連理の枝




さてどうしたものか。
当の本人はなんら気にしていないような顔でサクラの入れたお茶を啜っているのだが、時折突き刺すような視線を浴びせるこの男相手にさすがのサイもどう話を切り出せばい いのか困惑した。
一歩でも動けば噛み殺されそうな猛獣を連想させる。
さらに性質が悪いのは、本人が無意識であるところだ。
恐らく、先程サクラが帰宅した時。
光を帯びた外灯を目にし、慌てふためいて飛んできたことさえも無意識という言葉で片付けられそうなところがサスケの怖いところだともサイは本気で思う。
この男が齎す気まぐれな無意識でうっかり命さえ落としかねない。

「とりあえず君に謝ろうと思って」

無難な言葉を探したものの、遠回りで事を告げるより率直に話して率直に発ちたかったというのが本音。
我ながら唐突すぎるとは思ったがそれ以上の言葉はない。
勿論サスケは不愉快そうに口を曲げる。

「何をだ」
「サクラを連れ出したこと」

サスケが眉を潜める。
それさえも無意識なのだろうか。
サイはちらりと縁側のサクラに目をやった。
彼女はサスケの過失で首の骨を負傷した雛の治療と中途半端だった餌やりをするために、生きたミミズと格闘しているようだった。

「本当は火影様からの伝言だけ伝えて帰るつもりだったんだけど、夜通し泣きはらしたような目してたからつい、ね」

少しだけ、嫌味を含ませた。
サスケのことだから気付かなかったわけではないだろう。
しかし、彼は一つ息を吸うことで、サイのその言葉尻を受け流した。

「まぁ君に用があるっていうのは、そのことじゃないんだけど」

かといって大したことでもないのだけれど、とサイはそう付け加えた。

「君は、ナルトの家に行ったことくらいあるだろう」

まさに昨日お世話になったとはなんとなく言えず、サスケは黙って頷く。

「なら彼の家にあるサクラの絵も見たことあるかい」

その言葉が緩やかに、サスケの記憶に色をつけた。
少し目を伏せた、女の顔。
あどけない春野サクラの面影は何処にもなくて。
幼い頃から一緒に過ごした時間は長いにも関わらず、全く馴染みのないサクラは確かこいつが描いたのだとナルトは言っていた。
曖昧な動作で肯定を表したサスケに、そうかとサイは呟いた。

「だったら話は早いな。あの絵、実は対になっててね、」

言いながらサイは己のポケットをごそごそと漁った。
其処からひっぱりだした一枚の紙はとてもじゃないが綺麗に保管されていたのだろうは思えない。
まるで一度捨てられたかのような皺の付き方をしていた。
折りたたまれた紙を、サイの指が解いていく。
そのキャンバスいっぱいに現れたのは、あの絵と同じ女だった。
けれど。
違ったのは、目を細めてとびきりの笑顔で笑うその表情。
ナルトの部屋で見た、悲哀に満ちたサクラとあまりに対照的で。
サスケはその女の美しさに、すぐには言葉が紡げなかった。

「どっちのサクラの顔も、君に向けられたものだ」

サスケが思わず顔を上げた。
サイの表情が少しだけ、真剣なものに変わった。

「君は誰よりもサクラの傍にいるのに、きっと誰よりもサクラのことを知らない」

挑発するような物言いだったが、不思議とサスケは憤りを感じなかった。
最もこの男が喧嘩をしたくて此処へ来たわけじゃないことぐらいわかっているつもりではいたし、誰よりも言葉選びが下手なことも知っていた。
けれどそれ以上に、当り前のことを言われすぎて、サスケは唖然とした。
サクラのことを知りたいと今まで一度だって思ったことはあっただろうか。
わかった気になっていたからだ。
彼女が何を考えているのか、どう反応するのかさえも。
確かめることを怠って、ずっと逃げ回って。
自分が今目の前のこの男のことを測り知れないのと同じように、サクラのことさえも測り知れなくて当然なのだ。

