に割って入ってきた舌には焦りのような何かがにじみでていた。舌を撫でられ、吸われ、一度口を離した宏樹はおずおずと俺を見上げ、「もっと」と吐息混じりに囁いた。

「うん、もっとキスする?」
「そうじゃなくて、ちゃんと動いて……」
「でも隣に聞こえるよ」
「いーから、足りない……」

恥ずかしそうに目を逸らすくせに、足ではもどかしそうに俺の腰を引き寄せてくる。本人にそんなつもりはないのかもしれないが、煽るのが上手すぎる。
ついこの間まで何も知らないまっさらな体だったのにもうこんな風になってしまって、そうしたのが自分だと思うとやっぱりどうしても興奮してしまう。
応えて一度強く奥を突くと、宏樹はぎゅっと目を閉じて甘い声を漏らした。同時にベッドがぎしっと大きく音を立てる。

「そこ、っ、もっと……」
「うん、でも」
「っ、お願い、あ……っ」
「……床行ってもいい?」

返事を待たずに抱き上げると、背中にしがみつかれた。慎重に床に滑り降りて、ベッドを背に腰を下ろす。
好きに動いていいよ、と声をかけると、俺に跨る形になった宏樹はぽやんとした目で俺を見た。

「ん……」
「大丈夫? 膝痛くない?」
「うん……あっ……!」

最初は遠慮がちだった動きは、徐々に大胆になっていった。細い腰に手を添え指先でくすぐると、背中に回された手にぎゅっと力がこもる。
狭い中で擦り上げられ思わず吐息を漏らした時、不意に宏樹が首を傾け瞼を上げた。

「ねえ、元哉さんも気持ちいい……?」
「……うん。気持ちいいよ。最高」
「ん……」

ふわりとほどけるような嬉しそうな顔に、心臓をぎゅっと掴まれたような気がした。

やっぱりどうしても罪悪感というか申し訳なさのようなものは常にあった。遡ればそもそもこういう関係になってしまったこと自体もそうだった。
多分ここでなく地元の高校に進学していれば、宏樹はきっと普通に可愛い女の子と付き合って、彼女を大事にして、男に抱かれることなんて知らないままに過ごしただろう。
それなのに俺が半ば強引に口説いて早々にこんな関係に持ち込んでしまって、もちろん嬉しいことなのだが同時に実は気後れしてしまっている部分でもあった。
その上関係も公表できずに嫌な思いをさせたり悲しませてしまったりすることも多々あって、現状とても幸せにできているとは言い難い。だというのに全部ひっくるめて俺を受け入れてくれて、こうして俺が気持ちいいと言うだけで幸せそうな顔をしてくれる。
一体どこまで優しいんだろう。どこまで俺を許してくれるんだろう。

「宏樹はさあ、本当に」
「っ、ん、何……?」
「俺のこと大好きだなあ……」

違う、大好きなのは俺の方だ。分かっていても思わず漏らしてしまった言葉は半ば祈りのようなものだったが、宏樹は目尻を下げて優しく微笑んだ。

「うん、大好き……」

ふわふわとした甘い言葉が鼓膜に届く。
途端にこみあげてきた泣きたいくらいに幸せな衝動をどうやって消化すればいいのか分からずに、腕の中の体にがむしゃらにぶつけることしかできなかった。





体位を変えつつ声をころしながら、二度三度と精を吐き出した宏樹は、事が終わった後もしばらく床に寝そべったままじっとしていた。
白い肌には俺が無意識のうちに、あるいは途中ねだられて意図的につけた痕が散らばっている。
こうして改めて見るとやたらと扇情的な光景に、これはもう毎回のことなのだがなんだかいけないことをしてしまったような気持ちになってしまう。
努めて冷静に体を拭いて服を整えてあげてから、大丈夫?と声をかけると宏樹はぼんやりと俺を見上げ、そしてやわやわとした口元で小さく呟いた。

