君の代わりに | ナノ



09.


部活に入った次の日に、あたしは廊下で蔵ノ介先輩を見かけて、だけど声を掛けることは出来ずにそのまま立ちすくんだ。昨日の今日で、まるで今まで知っていたかのように挨拶して、蔵ノ介先輩は返してくれるだろうか。それ以前に、あたしの顔を覚えているのだろうか。あたしが人気者の蔵ノ介先輩を知っているのと、人気者の蔵ノ介先輩が一般生徒のあたしを知っているのとでは訳が違う気がする。

「あ、部長やん。」
「……光は、挨拶せぇへんの?」
「は?別にされへんかったらせぇへんし。」

光に聞いたのが間違いだった。そもそも光は挨拶なんてする人じゃないし、今までもずっと一緒に居たけど、用事があったり先輩達に絡まれたりしない限りは話してなかったし。そう考えると、こんな光を温かく受け入れてくれてる先輩達は、みんな本当に優しい人なんだと思う。
気が付けば光をガン見していたらしく「キモい顔でこっち見るな、アホ」と罵声を浴びせられてしまった。

「なぁ、蔵ノ介先輩っていい人?」
「急に何言うとんねん。頭沸いたんとちゃうか?」
「冗談ちゃうねん、光。」
「……別に、俺は嫌いやないで。いい人かどうか聞くっちゅーことは、それなりに確信があるんやろ。」
「おん。」
「部長は、根っからの善人やで。」

表情は嫌々な顔をしているけど、声は本気だと思う。光が人を褒めるのなんて珍しい。だからこそ、あたしは光を信頼できるんだけど。冗談やないっちゅー言葉の意味を光はきっと理解してくれとって。せやから苦い顔をしながらも、あたしの背中を押してくれとる。
本当の善人は、あたしにとって光やで。なんて言ったら、光はどんな顔をするんだろう。きっと照れ隠しに怒るに違いないから、言わないけれど。



蔵ノ介先輩に話すと宣言した途端に、両手が汗ばんできて、ジャージの裾を強く握る。
迷惑やから部活辞めて、と言われればまだいい方だと思う。嫌なのは、同情されることと、泣かれること。あたしの事情を知ったというだけで、あたしのすべてを知るわけじゃないのに。可哀相な子、なんて言葉は散々言われてきた。聞き飽きるくらいに、沢山。

「あたしは、」

もしも、蔵ノ介先輩もそういう人だったらどうしよう。あたしはまた「同情しないで」なんて言って、怒鳴り散らして、泣いて、光に頼るのだろうか。それとも、偽りの笑顔を浮かべて、適当な言葉を並べて、それから光に。光に頼らなくても大丈夫って胸を張って言いたいのに、結局いつも同じことを繰り返す。
そんなことはもう終わりにしたい。終わりにして、早く本当の言葉で伝えたいのに。

「あたし、は、」
「名無しさんちゃん、何かを無理に話そうとしてへんか?」
「っ、」
「悩み事聞く言うた俺が言うのもアレやけど……まぁ、これから話すのが笑い話かもしれへんけど。無理に話すんやったら、俺は聞かへんで。名無しさんちゃんが、ちゃんと話したい、て本気で思った時にまた言いに来ぃ。俺に話したくないことを俺が聞いて、誰が得するん?俺も、名無しさんちゃん自身も、良いことないやろ。わかったら、この話は忘れよか。」

考えれば考えるほどに言葉が出なくなって、苦しくなる。そうすればさっきまで微笑みながらあたしの言葉を待ってくれていたはずの蔵ノ介先輩が、表情を変えてこっちを見据えていた。その顔は、怒りとも取れるし、悲しみとも取れる。それは、話し終えればすぐに消え去ったけれど。
どんなことをしても怒らなかった蔵ノ介先輩が、こんなことで、あたしの為だけに怒ってくれるなんてことは全く想像できなかった。あたしの為に説教するなんて、それこそ蔵ノ介先輩の得にはならないことなのに。「根っからの善人」という光の言葉が、頭の中で木霊している。

「蔵ノ介先輩、すいません。」
「何で謝るん。別に名無しさんちゃんは悪いことしてへんで。」
「……言いたいって気持ちはほんまやのに、どうしても言えなくて、やけど言いたいんです。この間、あたしと光が喧嘩したのも、ほんまは隠さんと言いたいんです。けど、怖いっちゅー気持ちもあって。ゆっくり、しか、話せないですけど、本当に本当に聞いてほしいんです。」
「ほな、ゆっくりでえぇから、聞かせてくれへんかな。」
「……はい。」

(20120817.闇風光凛)


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