立海 | ナノ


にっこり。


てっきり、家庭科の授業が終われば彼女は自分の元に来ると思ってたのに。
つい先程作られたであろうカップケーキを美味しそうに頬張る彼女には、俺が見えていないことくらい安易に想像できる。友達には似た者同士だって言われるけど、俺はあそこまで無我夢中に食べてるつもりはない。

「名無しさん、」
「ん!ふんふぁ、」

名無しさんの前の席のやつなんて覚えてないけれど、勝手に席を借りて名無しさんの顔を覗き込む。そうすれば名無しさんは、リスみたいに口をもごもごさせながらもとびきりの笑顔を俺に向けた。そんな顔、他の誰かに見られたらどうすんだよ、可愛すぎだろぃ。なんて言葉が口から零れそうになるけど、何とか飲み込んで「美味そうだな、それ。」と。

「うん、美味しい。」
「家庭科だったんだろぃ?」
「そうだよ、授業で一つ食べて、これはお持ち帰り用。」
「ふーん。」

そういう話じゃなくて、くれよ、なんて図々しいことは言えないなりにも、遠回しに強請ってみたわけなんだけど。それをわかってるのか、名無しさんも美味しそうに食べるもんだから悔しい。
そんなことを思いながら名無しさんを見ていたせいか、気付いたらずっと見つめてしまっていたらしく。名無しさんが「そんなに見られたら恥ずかしい」と頬を赤くするのを見て初めてハッとし、咄嗟に顔を反らした。仮にも教室内、つまり公衆の面前で彼女を見つめるとか変態か。
すると不意に名無しさんが手を休めて、それから「ふふ、」と笑みを零した。

「何だよぃ、急に笑って。」
「ブンちゃんがおもしろくて、つい。」
「はぁ?」

名無しさんの言いたいことがわからずに首を傾げれば、名無しさんはもう一度嬉しそうに笑って。食べかけていたカップケーキに手を伸ばしたかと思えば、手に取ったそれを自分の口元ではなく、俺の口元へと差し出した。そして「食べたかったでしょ?ほら、あーん。」なんてすっげー恥ずかしいけど、素直に口を開ける俺。
食べた瞬間口に広がる甘さに思わず「美味い」と漏らせば、名無しさんは嬉しそうに「良かったぁ」と笑った。

「つーか、わかってたなら最初からくれれば良いだろぃ。」
「でも欲しいって言われなかったし。」
「それはそうかもしれねーけど、」
「食べてたらブンちゃんがあたしのこと見てくれるの分かってたし。」

にこり、と笑う彼女に、俺は「は?」という一文字しか絞り出せなくて。
つまり、その、俺が名無しさんをガン見するであろうことをわかった上で、まんまと罠にはまる俺を見て楽しんでいた、と。頭の中でやっとそれを出来た時には既に遅く、名無しさんのしてやったり顔が目の前で嬉々としているのを見て、俺は敗北感に溢れた溜息を一つ零した。


にっこり。
(でも理由が可愛かったから許す。)


(150115)企画「に」


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