▼ 03

その日の夜。先輩からの連絡は宣言通りいつもより少し早い時間に来た。待ち時間としてはいつもより短かったはずなのに、実際より長く感じてしまった。握りしめていた携帯が震えた瞬間、部屋を飛び出した。ほとんど走って非常階段を上がり、とはいえ廊下を走るわけにもいかないのでそこで一旦息を整えた。出迎えてくれた先輩の顔を見た瞬間飛びつきたくなってしまったが、なんとか堪えた。

「ごめん、待たせた?」
「ううん、今日本当に早かったですね」
「がんばった。ちょっと仕事残してきちゃったけど」
「大丈夫なんですか?」
「なんとかなるよ」

話しながら、いつもなら先輩の部屋に来たらまずソファーに向かうところだった。
ソファーに座ってとりとめもない話をしたり、映画をみたり、時には将棋をしたり勉強をしたり本を読んだり、そういうワンクッションを挟んだ後にいつの間にかそういう雰囲気になったりならなかったりというのがいつもの流れだった。
けれど今日は違った。先輩は俺の手を引くとリビングを素通りし、真っすぐ寝室に向かった。

寝室の扉が開きベッドが目に入った時、なんだか急に緊張してしまった。先輩とするのもこのベッドでするのも初めてではないのに、なんなら何回もしているのに、今からするんだなと思ったら急に体温が上がってしまったような気がした。
そもそも今まで、確かに休日前には今日はできるかなと予想して準備してみたりということはもちろんするものの、言葉にしてはっきり行為の約束をしたりしたことはなかった。だから今日改めて「最後までしていい?」と聞かれたことで、今に至るまでずっと、そのことばかり意識してしまっていたのだった。
そんなわけでつい硬くなっていると、先輩は俺に覆いかぶさりながら微笑んだ。

「どうしたの今日、緊張してる?」
「なんか……、いや、はい……」
「なんで?」
「なんでって……」

なぜかと聞かれたらそれはもうあんなことやそんなことばっかり考えていたからですとしか言えないのだが、さすがに言えず口ごもっていると、ふと先輩の雰囲気が少し変わったのが分かった。
電気をつけないままだったので表情ははっきりは分からなかったが、なんとなくそんな気がした。

「あいつにさあ、何もされなかった?」
「あいつって、ああ、いやあれは本当に何もないですよ。彼氏いるのか聞かれただけで、いるって言ったらそれ以上何も言われなかったし」
「へえ」
「……もしかして怒ってます?」

おそるおそる尋ねると、先輩は数秒黙りこみ、そして俺の肩にこつんと額を押し当てた。

「ごめん。怒ってるわけじゃないよ」
「でも……」
「ただのやきもち。というか心配してるだけ。いちいち気にしてたら身が持たないのは分かってるんだけどつい」
「いちいちって、こんなこと早々ないですけど」
「本当はモテてんのは知ってる。宏樹が知らないだけで」
「え?」

思わず聞き返せば、先輩は顔を上げ俺を見下ろした。ようやく暗闇に目が慣れてきたのか、先輩のどこか固い表情がぼんやり見えた。

「この前偶然小島くんに会ったんだけど、宏樹のこと紹介してって迫られてるところにばったり出くわして」
「え、誰に?」
「知らない顔だったけど、時々あるんだってそういうこと。でも実際は多分もっとありそうだったな。俺に言いづらかっただけで」
「そうなんですか? 聞いたことないですけど……」
「全部小島くんが断ってるって言ってたよ。最初の頃に一回宏樹に言ったら嫌がってたから後はもう言ってないって」
「あー……そうか、全然知らなかったです」

そういえば入学直後にそんなことがあったような気もする。男同士の恋愛がごく普通に存在することを知って、でも先輩とも知り合う前だし自分が男とどうこうなることなんて考えたこともなかった頃だったので普通にビビってそういうのはちょっとと断ったことがあったことを、言われてみれば思い出した。
その後は特にそんなことはなかったのですっかり忘れていたが、ということは小島が全部断ってくれたということか。ありがたい話だが多分小島も普通に迷惑だっただろう。後で謝らないといけないなと思っていたら、先輩はふと少しむくれたような顔をした。

