青葉城西 | ナノ


▽ 明日は晴れ


 今日はちょっと運が悪かった、ただそれだけ。
 朝から雨が降っていることも、全ての授業で先生にあてられたことも、お弁当が汁漏れしていたことも、家にお財布を忘れたことも、きっとそうだ。朝から雨降りのお陰で突然の雨に当たるなんてことにはならなかったし、授業は分からない所じゃなかったし、お弁当もケースが臭くなった程度だし、定期券だからお財布はなくても問題ない。
全然平気、と気持ちを入れ替えて廊下を歩いていた放課後。このゴミたちを収集場所まで運べば帰宅できる、と思ったのに。
「あ、わり、」
 部活までの道のりを急いでいたのだろう、廊下を走っていたサッカー部の生徒にぶつかって、ゴミ箱の中身をぶちまけてしまった。笑顔で「大丈夫だよ」と告げて、申し訳なさそうに走っていく背中を見送ったけれど、心の中はズタボロである。漫画の世界じゃあるまいし、どうして今日はこんなについてないんだろう。まだ月曜日。これから一週間を頑張っていける気がしない。
 こういう時、手伝ってくれるような優しい人間なんて、そうそう居ない。部活が始まる時間帯でみんな忙しいから、仕方が無いと言ってしまえばそれまでだけれど。一人でゴミを拾い終え、やっと持っていける、と気合を入れて立ち上がる―――が、何を隠そう、今日は運が悪いのだ。
「あ!」
 大きな声が聞こえた時には既に遅く、気付けば全身が濡れていた。声が聞こえた方向へと視線を向ければ、見覚えのある男子生徒がこちらを見て、真っ青な顔をしている。「大丈夫か?」「着替えあるか?」とオロオロする声が向けられる中、あたしから零れ落ちたのは言葉ではなく、生温かい雫だった。

 バレー部主将である及川くんが水飲み場の掃除中、岩泉くんが「一緒に帰るべ」と声を掛けに行った。そこへ、同じくバレー部員である松川くんと彼が通りかかって、色々あって遊びに発展してしまったのだとか。及川くんが彼にかけようとした水が、運悪く、彼が避けたことによりあたしに降りかかったのである。
彼、花巻貴大からの状況報告はここまで。及川くんは今、空き教室で岩泉くんから説教をくらっているらしい。
「下着は濡れなくて良かった……」
「ほんとごめん」
「ううん、ジャージ貸してくれてありがとう」
 月曜日は休みであるバレー部の部室とタオルを借りて、彼の予備ジャージへと着替えを済ませたあたしに、彼はもう何度目かの「ごめん」を紡いだ。彼が避けなければあたしに水がかかることは無かったけれど、だからと言って彼が悪いわけではないのに。
子犬のような表情で許しを請うた―――かと思えば、誰も居ないのを良いことに、学校という場であるにも関わらず「こっち来て」と抱き寄せられ、それからポンポンを優しく頭を撫でられる。
「何かあった?」
「え、何か、って?」
「お前、元気ねーじゃん。普段ならアレくらいじゃ泣かねーし、むしろ岩泉と一緒になって及川に説教しに行くのに。っていうか、今も泣きそうな顔してるから。何かあったんだろ?」
 そう優しく問いかけられれば、落ち着きを取り戻していたはずの涙腺は再び緩み始め、ぽたぽたと雫を落としていく。自分から聞いたくせに「え、本当にどうした?大丈夫か?どっか痛い?」と彼の焦った声が投げ掛けられるが、生憎とその質問には答えられそうにない。
この気持ちに、明確な理由など存在しないのだ。ただ、ぼんやりと、今日の不運が辛くて、悲しくて、でもこれといって解決する手段なんかなくて。そんな時に彼の声を聞いたから、安心したのかもしれない。
「貴大、しばらくこのままで居て」
「え?あ、うん、良いけど」
 ぎゅう、と彼を抱きしめる腕に力を籠めれば、同じように腕に力を籠める彼。けれど決して痛いわけではないから、彼がちょうどいい所で力をセーブしてくれているのだと分かる。こういうほんの少しの優しさの積み重ねが、とても暖かくて、愛おしくて。訳も分からず急に泣き出して、まるで子どもみたいだと自嘲しながらも彼に縋りつくあたしなのに、彼は、そんな面倒な女を厭うことなく包み込んでくれるのだ。
「俺、お前が元気になるためなら何でもするから」
「……何でも?」
「そ、なんでも。だから、んな寂しい顔すんなよ」
 な?と促すようにあたしの顔を覗き込んだ彼は、あたしのことを言えないくらいに泣きそうな顔をしていた。きっと、あたしが彼にそんな顔をさせてしまったのだろう。そう思うと、申し訳ないという気持ちと同時に、何故か嬉しいという気持ちが込み上がってきて。
貴大も寂しい顔してるよ、と言うあたしに、彼は「お前が寂しいなら俺も寂しい」と紡いだ。それから「だから、早く元気出して」とも。またしても子犬のような表情をする彼に、まんまと転がされている自分に気付きながらも、抗うことなど出来ず。
「ありがと、ちょっと元気出た」
「っ、本当?」
「うん、本当」
 だから帰ろう、と立ち上がって彼に笑いかけて見せれば、彼も嬉しそうに笑った。ほんの少し彼に慰められただけで、コロリと立ち直れてしまうのだから、自分も存外単純である。きっと、これからもこうして彼に心配させては、あっさりと笑顔にさせられてしまうのだろう。たまにはそういう日があっても、悪くないかもしれない。

 良かった、と彼が泣き出すというオプションが無ければもっといいのだけれど。



うちちゃんBD記念(171224)


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