雨のち、 | ナノ



HEART


「裕次郎、話がある。」

一週間くらい経った頃、あたしは木手に話すのをやめて、裕次郎に話を持ちかけた。とりあえず仲間を増やそうという凛の提案に乗って、まずは一番話をわかってくれそうな裕次郎から。
と思ってレギュラーのみんなに話を持ちかけてみたものの、そもそも木手に逆らえるような人間が部内に存在しない。凛も、世界一嫌いなゴーヤーを出されては、どうしても怯んでしまう。

「わん、まともに副部長の仕事してねーらんから……」
「確かに、誰も副部長だと思ってなさそうだけど。」
「う…わ、わったさん……。」

そうやって過ごしているうちに地区大会の時期になったけれど、あたし達の状況はずっと変わらず、例の戦法を続けていた。
みんなの、全国制覇という強い夢は知っている。その為に、部員達の為に、木手がこの手段を選んだこともわかった。だからそれに気づいてしまった以上、悔しいけど、木手のすべてを否定することはできない。

「木手、」
「俺は少なくとも、仲間を犠牲にする気はありません。」
「あたしは、そういうテニス、もうしたくないさぁ。」
「……“もう”?」

部員達の練習を見ながら何となく会話をしていたせいか、あたしはあたし自身が何を口走っているのか理解していなかった。そのせいで、ふと意識を遠くから近くに戻した時に、意外な近さの木手に「ひっ、」と声を零してしまった。
木手の視線が興味を表していることはわかる。けれど、何に対する興味かわからない。それを尋ねれば、当たり前のように彼の表情は、怪訝。

「そういうテニスをもうしたくない、の“もう”とは?」
「あ、あーえっと…」

まさか木手がそんなところに目をつけるなんて、誰が気付くだろう。一番触れられたくないところなのに、こんなにしっかり目を合わせられたら何も答えないわけにもいかない。
そんなギクシャクした空気が流れ始めた時、不意に誰かの大声が聞こえて、あたしと木手はそちらへと視線を向けた。

「凛!だぁ、ちゃーすが!(おい、どうした!)」

声の主は裕次郎で、相手は凛。そんなことはすぐにわかる。けれど、状況が掴めない。
バッグを持って立ち去る凛は、走りこそはしなかったけど、前にあたしがそうしたようにどこかへ行ってしまった。

「甲斐クン、」
「わ、わんじゃねーらん!普通に練習してただけさぁ!」

ギロリと睨む木手に対して、裕次郎は慌てながら手と顔を同時に振る。裕次郎が大声を上げたせいか、みんなの視線も痛い。けれど「みなさんは練習してなさい。」という木手の呼びかけに応じて、みんなはまたいつものように練習を再開した。
裕次郎が言うには、例の戦法の練習をしている最中に、急に凛が打ち返すのをやめたらしい。それからすぐに試合放棄して、今に至る。

「とりあえずわんが探してくるさぁ。」
「……いや、」

裕次郎がラケットを置いて探しに行こうとした、その時。ふと木手は裕次郎を止めて、あたしに目を向けた。言わなくてもわかると思いますけど、なんて表情をしながら言われた言葉に、あたしは「言わなくてもわかってるさぁ。」と返す。
木手に命令されたのは胸糞悪いけれど、凛が心配なことには変わらない。それにしても、木手の口から「行ってきなさい。」なんて言葉が出るとは思わなかった。

「何してるばぁ、りーんちゃんっ!」
「はは、懐かしいやぁ。」
「やっさー。」

どこにいるかなんて、探さなくてもわかった。小さい頃からよく来るこの場所は、いつの間にか自然と足が向かう場所になっていたことが、つい最近、あたし自身によって証明されたから。
後ろから抱きつくように体重をかければ、「重い」なんて失礼なことを言うから、軽く殴ってやった。

「みんな、心配してたさぁ。」
「……名無しさんも?」
「はは、当たり前やっし。」

笑って返したのに、凛が笑わないから、あたしも言葉が出ない。
とりあえず隣に座って、どうすれば良いかと悩んだ末に、凛の頭を撫でる。きっと、照れながら手を払われるだろう。そう思ったけれど、意外にも凛はあたしの手を払うことなく、そのままあたしに体重をかけてきて。まるで、子供みたい。

「ちゃーすがやー?(どうしたの?)」
「…………ぁ…」
「ん?」
「わん、まぶやー…(怖い)」

消え入りそうな声で紡がれたその言葉に、あたしの肩がビクリと跳ねる。凛の口から怖いという言葉を聞くのは、多分初めて。だからこそあたしは、凛が怖いと言うこと自体に恐怖を感じたのかもしれない。
ボールが体に向かって飛んでくると、急に体が動かなくなる。ぶつかるのはわかってるのに、動きたいのに、体が動かなくなって。それで、あの日のことを思い出す。本当は体が動かないことが怖かった。今も、怖い。……怖い。

あたしは何も言えずに、ただただあたしの肩が濡れていくのを感じるだけだった。


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