▼ 01

体育祭の話


看板製作もつつがなく終わり、体育祭前夜。
風呂に入ろうとしていたところ、脱衣所の外から「ちょっと入っていい?」と声をかけられた。
いいよと返事をすると扉が開き、

「さっきシャンプー使いきっちゃったから詰め替え買ってきた、んだけど……」

入ってきた小島は、既に上半身裸だった俺を見て目を丸くした。

「うわ、何それ」
「え、ああ」

視線の先を追って、小島が見ているものにようやく気づいた。若干薄まりはしたものの、まだ肩に先輩の歯形がくっきり残っていた。小島が真ん丸に目を見開く。

「うわーマジか。意外とえぐいプレイしてんなあ。痛くないの?」
「別に痛くは、そんなに」
「え、なにもしかして気持ち良かったの?」
「いや、……」

めちゃくちゃ良かったとはさすがに言えないので黙秘していると、俺の肩をまじまじと見ていた小島は訝しげに視線を上げ、そして笑い出した。

「もしかして大谷Mなの?」
「そんなんじゃない」
「はは、マジか。でもそうか、会長様意外と重いタイプなんだね」
「小島だってしょっちゅうキスマークびっしりつけてるだろ」
「まあそうだけど、でも普通は今の時期痕つけんの控えるんだよ皆」
「体育祭だからってこと?」
「うん、なんやかんや皆脱ぐでしょ。僕らの騎馬戦だって上半身裸じゃん」
「……え、マジで?」
「そうだよ。説明聞いてなかったの?」

と言われると聞いたような気もするが、いやどうだろう正直あまり記憶になかった。
小島に見られるくらいなら別に構わないが、これを大勢の前で公開するのはさすがに憚られる。

「どうしよう。消えるかなこれ」
「無理でしょ、明日だよ」
「だよなー……どうすればいい?」
「どうって、まあ隠せばいいんだけどさ。湿布とか貼って。肌色のやつ」
「あ、そうか」

じゃあ別にいいか、と安心していたら小島は呆れたような顔をした。

「そうなんだけどそういうことじゃなくてさあ。隠してる時点で痕ついてんのはバレバレだからね。あからさまな牽制というか、こいつに手出すなって言ってるようなもんじゃん。つまりそういうタイプの彼氏がいますって宣伝して回るようなもんなわけで」
「……ああ、なるほど。それでか」

ようやく腑に落ちた。だから先輩はあんなに、本当に痕をつけてもいいのか確認して、いいと言ったら嬉しそうな顔をしたのか。
そうなると俺が全く理解していなかったのは申し訳なくなるが。

「でも本当に意外だな、会長様もっとあっさりしてる感じかと思ってたけど違うんだね」
「まあそうだね、あっさりはしてないかも」
「大谷そういうの重くないの? 僕は好きだけどさ」
「俺もまあ、つうか重いのはお互い様だし」
「そうなの? それも意外だな。大谷こそ淡白そうというか、そういうの嫌がるタイプかと思ってた」
「そんな風に見えてんの? むしろ俺の方が重いと思うけど」
「マジか、へえーでもいいなあ。シュンちゃん絶対そんなのつけさせてくれないもん。めっちゃうらやましいんだけど」
「自分はあんなにつけるくせに?」
「そう。絶対嫌がるんだよ。どうせ遊びにくくなるからだろうけど」
「早く別れて重い彼氏見つけろよ」
「それができたら苦労しないって」
「できるだろ」
「できないよ。だって好きなんだもん」

しんみりと呟いて目を伏せた小島は、俺が「でもさあ」と食い下がると、不服そうに口をとがらせた。

「大谷だって会長様が浮気しててもいきなり嫌いにはなれないでしょ」
「……そうか。そうかも」

先輩が浮気していたら、というのは想定だけでも嫌だったが、確かに小島の言う通りのような気もした。
もし先輩が俺以外の人に手を出したとして、いやそんなことをするような人ではないと思ってはいるがもし仮にそういうことがあったとして、やっぱり多分いきなり先輩を嫌いになったりはできないだろう。
多分嫌だったり悲しかったり怒ったりしながらも、どうしたって先輩のことを好きでい続けてしまいそうだった。
決して楽しくはない想像だったが、というか正直とても嫌な想像だったが、そうやって先輩のことを考えたことで、ふと思いだしたことがあった。先輩が偶然小島に会ったと言っていたことだった。

