虚弱系男子 | ナノ


▽ 風邪


「…………、」

その異変に気が付いたのは、朝起きてすぐのことだった。普段から早起きはそんなに得意な方ではないけれど、自分の体がこんなにも重たく感じることは滅多にない。けれど、起きてしまえばこれと言って体調の不良も見られず「気のせいか」なんて言葉で収める。それからいつも通りに学校に向かい、友達と挨拶を交わし、朝練に参加して。朝の異変なんてすっかり忘れてしまうくらいに、いつも通りの自分だった。うん、大丈夫じゃん。
けれど、昼食に少し近づいた三時間目の後半のこと。特別寒い日というわけではないし、寧ろ暑い日に含まれるはずなのに。

「ねぇ、マッキー」

得体の知れない寒さに震えていれば不意に声が聞こえて、首を声の方に向ける。いつからか、まるで部活のアホ主将及川の真似をしてたまにそう呼ぶ名無しさんは、幼馴染であり、俺の彼女。そして隣の席に座ってるんだから、これはもう本格的に運命だと思ってる。なんてことはこの際どうでも良くて。
今回も名無しさんはいつもの調子で可愛い笑顔を向けたが、その表情は一瞬固まり、それから真剣な顔に変化。

「え、名無しさん?どうしたの?」
「どうしたの?は、あたしの台詞なんだけど。」
「え?」

意味が分からず聞き返せば、名無しさんの表情が怪訝を表すのがわかった。「顔色悪すぎるんだけど」と彼女が表情を変えずに言う。きっと隠してたんじゃないかっていう意味での怪訝な表情だと思うけれど、さっきまで本当に元気だったし、今だって寒気がするくらいで。

「んー、多分大丈夫。」
「でも、」
「ダメそうだったら保健室行くから。」
「大丈夫ならいいけど、」

今度は心配そうな表情に変わり、行く気なんて更々ないけど保健室というワードで何とか心配させないように取り繕う。そうすれば、少しばかり不服そうな顔をするものの、渋々「わかった」と。それからも度々俺の様子を伺ってたけど、結局何もなく昼休みに。寒気だけは相変わらず俺に付き纏うけれど、これくらいなら平気だし。

「じゃあ昼飯行ってくる。」

昼休みは毎日屋上でバレー部のメンバー、及川、岩泉、松川と一緒に食べてる俺は、名無しさんに一声かけて屋上に向かった。ほんの少しふらふらする気がしなくもないが、歩けないほどじゃない。少しだけ歩調を速めて屋上に向かった俺は、自分を誤魔化すようにさっさと座る。

「マッキーどうしたの?」
「顔色悪いぞ。」
「ホントだ。大丈夫か?」

俺の周りは心配性ばっかりか、なんてさっきの名無しさんも思い出しながら、3人にも「大丈夫」と笑って返す。昼になっても寒気と少しのふらつきしかないから、この調子だと部活も出れそうだな。3人も不服そうな顔だが、別に体調不良を隠したいわけじゃなく、本当にそう思ってるからの「大丈夫」だ。

「本当に大丈夫だから、飯食おう。」

ほらほら、と3人を促すように弁当箱を開く。瞬間、さっきまでの「大丈夫」はどこへやら。お弁当を開けた途端に鼻に入るいい匂いが、今の俺には猛毒のように感じられた。
やべ、気持ち悪ぃ。
が、堂々と大丈夫だなんて言ってしまった手前、手を付けないと不審がられるに決まってる。しかも俺の弁当は名無しさんの手作りだから、完食しないと名無しさんにもバレることに。そう思って少しずつ食べ進めるも、結局半分ほど食べたところで残してしまった。
名無しさんに謝らねぇと。



「でさ、国見ちゃんってば気付いたら寝てたんだよ!」
「あいつ急に寝落ちるけど電車とか乗れんのかな。」
「国見には金田一がいるからな。」
「あー。」
「…………、」

それからいつも通り少し談笑してから教室に戻るつもりだったが、どうにも会話が頭に入ってこない。座っているはずなのにふらふらするし、気持ち悪くて何も考えられない。こんなことなら素直に体調不良を訴えれば、弁当くらいは食べずに済んだかもしれないのに。なんて、今更過去のことを嘆いても仕方がないけど。

「マッキー、本当に大丈夫?」

ふと心配になったのか顔を覗かせる及川に、今度は笑顔どころか作り笑いも返せなかった。本当に及川は周りをよく見てる。その気遣いを今は有難く受け取ろう。

「ちょ、ごめん。先に戻るわ。」
「ちょっと待て、」
「お前、保健室行け。」

屋上で座ってるより教室で突っ伏してる方が楽な気がした俺は、いつもより雑に弁当箱を片付けて立ち上がった。そんな俺を慌てて追い掛ける3人に返す言葉も出ない。っていうか、あんまり声を出したら一緒に、その。
何も考えないようにして足早に屋上から出るが、後悔したのはそれからすぐ。普段は気にならないのに、食べ物の匂いや生徒の喧騒が降りかかって。今の俺にとってそれは爆弾でしかない。