「風呂入りたいです……」
「うん、立てる?」
「いやまだ動きたくない……窓開けてもらっていいですか?」
「いいけど、大丈夫なの?」

窓を開けるために立ち上がり煙草と灰皿を渡しながら尋ねたのは、小島くんが嫌がるから部屋では吸えないとぼやいていたことを思い出したからだった。
宏樹は床に手をついて上体を起こしながら苦笑する。

「今いないからまあ、でも後で怒られるかも」
「そういえばこの前も吸ってたっけ。怒られた?」
「そう、……あ」

聞きながら、以前この部屋で煙草を吸っているのを見たあの時も今日と同じことで怒らせたんだったなと苦い気持ちになったが、宏樹は宏樹で別のことに思い当たったらしい。

「もしかしてあの時何か聞こえてたんですかね、だから壁薄いって……」
「……あ、そうか」

つられて思い出したのは、その後そのままなだれこんだ行為のことだった。その時一歩二歩進展して、しかし確かに声や物音に気を遣った覚えはなかった。

「うわ、あー……マジか、最悪だ……」

眉を寄せうなだれた宏樹は、しかし少しすると諦めたように「まあ今さらか」と呟き、くわえた煙草に火をつけた。ふう、とため息のように白い煙が細く吐き出される。

事後の一服を待つ時間は、手持ち無沙汰と言えばその通りなのだがそれでも好きな時間の一つだった。
少しずつ日常に戻りつつも甘ったるい余韻が残っているような境目のような曖昧な空気の中で、いつもよりお互い少し正直になれるような気がする。

隣に腰を下ろすと宏樹は俺をちらりと見て、そして左手を伸ばしてきた。頬を親指の腹で二、三度撫でられ、それから髪をそっと耳にかけられる。

「なに?」
「ちょっと堪能中です」
「俺を?」
「そう」

そのまま耳たぶをなぞる指がくすぐったくて思わず笑ってしまうと宏樹も口元を緩めた。
窓からはしんとした夜の空気が漂ってくる。
灰皿にとん、と灰を落とした宏樹は、ふと何か迷うような表情をみせた。どうしたの、と尋ねると、どこか気まずそうな視線が帰ってくる。

「あの、元哉さんピアス開けてます?」
「ううん、したことないけど」
「そうなんですか」

続く言葉を待っていたがそのまま宏樹は口を閉じ、左手も引いてしまった。

「何で? 開ける?」
「いや、あー……」

だから反対に尋ねると、口ごもったまま視線が逸らされる。
けれど辛抱強く待っていると、観念したように口を開いてくれた。

「ちょっと考えてたんですけど、俺も元哉さんに痕つけたいなと思って」
「うん」
「キスマークとかはやっぱり誰かに見られたら問題だし、指輪もできないし、だからピアスとかどうかなと思ったんですけど。でもちょっと重すぎますよね、すいません」
「え、何で? そんなことないよ」
「だって体に傷つけるわけだし、消せないから。穴塞いでも痕残るっていうし」
「いいよ全然。なんなら別に刺青いれたっていいよ。宏樹命とか」
「それはさすがに」

宏樹は小さく笑い、それからもう一度左手を伸ばしてきた。何かを確かめるように俺の耳たぶを辿る指先はひんやりとしていた。

「お揃いで俺もしていいですか」
「うん、嬉しい。後で一緒に選ぼうよ」
「重くないですか、俺。大丈夫?」

重いわけがないのに、むしろ俺の方が絶対に重いのに、なんなら一生片思いしているくらいの覚悟なのに、こんな風に気を遣ういじらしさに胸が締め付けられるような気がした。
一体何をどう言えばこの気持ちが伝わるんだろう。
手を握り、引き寄せると宏樹は俺の肩に額を押しつけてきた。
重くないよ。好きだよ、大好き。俺の幼稚な言葉を聞きながら、宏樹は俺の腕の中でほっとしたように小さく息をついた。

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