▽ こんな非日常なら悪くない
体調不良なんていつぶりだろうか。滅多に風邪をひかないどころか、風邪をひいたことが殆どない。それくらいに、元気だけが取り柄だったはずなのに、どうしてか受験を控えたこの時期に風邪をひいてしまった。もしかしたら、つい最近引退したばかりの「バレー部」という存在は、俺の心も体も支えてくれていたのかもしれない。だから、風邪もひいたし、一人でいるこの空間が、どことなく寂しい。
親父はいつも通り朝から仕事、母さんもつい先程パートの仕事に出掛けてしまった。いつもは学校という賑やかな空間で生活しているせいか、一人で過ごす真っ昼間の家というのは、どうにも一人だけ別の世界に置いて行かれたような気持ちになってしまうのだ。そうか、だから、寂しいのか。熱が出たら心細くなる、なんていうのを聞いたことがあるけれど、生憎、そんな状況を体験したことがない俺は、この心細さが熱によるものなのか、本当に心の底から心細いのかわからない。そもそも、心細いって何だ。
次第にズキズキと頭が痛みだし、強制的にその思考を終了させた俺は、もう随分とぬるくなってしまった氷枕を取り換えるべく、ゆっくりと体を起こした。
「っ、げほ、げほっ」
自分でもまっすぐ歩けていないのがよくわかる。頭がふらふらして、まるでトランポリンの上を歩いているかのように不安定なのだ。「帰ってきても熱下がってなかったら病院行くよ」なんて母さんが言っていたが、つまり、相当高熱らしい。一人で体を起こしてみて今更気付いた現状に、いつもより熱い溜息が零れた。
そうして壁伝いに歩くこと数分。いつもの数倍の時間をかけて、やっとの思いで台所まで来た。というのに。冷蔵庫に手を伸ばした所で、不意にピンポーンと来客を知らせる合図が鳴り響く。しかも、一度ではなく何度も、だ。こんなにしつこいのは新聞の勧誘か、それとも。
痛む頭に浮かんだうるせぇ顔を心の中でぶん殴って、舌打ちを零す。ゆるゆると方向転換をし、先に玄関へと向かえば、どうやら予想は間違っていなかったらしく「岩ちゃん！及川さんだよ！開けて！」なんて、声もうるせぇ。頭痛と熱の所為でいつも以上に沸点が低くなっているらしい俺は、思わず「うるせぇぞ、クソ川！」と怒鳴り、それからすぐに頭痛に襲われて後悔した。
それと、後悔した理由はもう一つ。ドアを開けたその先に居たのは、及川だけではなかった。「ごめん、うるさかったよね」なんて、しゅん、と肩を落としたのは、及川ではなく俺の大切な彼女である。まさか、彼女が来てくれるなんて思ってもみなくて、驚きと喜びで、一瞬のうちに体調不良がどこかに飛んで行ってしまった。
「プリント、届けに来たんだけど」
「ん、あぁ、さんきゅ」
「声、ガラガラだね、体調あんまり良くないの？」
「大丈夫だから、心配す、っげほ、げほげほ、」
あまりにもタイミングの悪い咳に「病院行った？」なんて及川が顔をしかめた。そんな及川に（面倒臭いけれど）現状を説明してやれば、今度は「ちゃんと寝てなきゃダメだよ」なんて言うから、うるせぇ、と舌打ちをしてやる。寝てねぇとダメなことくらいわかってるし、本来ならば氷枕を交換したらもう一度睡眠をとるつもりだったのに邪魔をしてきたのは及川の方だ。その気持ちが口に出さずとも伝わったのだろうか。
「あたし達が居たら寝れないよね、ごめんね」
「あ、いや、」
「帰るから、ゆっくり寝てね」
そう言って、プリントを渡して帰ろうとする彼女の手を咄嗟に掴んでしまったのは、彼女の顔が寂しげだったからか、俺が寂しかったからか。急に腕を掴まれて驚いている彼女の横で、及川がニヤリと笑ったのが見えた。
「岩ちゃんってば本当は看病してほしいんでしょ？」
「は！？ごほっ、ごほ」
驚きのあまり咳が零れ、生理的な涙で視界が歪む。その向こう側で意地悪く笑った及川は「違う？」なんて、わざとらしく口角を上げた。くそ、顔も声もうるせぇし、性格もうるせぇ。「ちがっ……くは、ねぇけど」と蚊の鳴くような声で答えれば、けらけらと満足そうに笑いやがるから、もう一度舌打ちを投げつけてやった。
そうと決まれば及川の行動は早い。俺を連れて部屋まで戻り、準備を一通り済ませれば「あとは二人でごゆっくり。なんかあったら電話してね。」と言い残して帰っていった。くそ、うるせぇくせにいい仕事していきやがる。
うるさくはないが、こいつもそうだ。
「あたしここに居るから、一旦寝よう？」
「……ん、」
頼まずとも俺の手を握って、空いた方の手で優しく頭を撫でる。それが心地良くて、先程までの寂しさだとか心細さを思い出せないくらいに暖かい気持ちに包まれた。そのまま、吸い込まれるように睡魔に身を委ねる。あぁ、起きたら「ありがとう」ってちゃんと伝えねぇと。それから「お前が来てくれて嬉しかった」とも。
かっさらい隊・きゃべつちゃんより（171015）
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