「知りたかった?」
「え? 何を?」
「誰にモテてんのか」
「いやそれは別に興味ないですけど」
「本当に?」
「本当に。というか元哉さん以外の男に興味ないですよ、俺」
「……そっか、ごめんね重くて」
「重くないですよ。多分俺の方が独占欲強いし」
「そんなことないと思うけど」
「いや、そこに関しては自信ありますよ俺」

そんなところに自信があってもという話ではあるが、残念ながら事実だった。だからこそ先輩が今どんな気持ちかは手に取るように分かってしまった。
とはいえそもそも俺に関しては何もやきもちなんか妬く必要もないし、一体何を言えば安心できるかは全く分からないのが問題ではあったが。
ただ分からないながらも何か言わないとと思いながら、口を開いた。

「本当は俺、ちゃんと彼氏いるって言ってほしいし指輪もしててほしいんですよ。無理だってのは分かってるけど。それに仕事ばっかしてないでもっと構ってほしいし、独り占めしたいし、元哉さんのことばっかり考えちゃうし」
「……そうなの?」
「はい。今日だって最後までしようとか言うからずっとそのことばっかり考えちゃってたし、そのせいで緊張しちゃったんですよ。他の男のこと考えてたわけじゃなくて」
「うん……」
「だからはやく機嫌なおしてちゃんと責任とってください」

頬を撫でてキスをすると、先輩はくすぐったそうに目を細めた。

「うん、そうする。……あのさ、1個お願いがあるんだけど」
「何ですか?」
「もし嫌じゃなかったらなんだけど、ちょっと痕つけててもいい?」
「ああ、いいですよ」
「本当に? 大丈夫?」
「はい。それでちょっとでも安心するなら俺は全然」
「……そっか」

ようやく表情を緩めた先輩は、嬉しそうに微笑んだ。




その日の行為はいつもとは少し違っていた。
乱暴だったわけでは決してなかったし、急ぎすぎて痛いというようなこともなかった。でも普段のもしかして遠慮してるのかなと思うくらいの優しすぎる気遣いはなりをひそめ、口数も少ないし、途中で俺がちょっと待ってと言っても待ってくれないし、やっぱり何か思うところがあったのだろう。
ただ全体としてはもちろん優しいので表現が難しいのだが、言い方を選ばずに言ってしまえば捕食される獲物のような気分になってしまった。
それが嫌だったかと言えばそんなことは全くなくてむしろ何というか正直ちょっと興奮してしまったわけだが、しかし先輩の心境を思えば俺が一人で勝手に興奮しているのもどうかとは思うものの自分でもどうしようもなく、とにかくそんな感じでいつもよりもだいぶ早い段階で余裕を根こそぎ奪われてしまったのだった。

そもそも最初の方で手と口だけで一回イかされてしまったのが良くなかった。余韻が引かないうちに先輩が中に入ってきて、奥を刺激されて、それほど間隔をあけずにもう一度達してしまった。それでも先輩が全然手加減してくれないから堪らず、ちょっと待ってもう無理一回止まって休憩させてと泣きを入れて、そこでようやく先輩が一息入れてくれた。

「大丈夫?」
「じゃない……」
「すごいな、顔とろとろでかわいい」

俺を見下ろした先輩は口元を緩めると、優しい手つきで俺の頬を撫でた。
それから俺を抱きしめ、右肩のあたりに顔をうずめた。

「なあ、本当に痕つけていい?」
「うん……」

若干のインターバルで少し息がつけたものの、中に入ったままのものはどうしても意識してしまうし、だから肩のあたりを吸われた時もやたらと敏感に刺激を受け取ってしまった。
小さく跳ねた体を抱きしめる先輩の手に力がこもる。
一つ息を吐くと、今度は同じところに軽く歯を当てられた。

