雨のち、 | ナノ



SPRING


中学3年の春が来た。
今では後輩もたくさん入ってきて、あたしもマネージャーとして頼られている。テニス部の成績も悪くはないと思うし、何より団結力はどこのチームにも負けない自信がある。
凛ちゃんはといえば、中と外が釣り合ってないように思えるけれど、成長した。
学校で一番モテるんじゃないかというくらいにモテるのに、相変わらず誰とも付き合おうとは考えていないらしい。最近は、昔から好きだったダンスを海岸で知らないお兄さんたちとやってるみたいだけど、それだってあたしから見れば踊る場所が変わった程度のこと。
そしてあたし達の距離も、相変わらず、一定。

「名無しさん、ドリンクお願いします。」
「あ、わったさん。ボーっとしてたさぁ。」
「また凛のこと見てるやっし。」
「ち、違う!」

いや、一定というのは語弊があるかもしれない。
あたしは少し、ほんの少しだけ、凛ちゃんが気になっている。というより、気になるように仕組まれている気がしなくもない。その原因の一つに、甲斐裕次郎の存在がある。
武術の関係で、名前をお互いに知っていたことがきっかけで仲良くなり、今ではクラスが一緒なこともあって親友になった。その裕次郎がいつも「付き合えば?」だのなんだの言ってくるから、どうしても意識してしまう。

「裕次郎鬱陶しい!」
「う、鬱陶しい!?そこまで言うことねーらんあんに!」
「名無しさん、放っとけー。裕次郎は名無しさんに構ってほしいだけさぁ。」

ケラケラと笑いながら、凛ちゃんはあたしの腕の中からドリンクを取る。それから少しして、軽くなったボトルが返ってきた。
思えば、あの頃のあたし達からしてみれば、こんな凛ちゃんの姿は夢みたいで。思わず凛ちゃんの体をまじまじと見るあたしに、凛ちゃんは怪訝を向ける。

「……名無しさん、何やが…。」
「逞しくなったやぁと思って。」
「ババァみたいやっし。」
「あん?」
「わ、わったさん…」

睨む、怯む、殴るという一連の動作を終えたあたし達は、ふう、と一つ溜息をついた。
と、同時に、頭の上に違和感。その原因を探るように隣に目を向ければ、それは当たり前のように凛ちゃんへと繋がっている。

「あの頃はまだガキだったあんに。わんがテニスなんか出来ないのに、見栄張ったんが悪かったやぁ。でも、今は違う。わんはちゃんとテニス出来るし、体だってあの頃より強くなってる。」
「ど、どうしたんばぁ?」
「わんはまた、名無しさんとテニスしたいさぁ。」

今更、凛ちゃんの言葉には実はものすごい力が秘められているんじゃないかと思った。昔も今も変わらず、あたしは凛ちゃんの誘いには断れない。それがあたしの悪いところだってことはわかってる。どうせあたしには、断るほどの資格もないけれど。

ラケットを持つのは何年ぶりだっただろう。
久々に持つラケットは、昔よりも少し軽く感じた。打つ時の感覚を覚えているあたしの体に、少しだけ感動。

「な?もう平気やっし。名無しさんも、……わんも。」
「う、ん…」
「だからよー、もう自分ぬこと恨むのやめれー。わんに“名無しさんが好ちゅん”って言うタイミング、逃させてばっかりさぁ。」

自然と、手が止まった。体が動かない。
何で凛ちゃんはそんなに簡単に、まるであたしの気持ちが分かっているかのようにそんなこと言えるんだろう。あたしが泣いたら焦るくせに、あたしを泣かせるようなこと言うなんて。
小さい頃は同じくらいの背格好だったのに、今ではあたしよりずっと大きくて、あたしなんかは簡単に腕の中に収められる。暖かくて心地がよくて、バカみたいに泣けた。それに少しだけ悔しさを感じたのは、あたしだけの秘密だけど。

「あー、名無しさんと凛が抱き合ってるやぁ。」
「甲斐クン、空気読みなさいよ。ほら、練習練習。」
「やしがよー、わんぬラケット、名無しさんが持ってるあんに。」
「………チッ」
「え、何ちわんが舌打ちされるばぁ!?」

裕次郎の騒がしい声が聞こえて、もう少しラケットを持っててやろう、なんて思いながら、あたしは凛ちゃんへと意識を戻した。いつの間にか付けはじめた少し控えめな香水の匂いが、あたしの鼻をくすぐる。ある日突然金髪になった長い髪型が、風でなびいて顔に当たる度にくすぐったい。
そう、くすぐったい。くすぐ、

「ってぁい!」
「っ!?ぬ、何やが!?」
「くしゃ、っくしょん!くしゃみが…!」

懸命に喋ったのに、凛ちゃんがあたしに向けたモノは、怪訝という名の表情だった。
空気ぶち壊してごめん。




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