結局サクラは、何よりも出会う確率が高い彼の家で待つことにした。と言っても、図々しくも部屋に入る気は起こらず、施錠されたドアにもたれ掛かって悪戯に流れる時間をただやり過ごす。そうしているうちに、今度は足に張りを覚え、その場に腰を下ろして膝を抱えた。冷たい空気が徐々にサクラを蝕んで行く。防寒していると言えど、真冬の戸外は身に堪えた。

(私、こんなところで何しているんだっけ)

いい加減そんな笑いが込上げてくるほど長い時間、サクラは彼を待った。こんな無駄な時間を今まで過ごしたことがあっただろうか。馬鹿らしくなってくる反面、不思議と嫌な気持ちはしなかった。いつもなら、忙しなく一日が過ぎていくのに何の躊躇いも感じなかった。ただお金を稼ぐ為にある毎日が、急になくなったのだ。しかし、喪失感を抱けるほどそれはサクラにとって大事なものではなかったらしい。
抱えた膝に凍えた顔を埋めた。呼吸をすると、籠った熱が凍った頬を溶かしていくようで。暫くそうして暖を取っていたサクラは、気が付けばいつの間にかねむってしまっていたみたいだ。次に彼女が目を覚ましたのは、温かい手がその肩を揺らしたからだった。
思わずはっとして顔を上げたサクラの眼に、見知らぬ男の顔が飛び込んできた。

「うちに何か用か」

驚き眼の少女に対し、男は至って冷静に問い質す。暫く何を問われたかと錯乱していた思考が、漸く活動を開始する。慌ててサクラは立ち上がると、スカートを手で整えた。

「あの、私うちはくんと同じクラスの春野といいます。実は昨日うちはくんちの鍵を私が預かってしまいまして、それで、」
「ああ、春野サクラさん」

早口で告げたサクラの言葉を遮って、男が君かと言いたげに納得した表情を浮かべる。

「サスケから話は聞いている」

ああ、なるほど。つまり彼は

「サスケの兄だ。そこじゃ寒いだろう、どうぞ中に」

言われてみれば若干サスケに似たその顔が少しだけ微笑んで、部屋の鍵を解錠する。

「いえ、此処で結構です。鍵を返しに来ただけですので」

サクラは大きく首を振って、悴んだ手に握られた鍵をイタチに差し出した。しかし、意外なことに、男の無骨な手が差し出されたサクラの拳を包み込むように握りしめた。思わず顔を挙げる。やはり彼と少しだけ似ている男はまた、微笑した。

「せめてこの手が溶けるまでは休んでいきなさい」

眼を丸くしたまま、サクラは最早頷くことしか出来なかった。





昨日踏み入れた部屋にまた上がり込むことになるとは思わなかった。よもや招き入れた人物がサスケの家族だなんて、彼との距離を離そうとすればするほど不本意にどんどん距離は縮まっている気がする。男は何食わぬ顔でキッチンに立ち、何やらかちゃかちゃと食器の音を立てる。恐らく、お茶の準備をしてくれているだろうことは予想がついたが、サクラはもうお構いなくとは言えなかった。この人の存在は脅迫。ノーと言うことを許してはくれない。

「紅茶は好きか」

玄関先で突っ立ったままのサクラに男が呼びかける。

「まぁ…はい」

曖昧にサクラは頷いた。キッチンからひよっこひとイタチが顔を覗かせる。

「中までどうぞ。そこでお茶するのは寒すぎる」

おずおずとサクラの足はリビングに向かう。

「あの、うちはくんは」
「今日は帰ってこない」

さらりと言ってのけた男は手際よくカップに茶色い液体を注いでいた。

「どうぞ」

差し出された白い陶器からは香り高い湯気が立ち上る。とても暖かそうなそれに、まるで導かれるようにサクラはおずおずと手を伸ばし、口に持って行った。 ほっとする。無意識にそう思ったのは始めてだったかもしれない。

「実は、サスケのことじゃなくて、あなたとは別件で話をしたかった」

少し和らいだ表情になったサクラを見兼ねて、男は言った。顔を上げると、目が合った。合った瞬間、合わすものではなかったと悟ってしまった。
この男の目は狡い。暴かれたくない心うちを探るような、目だ。

「今お兄さんがどうしているか知ってるか」
「そういった話でしたら、私からは何も話すことはないです」

口早に言って、サクラは目を伏せた。それでも男は食い下がる。

「もしあなたがあの事件の真相を知りたいなら、一度、面会に行ってみないか」
「そんなこと、今更知ってどうなるっていうんですか。父や母が生き返るっていうんですか。私の苦しんだ10年がちゃらになるっていうんですか」

男の愚問に笑いそうになるのを堪えてサクラは答えた。

「興味もないので結構です。失礼します」

サクラは男と目は合わせないように、努めて立ち上がった。
あの時の記憶は、もう風化したものだ。サクラの手元には残っていないもの。どうせ責めるのだろう、この人も。兄と呼んだ記憶さえ乏しい人の所業で、私を責めるに決まっている。
サクラがこの部屋と外界を隔てる扉のノブに手を伸ばそうとしたとき、思いもかけず、まだ触れていないノブが下がった。冷たい空気が流れ込んでくると同時に、暗がりに眩しい金髪がサクラの目に投影された。

「えー!?」

彼も予想しなかっただろう。声を上げたのはナルトのほうだった。

「え?ここサスケんち…え?」

表札とサクラの顔を交互に見やるナルトの隣を、構いもせずサクラは歯を食いしばってすり抜けた。鉄筋の階段が革靴に虐められ、甲高い音を寒空に響かせる。 噛みしめる唇から血が滲みそうだ。それと同時に何故か涙が溢れそうだった。




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