「と、まぁ別に僕はこんな爺臭い説教にきたわけでもないし、君にそんなことをする理由もない。最もこれからどうするべきか一番よくわかっているのは君だろう」

サイの指が、かの絵を折り目通り綺麗に折りたたむ。
そうしておもむろにサスケに差し出した。

「これ君に持っていてもらったほうがいいと思っただけなんだ。自分でいうのもなんだけど、実物よりよく書けてるよ」

サスケが紙を受け取った。
妙な安心感を持った紙。
よもやこの気に食わない男に与えられるとは思わなかった。
そろそろお暇するよとサイは立ち上がる。
サクラに一言声をかけている様子は目の端に移った。
サスケはもう一度畳まれた紙を開いて見る。
淡紅色が塗りつけられた髪が風と遊び出すのを右手で抑えながら、笑う女。
怖くなるほど眩しい笑顔こそサスケの失いたくないものだった。

「サクラ」

サスケは
ゆっくりと立ち上がった。
そうして、彼女が腰掛ける縁側に足を運ばせる。
不安そうに眉を寄せこちらを見上げる女は、やっぱり此処に来てはいけない人だったのだ。

「――違うんだ」

どう言葉を繋いでよいのかわからず、飛び出した台詞は至極淡白なものだった。
違うのは全てだ。
長期の任務に行くことも、その気になれば子を殺せるといったことも。
もっと突き詰めれば、堕胎してほしいと望んだことも、お前とこんな婚姻を結んでしまったことも。
この複雑な気持ちを表現するには言葉なんかではとても足りない。
けれどどう探ったところで、今のサスケには想いを伝える方法を持ち合わせてなどいない。
サクラはサスケを見つめていた。
ただ何も語らず真っすぐに。
そうして、やがて手を伸ばす。
白く、握りつぶしまいそうなほど細い手が、無骨なサスケの手に重なった。
熱が皮膚を伝わって、骨まで溶かされてしまいそうだ。
その小さな小さな逞しい彼女の手をサスケは握り返すことが精一杯だった。

「サスケ君、私ね、どうしてもこの子を産みたい」

翡翠を埋め込んだ目の奥には、揺るぎのない決意がありありと潜んでいた。
一人の男に愛された女の目ではなく、一人の子を宿した母親の目だった。

「この子が最後のチャンスかもしれないの」

予想だにしなかったその言葉に、はっとしてサスケが顔を上げる。
思わず目があうと彼女は困ったように笑った。
サスケを握り締める手に力が入ったのが分かった。

「助産学は詳しくなくても、これでも医療に携わっているのよ。そうじゃなければいいって思ったけれど、私は妊娠が難しい身体なんでしょう」

サクラの頬が微かに痙攣した。
それでも必死に笑顔で塗り固める。
泣きだしたい気持ちを、誰に打ちけれることもなくずっと一人で。
こんなサクラを彼は知らない。
泣き笑いで本心を欺けると思っているような彼女を俺は。
無言は肯定の証だ。
そっかと小さな呟きを洩らしたサクラを、気がつけばサスケは犇めいていた。

「俺はお前を失いたくないだけだ」

どう声にしてよいのかわからず、結果その台詞が其処ら中に有り触れていたものだとしても。
余裕のないサスケの言葉はサクラの心の奥まで届く。
きっとそれが全ての本心。
そう思うだけで、サクラは幸せな気持ちになった。
だってそうでしょう。
この世で一番大切な人に愛されていると思えたのだから。
一人残されるものの痛みと途方もない寂しさをサスケは誰よりも一番よく知っている。
(ごめんなさい)
その不安をまた貴方に与えてしまう私をどうか許して。

「一人にはしないわ絶対。私は絶対に死なない」

死ねるわけない。
愛おしい人と、その人との子を遺して。
医者として多くの患者をみた自分が一番よくわかること。
それは、生死をさまよったとき、生きたいという気持ちが強い者こそ生き残るのだ。
生への執着とはそれほどまでに凄まじい。

「約束する、絶対にサスケ君を残したりしないから」

笑ってしまうほど根拠がなかった。
けれど母親が大丈夫だというのだから、大丈夫なのだろうとそれもまた根拠もなく思えるほど、サスケにとって今のサクラは偉大であった。
情けなくもその言葉が、逃げてばかりのサスケを捕まえた。
今己の胸に蹲る小さな身体を護れるのは、一人しかいない。
愛おしいと胸を張って言える存在。
怖い位に彼女を愛して止まないこの心臓が自分のものであることさえもまだ、どこか遠い世界のような気がしてならなかった。



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