「ん、……っ」

様子を見るかのように繰り返される甘噛みに、体の奥がじんわりと疼く。
堪らなくなって先輩の背中に回した手に力をこめた時、先輩はそっと囁いた。

「嫌だったら言って」
「え、……っ、あ……!」

肩に痛みが走って反射的に体に力が入り、遅れて本格的に噛みつかれたことに気がついた。
すぐに解放され、反対にいたわるように舐められる。

「痛かった?」
「や、平気……、っ、ん、あっ……!」
「っ……すごい中締まるんだけど本当に大丈夫?」
「うん……あ、ーーっ!」

続けて何度か歯を立てられるうち、自分でも先輩のものを締めつけてしまっているのが分かって、中の硬さや温度をありありと感じてしまった。
痛いか痛くないかと言われればもちろん痛くないわけではないのだが、でももはやそういう問題ではなかった。そういえば前にも、今よりはだいぶ軽かったけれど同じようなことがあったのをふと思い出した。つまりそういうことで、俺の体も心も、先輩に抱きしめられて腕の中に閉じ込められて噛みつかれているのを、確かに喜んでしまっていた。
俺が気づいたのだから、先輩も同じことに思い至ったのだろう。「もしかして気持ちいいの?」と囁かれ、さすがに自分でもこれはどうかと思って頷けなかったのだが、でもこういう時に隠し事ができた試しはなかった。
そっか、と一人納得した先輩は「もう一回していい?」と甘い声を出し、そこでようやく俺は先輩の肩を押さえた。

「待って、だめ……」
「なんで? 気持ちいいんじゃないの?」
「っ、ちが」
「違うの?」

焦らすような甘噛みに体が震える。もうごまかしきれそうになかったので、諦めて素直に白状するしかなかった。

「またされたらもうイっちゃう……」
「……あーマジか、本当かわいいな……いいよ、イって」
「でも、っ……」
「それとももうやだ? やめとく?」
「……」

顔をのぞきこまれ、視線が合って、そうしたらもう嘘はつけなくなった。俺の両手はひとりでに、先輩の頭を引き寄せた。

「やめないで……もう一回」
「……うん」

ねだった途端、不意に体内を突かれた。ねじこむようにいちばん奥を刺激され、今まで少しでも声を抑えたいという努力をしていたがもう完全に我慢なんかできなくはった。そのまま肩を噛まれる前、耳元で「好きって言って」と囁かれた。

「す、好き……ん、あっ、あ、いく、っ、すき、あ……っ!」

奥の刺激と肩の甘い痛みと、強く抱きしめられてどちらからも逃げられないまま、俺も先輩の体にしがみついて、そして頭の中が真っ白になった。




事後の一服中、俺の右肩を撫でながら先輩は眉を下げた。

「ちょっとやりすぎちゃったな……痛い?」
「いやそんなには。大丈夫ですよ」

見下ろせば確かに、いかにも噛まれましたというような歯形がくっきりついてしまっていた。
服を着た先輩はいつも通りの優しい先輩に戻り申し訳なさそうに心配してくれたが、実際見た目ほどにはたいして痛みもなく、手を動かしてみてもたいして支障はなさそうだった。

「あーでもごめんな。本当はもっと優しくしたいんだけどな」
「別に謝ることないのに。というかしたいことあるなら遠慮しなくてもいいですよ」
「うーん、でもなあ」
「まあちょっと手加減してほしい時はありますけど」
「そうだよな、それはごめん」

ちょっと笑いながらもう一度俺の肩を指先でそっとなぞった先輩は、少ししてからふと顔を上げた。

「というか宏樹さ、痛いのが好きなの?」
「痛いのは別に、そういうわけじゃないですけど」
「じゃあ噛まれるのが好きってこと?」
「いや、まあ、ええと……」
「それともいじめられるのが好き?」
「あー……」

正直答えにくい質問だった。痛いのは本当に別に好きというわけではないと思うが、二番目の質問は今回のことで認めざるをえなかったし、最後の質問についてももしかしたらそうなのかもしれないなと今までも薄々思ってはいた。
しかしそれを口に出して認められるかというとそれはまた別問題で、少なくともそういうことをしている時ならばともかく今のような普通の会話の中で気軽に言えるようなことではなかった。
が、これはもう前からそうだったような気もするが先輩の前では嘘が上手くつけなくなってしまうのも確かで、俺の曖昧な返事を聞いた先輩は「なるほどな」と納得したような顔をしてしまった。

「早めに言ってよ、そういう大事なことは」
「え、いや、違……」
「そっか、そうだったのか。いやなんとなくそうなのかなとは思ってたんだけど」
「いや、あの普通で! 普通でいいです」
「へえ、普通でいいんだ。本当に?」
「です。本当に」
「そっかそっか、普通"が"いいんじゃなくて普通"で"いいんだな」
「え? あっ、あー……いや本当に、普通のでお願いします……」

いつの間にすっかり機嫌もなおったのか楽しそうに笑う先輩とは裏腹に、俺は一人恥ずかしさに撃沈したのだった。

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