梟谷 | ナノ


▽ 魂はどこまでも


「赤葦ってさ、いっつも名無しさんちゃんのこと見てるよな!」

土曜日で学校が休みの今日も、俺たちバレー部はいつものように部室に向かい、いつものように雑談を交わしながら着替え始める。やれ昨日のテレビだ、やれアイドルのあの子が可愛いだのと聞こえてくる会話に、俺、赤葦京治もいつも通り聞き流していたのだが。
少し早く着替え終わって髪をセットしている、先輩であり主将でありパートナーである木兎さんは、そのたった一言で俺の「いつも通り」に衝撃を与え、いとも簡単に壊してしまったのだ。

「……は?」
「いやいや、隠しても無駄だからな!」
「隠してませんけど、」
「えっ、無意識だったの!?」
「は?」

それが先輩と後輩の交わす言葉に聞こえたかどうかは置いておく。今の俺には「は?」の一言が限界だったのだ。決して怒っているわけじゃなければ、俺の語彙力が壊滅的というわけじゃないはずだし、木兎さんのことが嫌いというわけでもない。ただ純粋に、混乱していた。
木兎さんが、子どもっぽいようで実は部員のことをしっかり見ていることは、梟谷のバレー部員ならよく知っていることだ。その木兎さんに「いつも見ている」と言われれば、確かにいつも見ているのかもしれないが。混乱の原因は、当の本人である俺自身に全く覚えがないということである。

「もー、そんな怒んなよ。」
「怒ってないです。」
「そっか、良かった。じゃあ体育館行こうぜ!」

しかし、木兎さんの切り替えはあまりにも早かった。きっと木兎さんは、自分の一言で俺にどれほどの影響を与えているかなんて考えたこともないだろう。考えたところで、このモヤモヤ感が木兎さんに伝わるかどうかは別問題だけれど。
結局、木兎さんにあんなことを言われた所為で、自分の視線の先に誰が居るのか気になって仕方がないし、マネージャーである名無しさんからドリンクを受け取った時もどこを見ればいいのかわからなくなってしまった。体は素直だというけれど、体どころか魂ごと支配されているかのように名無しさんを探しては、木兎さんの言葉を思い出して赤面する。今日の部活の記憶はそれだけ。
の、はずだった。

「あ、あのさ、赤葦……」
「えっ、名無しさん?どうした?」

着替えが終わり、これまたいつも通り先輩たちと一緒に帰るべく校門に向かって歩き出せば、不意に誰かに服を引っ張られた感覚がして。それと同時に聞こえた声に、ドキリと心臓が大きく鳴り出すのがわかった。
何かの連絡だろうか、だとすればメールで伝えてくるはず。忘れ物、はしてないはず。何か悪いことでもしただろうか、それならすぐに謝って、それから。
頭の中で様々な考えが浮かんでは、ただひたすら緊張感を生み出していく。「先帰ってるぞ」なんて木兎さんの声が、右耳から左耳へ通り抜けていったような気がした。

「あたし、何か悪いこと、したかな?」
「いや、全然、そういうのじゃなくて……俺の方こそごめん。」
「え、なんで?」
「その、」

勝手に見てたから。じゃなくて、緊張してたから。じゃなくて。
柄にもなく言葉が詰まって、緊張で汗が滲む。それでも真剣に俺を見つめて、返事をじっと待っている名無しさんを見れば、好きだという気持ちが溢れ出して。そうだ、俺の魂は何者かに支配されてるんだった。なんて、咄嗟に重ねた唇を離しながら気付いても遅い。

「好き。」

もう、何もかも手遅れなのだ。
目も耳も鼻も口も、手足も、思考や言葉でさえも、この魂はどこまでも「名無しさんが好き」だという曲者に支配されてしまったのだから。


(160311)お題...まねきねこ


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