「そういえば先輩に会ったんだって?」

だから尋ねると、小島は「えっ」と気まずそうな顔をして視線をさまよわせた。

「あ、あー……なんか言ってた?」
「うん、まあ。悪いな、迷惑かけてたみたいで。ありがとう」
「いや、それは別にいいんだけど……」
「でも何で小島に言うんだろうな。俺に直接言えばいいのに」

夏休み前の西田さんの件もあるし、別にわざわざ小島に仲介を頼まずともというのは疑問だったのだが、それについては小島はしたり顔で頷いた。

「大谷が話しかけにくいんでしょ。一見取っつきにくそうだしあんまり喋んないし」
「え? 普通に喋ってるけど」
「そりゃ僕とはね。でも基本安田くん達とつるんでるし、特定の人としか絡まないように見えるんじゃないの。クラスでも話すの江藤くらいじゃん」
「ああそっか、なるほど」

そんなつもりは別になかったが、言われて見れば確かに納得だった。
そうかそうすると話しかけにくくて小島に仲介を頼みたくなるのか、と考えていたら、小島はふと複雑そうな顔で眉を下げ、目線で俺の肩を指した。

「ってことはそれ僕のせい? 僕が会長様に喋っちゃったから?」
「ああ、違う違う。別件」
「別件? なんかあったの?」
「いや別に大したことはないんだけど、看板係が一緒だった人がちょっと。で、それを先輩に聞かれちゃったというか」
「ふーん?」

小島は釈然としないような顔をしたが、本当に別にわざわざ詳細を話すほど大したことではなかったのでそれ以上の説明はやめて、いそいそと風呂に入った。





という経緯を経て体育祭当日。
小島のせいでは全くないのに責任を感じてしまったのか、朝一でどこかから湿布を調達してくれた小島は、問題の騎馬戦の直前に肩に貼るのを手伝ってくれた。だから見た目だけはやたらと派手な痕は無事に隠れたのだが、集合場所で江藤くんはそれを見るなり「マジか」と笑った。集まってくるクラスの人達の視線も、必ず一度は俺の肩に止まっていく。

「うわー意外だな」
「見なかったことにして」
「さすがに無理だよ、ねえ相手誰なの?」
「内緒」
「かなり気になるんだけど。ねえ小島も知りたいよね?」

話を振られた小島は肩をすくめて笑った。

「そうだね」
「ね、ほらヒントだけでもちょうだいよ」
「いや無理無理」

江藤くんを何とかごまかしつつ、騎馬戦自体はわりと早い段階で小島が帽子を取られたことでつつがなく終わった。全員参加のクラス対抗綱引きも初戦で敗退し、午前中のうちに俺の役目は全て終了したわけだった。
だからこれまでなら早々に抜け出して最近はすっかり足が遠のいている例のベンチなりこの前慎二さんが見つけた屋上なりで適当にサボって、平和に体育祭を終えるところだった。そうしておけばよかった。

しかし実際はそうせずに、その後も小島と一緒に応援席で観戦を続けた。なぜなら、江藤くんに借り物競争が面白いらしいよと言われたからだ。結論から言えば見なければよかったのだが。





ところで入学以来、人が大勢集まる場所や集会や行事や、そういう所を可能な限り避けたりサボったりしていた俺は、今回初めてまともに最初から行事に参加していた。夏休み前に一度やむを得ず行った食堂や小島の反応から先輩の知名度や人気については知っていたつもりだったのだが、実際は俺の予想をはるかに超えていたらしい。

特記すべきことがあるとしたら、やっぱりまずは朝一の開会式だろうか。開会のアナウンスの後に校長の少々長すぎる話があり、そこでややだらけかけた雰囲気は次に入れ替わりで先輩が登壇したことで一転した。
まず登場だけで割れるような大歓声が起こり、1学期のうちはあらゆる行事をサボり倒していた俺にとってはそれだけでも初めて見る光景だったのだが、先輩が簡単な注意事項の後に全員を鼓舞するような発言をする段になると熱狂はさらに増し、ああ本当に人気がある人なんだなと実感するには十分すぎる出来事だった。

