青葉城西 | ナノ


▽ 奈落の虚城


 今日までの日々は、とても長いようで、とても短かった。
 あたしの彼氏である岩泉一は、同時にあたしの幼馴染でもある。だから、あたしははじめの色んな顔を知っているし、気持ちだって他の人達よりは理解しているはずだ。ずっと続けてきたバレーボールという競技に、彼がどれほどの精神を注ぎ込み、努力してきたかということも。朝早くから夜遅くまで練習していたし、仲間と衝突しては何度も仲直りして絆を深める姿も見てきた。彼女であるあたしが悔しく思ってしまうくらいに、彼の青春の全てがバレーボールという競技であり、この青葉城西高校バレー部だったのだ。
 そんな彼のことをあたしは誇りに思っていた。友達にはもっと構ってもらえばいいのに、なんて言われるけれど、あたしにとってそれは二の次で。これから先もずっと一緒に居ることを思えば、高校の三年間くらいは好きなことをしていてほしいと思ったし、何より、バレーをしているはじめが好きだったのだ。勉強の時には一瞬たりとも見せることのない真剣な表情と、それとは裏腹に点数を取った時に見せる子どもの様なあどけない笑顔。もしかしたら、バレーボールに青春を捧げるはじめこそ、あたしの青春だったのかもしれない。

 こんなにもホイッスルの音が重たく感じたのは、多分、人生で初めてだと思う。春高予選という全国大会行きの最後のチャンス。同時に、この青葉城西高校バレー部のメンバーとして戦える最後の大会でもあった。それが、こうも儚く散ってしまうなんて、誰が予想しただろう。必ずしも勝てる相手という訳ではなかったが、決して勝てないような相手でもなかった。けれど、スポーツの世界に絶対なんて言葉は無くて、つまり、結果こそが全てなのだ。それはきっと彼だってわかっているはず。だからこそ悔しいということも。
「ありがとうございました!」
 観客に頭を下げる彼の足元に、零れ落ちた雫が小さな水たまりを作った。彼の気持ちを分かってあげることは出来ても、その気持ちを代わりに処理してあげることなど出来ない。だからだろうか。頭を上げた彼のことを見られず、視線を彷徨わせてしまったのは。
 試合が終わっても後片付けやらミーティングやらが残っている彼に、あたしは何も言わずに帰路についた。普段なら「お疲れ様、先に帰るね」の言葉と一緒に喜んでいるスタンプを送ったりするのだけれど、今日ばかりは何と声を掛けるのが正解なのかわからない。「今日も頑張ってね!」「おう、ありがとな」なんて、数時間前のあたし達が遠い過去のように思える。結局、何度かメッセージを送ろうと考えてはみたものの、何も送信しないまま夜になってしまった。彼女であるあたしが支えないといけないのに、何もしてあげられない自分が悔しい。
もやもやとした気持ちを抱えたまま、とりあえずお風呂にでも入ろうと準備をしていた、丁度その時だった。コンコン、と部屋をノックされたかと思えば「ちょっといいか?」と聞こえてきたのは家族ではなく、彼の声。
「え、あ、待って!」
 突然の訪問に、慌てて脱ぎ掛けていたTシャツを着直すが、普段はノックすらしないようなこの男が「待って」の一言でドアを開けずに待ってくれるはずもなく。小さい頃からずっと変わらないガサツな部分に「いつも通り」を感じて安心しつつ、けれど、それとは正反対に真っ赤に腫らした目を見て胸が痛んだ。
「……本当は、気持ち整理してから来ようと思ってたんだけど……その、何つーか、気付いたら来てて、」
 連絡しなくてごめんね、とか、試合お疲れ様、とか。言いたいことはいくつか持っていたのだけれど、彼を前にしてそんな言葉を吐く勇気は持ち合わせていなかった。ただ腕を広げて、崩れるようにあたしに飛び込んでくる彼を受け止めることしか出来ない。
「……っ、ふ、……っく、」
 彼が頭を乗せているあたしの肩が、少しずつ彼の涙で濡れていく。乱れた息遣いも、力加減を忘れてあたしを抱きしめるその腕も、全てが彼の感情を露わにしていて、あたしも胸が苦しくなるのだ。
 試合終盤。幼馴染であり、バレー部主将であり、はじめの長年の相棒である及川徹は、はじめを指差してトスを上げた。傍から見れば、お前にトスを上げる、という意味の込められたその合図だったが、二人の関係を知っているあたし達から見れば「お前を信じてる、だから決めてくれ」という及川の期待だったように思う。だから、それを拾われてしまったことは、エースとしてのプライドが許せないのだろう。
 ぽん、ぽん、と背中を優しく叩いて、今はただ、彼の気持ちが落ち着くのを待つほか無さそうだ。

 誰が何と言おうと、あたしの中でははじめが優勝だったよ。
 いつか過去の思い出として笑って話せる時が来たら、その時はこの言葉を彼に。



(170928)お題・まねきねこ様


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