君の代わりに | ナノ



08.


名無しさんちゃんは、仕事を覚えるのが早い。それだけやなくて、効率も良い。マネージャーには向いてるんやと思う。ただ一つ、名無しさんちゃんにはここのマネージャーとして決定的な難点があるっちゅーことに気付いてしもうた。気付いたっちゅーよりも、嫌でも気付くって言う方が正しいのかもしれへんけど。

「名無しさんちゃん、明後日からの合宿の事なんやけど。」
「うわ、オサムちゃんや。」
「あのな、」
「す、ストップ!それ以上近付いたらしばきますよ。」
「…………。」

初日にオサムちゃんと話して以来、名無しさんちゃんは常にオサムちゃんから2メートル以上離れとる。挙句に近付いたらしばくなんて言われるもんやから、オサムちゃんは精神的にも身体的にも傷付くのが怖いらしく、きっちり名無しさんちゃんとの距離を保っとるみたいや。なんて、呑気なことを言ってる場合とちゃう。
一生徒と一教師がこの距離なのはしゃーないかもしれへんけど、マネージャーと顧問と部長は連携せなあかん。せやのに何でこないな状況なんやろか。

「名無しさんちゃん、もう少しオサムちゃんと仲良くしてくれへんかな。」
「何でです?」
「部活の立場上、マネージャーと顧問と部長は協力し合って、」
「ほな、蔵ノ介先輩があたしとオサムちゃんの間に立てばえぇやないですか。」

眉間に皺を寄せる名無しさんちゃんの矛先は、気付けばオサムちゃんから俺に変わっとって。当のオサムちゃんは、どこかに消えてしまった。きっと、また煙草を吸いに行ったんやろうけど。懲りないやっちゃ。挙句、名無しさんちゃんもどこかに行こうとしとるし。
咄嗟に腕を引っ張れば、よろめいた名無しさんちゃんが俺の元に倒れ込んできた。それをしっかりと支えて、俺は名無しさんちゃんに向かって笑う。せめて、俺が名無しさんちゃんと仲良くせなあかん。

「休憩がてら、合宿の話でもしよか。」
「……オサムちゃんが居らんなら。」
「どうせそう言うやろうと思うたから、呼ばへんつもりやったで。」
「ありがとうございます。」

言って、ニコリと笑う名無しさんちゃんを見ながら、笑った方が可愛いのになぁなんて思う。けれど、言ったところで変な人やと思われそうやから、何も言わずにただ笑い返した。

部室に入ってからの第一声は、いつも通り。「麦茶とスポドリあるけど、どっちがえぇ?」なんて、よくよく考えたら新婚みたいや。……て、何で今思ってしもうたんやろう。お風呂とご飯、どっちにする?とかそないなボケの空気でもないし、かと言って一度考え出すとなかなか頭から離れへんのも事実。
名無しさんちゃんと部室で2人きりやっちゅーのに、何考えてんねん、俺。

「……蔵ノ介先輩?急に顔赤くなりましたけど、何かありました?暑いんやったら窓開けますよ。」
「い、いや!えぇねん!別に何もないし!」
「そうですか。あ、麦茶で。」
「あ、おん、麦茶な。」

雑念を取り払うべく、必死に他のことに頭を使おうとするが、これといって深く考えるようなことが思い浮かばない。とにかく話し始めようと思っても、まず何から話すつもりやったんやろ、なんて。アホか、俺。別に、名無しさんちゃんに恋しとるわけちゃうし、そこまでムッツリなわけともちゃう。俺はただ、名無しさんちゃんが可愛ぇなぁって。
……アホか、俺。

「蔵ノ介先輩って、優しいですよね。」
「な、何やねん、急に!」
「さっきのオサムちゃんとのことも、今の飲み物のことも、優しい人やないと気付かへんことやないですか。」

お茶を少しずつ口に入れながら、名無しさんちゃんはポツリポツリと話す。さっきから今までの間に、名無しさんちゃんの心境にどないな変化があったんかはわからへんけど、何かが変わったことは確かやった。とりあえず「おおきに」と返せば、名無しさんちゃんは不意に俺を見つめて、それから深呼吸。まるでこれから死刑宣告されるんちゃうかっちゅーくらい重くなった空気とは裏腹に、名無しさんちゃんのその声は明るく響いた。意図的に、明るくしたっちゅー方が確かかもしれへんけど。

「やっぱりあたし、蔵ノ介先輩には話すことにします。」



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