人前で見る先輩は俺といる時とは全然違っていて、なんというか堂々とした態度でいかにも男前な生徒会長ですという感じで、例えば休日の朝に早起きして眠そうに目を擦っていたりだとか今日は行きたくないもっと寝たいとぼやいたりだとか、そんな可愛らしい一面はなりをひそめ、もしかして別人なのではあるいは俺があの人と付き合っているなんて俺が見ている都合のいい夢なのではと思ってしまうほどだった。
そんな先輩は三年生全員参加の棒倒しでもやたらと大活躍して興奮しすぎた親衛隊の人が数人保健室送りになるという騒ぎを起こし、そこまでは俺も純粋にすごいなと思いながら観戦していたのだった。

問題は件の借り物競争だった。
どうやら一クラス数人ずつの選抜競技で、周囲の反応をみるにどうやら人気のある人がこぞって選ばれていたようだった。運動部の部長だの各委員会の委員長だの親衛隊がいる人だの、とにかく声援がすごかった。

借り物のお題は物というより大体が人で、「猫が好きな人」とか「坊主の人」とかのおとなしい物から「かわいい人」とか「元彼」だとかこの学校ならではというかちょっと際どい物まであり、そのせいで大いに盛り上がりを見せていた。
特に最終組で風紀委員長と先輩が揃ってスタートラインに並んだ時の盛り上がりは圧巻で、二人が揃って「好きな人」のお題を引いた時に最高潮に達した。風紀委員長は笑いながら先輩の背中を叩いた後、彼氏らしき人を風紀委員のテントから引っ張り出し、一方先輩は困り果てたようにその場に留まっていた。

「どうするんだろうね」と小島は呟き俺も首を傾げたが、お題を引いたまま立ち止まっていた先輩はすっと片手を上げた。
どうしても困った時のために物言いシステムがあって、例えばさっき「元彼」のお題を引いた人も元彼なんかいないと言って今付き合っている人の手を引いてゴールしたのだった。
そもそも好きな人にしろ元彼にしろ男子校の行事のお題としてはいかがなものかとは思うがそれはもう今さらどうこう言うことでもないのでさておくとして、先輩もそれに倣うことにしたらしい。
走り寄ってマイクを向けた実行委員に向かって先輩は、好きな人がいない時はどうすればいいのかと尋ねた。もちろん俺が出て行くわけにはいかないのは百も承知なので、それには別に異論はない。
が、問題は実行委員の答えだった。耳につけたインカムらしきものでおそらく他の委員と何やら話し合った後、彼は満面の笑みで言ったのだった。「じゃあ好みの人で大丈夫です!」と。
応援席はわっと湧きたち、先輩は困ったように天を仰いだ。

困るだろうなというのは想像に難くなかった。俺がいなければ別にたいして困ることもなく適当な人を選べばいいのだろうが、自分で言うのもなんだが俺の存在が多分難易度をものすごくあげていそうだった。
俺だったらどうするだろうと考えてみたが、うまい方法は思いつかなかった。可能ならばギブアップか、でもそれが許されそうな雰囲気ではないしだとすれば小島あたりを選んでお茶を濁すか、そうすると先輩ならば西園寺さんだろうか。でもそれはそれでなんか嫌だし慎二さんもうるさそうだし。

とつらつら俺が考える間、先輩はおもむろに職員席を振り返った。
なるほど確かにうまい手だった。誰か無難な先生を選べば確かに一番角は立たないだろう。
しかしすんでのところで「生徒でお願いします!」とストップがかかり、先輩は今度こそ途方にくれたように立ち止まった。

「どうするんだろうね」と小島がもう一度言った時、不意に近くのテントから飛び出してきた人がいた。
それが先輩の親衛隊の隊長である萩尾さんだということは遠目にも一瞬で分かった。
会話まではさすがに聞こえなかったのだが、自分から現れた助け舟に先輩がほっとしたような顔をしたのは見えた。
二人が手をつないでゴールに向かって走りだした時、小島は俺を小突き「顔怖いよ」と囁いた。自分でも眉間に力が入っているのがよく分かって、緩めようとしたが結局諦めきびすを返した。

「ちょっと一服」
「絶対ダメ」
「じゃあトイレ」

肩をすくめた小島はもう何も言わなかったので、そのまま歩き出した。

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