「……うっ、」

途端に胃から上がってくる不快感が零れそうになり口を手で塞げば、それに気付いた及川は「先にトイレ行こ!」と声を掛け、岩泉と松川はそっと俺の体を支える位置についてくれた。正直、自分の体を支えるのも限界に近かった俺にはすごく有難い。
もう少し、もう少し。そう思えば思うほどに胃が圧迫されていく気がするのはどうしてだろう。寒気は一段と酷くなって手はすごく冷たいし、そのくせ発熱してる気がするし、吐き気との恐怖で冷や汗が止まらない。

「ふっ、うぐっ、おぇっ、」
「マッキー、もう少しだから頑張って!」

優しく応援してくれる及川の声もどこか遠くに感じる。やばい、早く。「うぐっ、」と何度もえづき、その度に及川が何か言ってるのだけはわかった。それで何が変わるわけじゃないけど、居ないよりは断然良かったと思う。
入口まで来ると、まるで倒れ込むように便器に縋りついた。

「……うっ、うぐっ、おぇ、……おぇっ、」

けれど、何度もえづいて苦しいばかりで、出てくるのは唾液くらい。そんな俺の背中を岩泉と思われる手が撫でてくれてるが、それも吐くほどに達せず。苦しさばかりが募って、みっともなく涙が溢れる。苦しい、吐きたい、助けて。

「……おぇっ、うっ、……うぐっ、はぁ、はぁ、おぇっ、」
「おい及川、飲み物買ってこい!」
「及川なら今さっきどっか行ったけど。俺買ってくるわ。」
「は?悪い、頼む松川。」
「うぐ、おぇっ、けほっけほっ、」

岩泉と松川がなんか話してるけど、理解はされずに耳を通り抜ける。苦しくて、吐きたくて、もうそろそろ気絶してしまいそうで。どうせなら気絶してしまえた方が楽なのに、なんて弱音が頭を侵略していた。けれど。

「貴大、」

その声は、今までの音たちとは格段に違い、確かに俺の耳に届いたのだ。
なんでこんな所に居るんだ、ここ男子便所だけど。しかもこんな無様なとこ見んなよ。いつでも俺はお前の前ではカッコいい男でいたかったのに。……なぁ名無しさん。涙は止まらないし、えづいてるし。しかもこれから吐こうとしてて、今の俺、すげぇ汚いじゃん。
でも、やっぱりこいつは落ち着く。

「おぇっ、うぐっ、はぁはぁ、……うぇっ、」
「ちょっと苦しいかもしれないけどこれ飲んで、」
「ふっ、おぇっ、」
「うん、頑張ってもう少し飲んで。気持ち悪いの全部出そう?」

優しすぎず強すぎず。心地いい強さと、吐き気の波に合ったテンポで、名無しさんは俺の背中をさする。さらに、手渡された飲み物が胃を刺激したらしい。「げぇっごぼっ、」と喉から飛び出した吐瀉物は、びちゃびちゃ勢いよく水面を撥ねた。それが出ると一気に胃の物が込み上げて。

「げぇっ、はぁ、げっ、げぼ、げほっげほっげぇっ、っえ、」
「大丈夫、全部出して。」
「げっ、げぼっげろげろっ、はぁ、はぁ、はっおぇ、げ、げろげろっ、おぇぇ、」



それからどれくらい吐いていたのかわからないが、胃の中にあるありとあらゆるものが吐き出されたことだけはわかった。さっきまでの苦しい感覚はどこかに消え去り、代わりに疲労が俺に襲い掛かる。乱れた呼吸を整えるようにゆっくり息をしていれば、ずっと俺の背中をさすってくれてた名無しさんは、スッと飲み物を差し出して。

「落ち着いた?」
「あぁ……はぁ、はぁ、もう、平気、」
「じゃあ口すすいで保健室行こうか。」

言われた通りに口をすすぐが、疲労と体の不調のせいで動くことすら億劫な俺は、名無しさんに体重を預けてこてんと肩に頭を乗せる。そうすれば名無しさんは「お疲れ様」と俺の頭を優しく撫でてくれて、心地良さに任せてそっと目を閉じた。

それからのことは全く覚えてないけど、男手で保健室に運ばれた俺は名無しさんを掴んで離さなかったらしく。帰りのHR頃に目を覚ました俺の隣で本を読む名無しさんにビックリした。バレー部の面々は保健の先生とクラス担任に事情を話してくれて、名無しさんが言うには監督にも話しとくから気にしなくていいとのこと。そんなに気を使ってくれるなんて申し訳ないけど、今回ばかりはその優しさに甘えることにした。
ありがとう。


(151108)


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