「……お願いだから帰って。」
嫌だ嫌だと駄々をこねるおそ松の前で、あたしは盛大に溜息を吐いた。駅前で成人済みの大人がこんなことをしていて恥ずかしくないのだろうか、なんて愚問が頭を過ぎって笑えてくる。恥ずかしいなんて常識的な考え方がこの男に通じるはずもない。 帰って、とあたしに言われた原因はただ一つ。二人きりだという好条件に浮かれまくった彼は、片道2時間半ほどの道を遠距離バスで行こうとしているにも関わらず、財布を家に忘れてくるという大失態を犯していた。これから向かおうとしている親戚のおばさんの家までは二人合わせて往復で約一万円。お母さんから預かっていた二人分のバス代も、途中で飲み物を買えるようにとくれたお小遣いも、全ては家に忘れてきた財布の中にある。
「お願い!一緒に行こう!な!?」 「だから!お金がちょっと足りないの!行ってもいいけどどっちかしか帰れないの!わかる!?」 「じゃ、じゃあ今から財布取って来るから!」 「バカ!帰りのバス無くなるわ!」
なんせ遠距離で、3時間に一本しかバスが来ないような田舎に出向くのだから、これから乗ろうとしているバスを逃してしまっては帰る手段がなくなってしまう。あたしが持ち合わせていた二人分の往路代と、一人分の復路代を考えるのならば、あたしが一人で行ってくるのがベストだ。とは言え、さっきまであんなに楽しそうにしていた兄がわかりやすくしょんぼりしてしまう姿を見て、何も思わないほど冷徹な人間にも慣れない。兄弟にはドライモンスターの片鱗を持っているだとか言われたりもするが、あたしは末弟ほどのドライモンスターじゃない、はず。 だから、だろうか。バスの後ろの方、二人掛けの席に腰を下ろしたあたしは、心が籠っているのか定かじゃない「ごめんね」を何度も繰り返すおそ松を横目に溜息。
「おばさんにお金借りれなかったらおそ松だけ徒歩で帰ってね。」 「大丈夫大丈夫!なんとかなるって!にーちゃんに任せなさい!」 「そのにーちゃんのせいでお金足りないんですけどね。」 「それについては反論の余地もありません……」
それにしても、この兄はどうしてこうもバカというか、能天気というか、後先考えずに行動できるのだろう。この先の未来に確信なんてものは無いのに、どうにかなるだろう、そう思ってしまうのはきっと松野家の呪いである。だからあたしも、こんなに大馬鹿な兄貴でも信頼してしまうのかもしれない。なんとも厄介な呪いにかけられたものだ。
「……りんご。」 「えっ、え!?りんご!?」 「しりとり。付き合って。」 「あぁ!えーっと、ごりら!」
運転手とあたし達しかいないバスの中、あたし達の声は途切れることなく続いた。
(160622)
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