青葉城西 | ナノ


▽ 一秒でも長く


「いやだ」
「あのねぇ、」
「いやだ」

我が家には子どもがいる。新婚生活をすること数か月、本当に子どもがいるという話ではない。子ども、というのはあくまでも例えである。もっと悪く言うとすれば、子どもよりも聞き分けの悪い、躾のなってないペット。
先程から「いやだ」と駄々をこねているのは、旦那になったばかりの彼、貴大だ。スーツ姿の彼は、これから出社し、あたし達の生活の為に一生懸命仕事をしてきてくれる。……予定だったのだけれど、どうにもこれが上手くいかない。

「子どもじゃないんだから」
「んじゃ、子どもでいい」
「良くないから、仕事行ってきて」
「やだ」
「じゃああたしが働く」
「だ、だめ!」

やだ、寂しい、行きたくない、休む、一緒に居たい。登園前に泣いてぐずる子どもの様に、半泣きで仕事に行きたくないとぐずる大人がどこに居るというのだ。しかも、いつもなら数分経てば「じゃあ頑張って来る」と腹を括ってくれるのに、昨日まで三連休だったせいか、今日のぐずりは一段と酷い。「行ってきますのキスして」とせがまれ、もう五回ほどキスをした。いい加減、きっぱりと諦めて仕事に行けるようになってほしい。

「何でそんなにぐずるの?」
「一緒に居たい」
「でも貴大が働いてくれないと、あたし達一緒に居れないよ?」
「っ!?」

驚いた勢いで、ひゅ、と息を吸い込み、数度咳込む貴大。いい大人が、何を今更そんなことで驚くのか。当たり前のことを当たり前の様に述べただけなのに、急にすっくと背筋を伸ばして立ち上がる貴大に、笑いが込み上げる。今は彼の足を引き留めないように、必死で笑いを堪えるけれど。
「行ってきますのキス、して」そう言われ、六回目のキスを彼に落とせば、今度こそドアノブに手をかけて「行ってきます」と。早く帰ってくるから、なんてわざわざ宣言しなくても、急な飲み会が入らない限り、嫌でも早く帰って来るくせに。

「うん、いってらっしゃい」
「行ってきます」
「頑張ってね」
「おう」

ドアが閉まり、彼が戻ってくる様子のないことを確認して、思わずしゃがみ込む。クスクスと笑いが零れるのを抑えきれず、一人で肩を揺らした。「ふはっ、」と声が漏れたのをきっかけに、止め処なく笑い声が零れていく。
子どもみたいで毎朝手のかかる貴大だけれど、そんな貴大が大好きで、愛おしいなんて。今日も今日とて可愛い彼の姿に、こんなにも幸せを感じてしまうバカなあたし。家を出てから数分も経っていない彼を思って「早く帰ってこないかな」なんて、子どもっぽいのはあたしも同じかもしれない。



(170611)お題...まねきねこ


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