家についてからは、まず満に部屋を与えた。
丁度いいことに、私の住んでいるところはほとんど使っていない部屋が多かったから、軽くほこりを払えばすぐにでも満の部屋はできた。
満が持ってきた荷物は本当に少なく、少女は何も無い部屋に居心地悪そうにちょこんと座った。
「それじゃあ必要なものでも私の部屋から運ぼう。今日はもう遅いから、とりあえず布団が欲しいね? 客人用のものが、他の部屋にあるから取ってこよう」
そう言うと、満は何か言いたげな顔をしてこちらを見上げている。
遠慮でもしているのだろうかと思ったが、尋ねても満は言葉に詰まったように「なんでもないです」と答えるのだった。
いきなり素性も知らぬ者の家に連れて来られたのだから、動揺するのも当たり前だろう。
何はともあれ、既に夜は更けきっていた。
幼い満にとってはさぞかし眠いだろうと、ひとまず満に布団を渡して寝ることにした。
満の部屋を下がろうとした時、満は意外そうな、しかし安堵したような顔をして「おやすみなさい」と鈴の転がるような声で告げた。
彼女もさぞかし不安だろうから、あの殺風景な部屋に何か気に入るものを都合してやりたいが、しかし、小さな子供の好きそうなものが浮かんでこない。
満は遠慮しがちな子だから、どこかへ連れて行ってもあれが欲しいこれが欲しいとは言わなさそうである。
まあ、そのうちきっと心を開いてくれるだろうから、明日は何かおいしいものでも食べに行こうと、トントンと階段を下りながら考えた。
脳内の熱が冷めやらず、書きかけの原稿用紙を机に広げると、その日は類を見ないほど筆が進んだ。
翌朝、起きるともう昼の少し前になっていた。
反射的に満のことを思い出す。
しまった。可哀想に、きっとおなかを減らしているだろう。
寝相で肌蹴た襟元も直さずに、満の部屋へと階段を上ろうとする。
と、過ぎた今の扉から、人の影が一瞬ちらついた。
「みつる」
彼女を呼ぶ声が口からこぼれた。
少女の小さな足音がさらに控えめにやってくる。
「満」
「はい、おはようございます」
廊下で立ちっぱなしになっていた私の前まで満はやってきた。
「起こしたほうがよかったのかとも思ったのですが、ぐっすり眠ってらっしゃるし今日はお休みですのでそのままにしてしまって、大丈夫でしたか? 」
不安そうな面持ちで満は尋ねる。
正確に言えば、締め切り前で時間は一分一秒を争うところであったから、起こしてもらうべきだったのだろうが、今は彼女のそんな気遣いが嬉しかった。
それに、満を迎えてからというもの創作意欲の尽きるところが無かったので心配は無用だろう。
大丈夫だと言うと、満の強ばった顔が少しだけほぐれたような気がした。
不意に愛しさが込み上げて満の頬を撫でると、また満は一瞬怯えたような顔を見せた。
満は少し潤んだ大きな目でこちらを悲しそうに見上げてきた。
すまないと一言詫びると、彼女はフルフルと小さく首を振った。
「あ、あの、私のことは気になさらなくてもかまいませんから……」
おずおずと満は言う。
彼女の言葉の意味を汲みかねて私が首を傾げていると、満は今度は少し瞼を伏せて言った。
「私を、抱くつもりで呼んだのでしょう? 」
彼女の言葉は衝撃的な告白であった。私の頭のなかにはそんなつもりは微塵もなかったが、確かにあのような店から引き取られたのであれば、囲われたと思うのも自然なことだろう。
昨夜からの彼女の不可解な行動にもようやく合点がいった。
「悪いことをしたね。君を呼んだのはそのためではないんだよ。ただ、君のような美しい子と暮らすことができれば、きっと私の筆も進むだろうと思ったのだ」
そう言うと、満は先程から恥じらいに紅潮させていた顔をさらに赤くした。
「申し訳ありません……! その、私……、勘違いをして」
「気にしないでくれ。君は家で普通の子のように生活してくれたらいいよ」
満はコクコクと首を縦に振ると、小さな声でありがとうございますと言った。
本当にいい子を見つけたものだ。私はきわめて機嫌が良くなった。
「それよりもお腹が空いただろう。もう昼になるし、せっかくだから何か食べに行こう。なにか食べたいものはあるかい? 」
私の言葉に、空腹を思い出したのであろう彼女は顔を明るくして答えた。
「それなら、私、洋食が食べたいです! 」
先ほどまでのちぐはぐな会話とは打って変わって、彼女の相貌に見合った、幼い要望がとてもかわいらしく見えた。
そういうわけで、彼女の希望通りに洋食屋へと連れ立って行くこととなった。
私はあまりこういう食べ物を好まなかったけれど、満が喜ぶのであれば少しも苦ではなかった。
遠慮がちなものの、満悦そうに昼飯を口にする満を見ていると私も柔らかな気持ちになった。
幸福の中で、また二人家に戻ると、家の前の人影に気づく。
塀の前に佇んで、あたりを見回し何かを待っている様子のその人物に、いくらか近づくとようやく私は彼の正体に気づいた。
相手も私を認めてこちらへやってくる。
その顔には怒りの表情が浮かんでいるのが見えて、私はひどく狼狽した。
「おい、四条! お前どういうつもりだ」
ずかずかと大股で寄ってくるのは、学生時代からの友人の浮島だった。
「どうしてお前がここにいるんだ」
「先に編集社に行ったらお前の原稿がまだ出来てないというから、代わりに催促を頼まれたのだ。それで家まで来てみたら、締め切りまでもう何時間もないというのに、どうしてお前はふらふらと外を歩いているんだ」
まずいやつに捕まった。
冷や汗を額に浮かべながらも、もうすぐ終わるのだと浮島に言い訳をして、彼を帰らせようと試みた。
しかし、気難しい浮島はそう簡単には操縦できない。
さらに悪いことに、彼は私の背後で後ろめたそうにしている満を見つけた。
「その子は一体どうしたんだ。まさか拐ってきたわけじゃないだろな」
「人聞きの悪い事を言うな。これは知り合いの子を預かったのだ」
「お前のような社会不適合者に子供を預ける者なぞいるか! 」
満のいる前でやめてくれと、正直思ったが、仕事のことも忘れて遊び歩いていた自身にも悪いところはあるので、すぐに書き終えてしまうからと言って、浮島を家に上がらせて会話を切り上げた。
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