君にECSTASY | ナノ





「明日から大阪に住むのよ」

耳を疑うというのはこういうことなんだと、今まで生きてきて初めてそう思った。ついさっきまでの普通な感じの会話は何処に消え去ったわけ?急にそんな話持ち込むとか姑息なことってあり?っていうか、あたしの意見を聞くとかそういうのは無いわけ?
なんていう文句が沢山浮かんできたけど、あたしがお母さんに返したのはそんな大量の言葉じゃなくて。「は?」あたしの脳みそは咄嗟に、そのたったの一文字に全ての文句を詰め込んだらしかった。

「名無しさんだけ。」
「ちょっと、」
「お母さんの親友が名無しさんの世話してくれるんだから、迷惑かけないようにね?」

「待ってよ」そう言おうとしたのに、その台詞はいとも簡単にお母さんに遮られて。しかも居候だなんて意味わかんない。何であたし1人?聞きたいこともあったし最後のお別れみたいなのも言おうと思ったけど、そんなのどうでも良い。

「わかった」

お母さんとお父さんの前ではいつも『お利口』で『物分かりのいい子』をやってきた。本心が反抗していても態度では反抗したことがないくらいに、あたしは『お利口』で『物分かりのいい子』だったはず、なのに。
お父さんの仕事の都合だとかで何度転校になっても、文句は言ったけど反抗はしてこなかった。それなのにあたしは結局捨てられる運命なんだな、なんて思うといつもの癖で『お利口』なあたし。

自分の部屋に戻ってすぐに荷物の整理を始められるあたしは、自分でも意外なくらいに切り捨てと切り替えが早いと思う。足りない物があれば後から取りに戻って来れるから、出来る限り最小限に大切な物を段ボールに詰め込んだ。

「あとはこれだけ…、」

1番最後の段ボールの1番上、そこにあたしの1番大切な写真を入れる。あんまりちゃんとした記憶ではないけど、一緒に写ってるのが同い年くらいの優しい男の子だったってことは覚えてる。

『…どないしたん?』
『うぐっ、ころ、ころん、』
『ころんだん?ほな、いたいのいたいのとんでけー!』
『…ふぇ?』

記憶にあるのはそれくらい。だけど、ずっとずっとこの写真を大切にしてきたし、この写真に励まされたことだってあるし。写真の裏に書いてあった『名無しさん5歳』の文字を指でなぞるようにして、一息ついてから段ボールを閉じた。

「大阪、か…」

知らない土地に行くのは誰だって嫌だ、しかも1人で知らない家に居候だなんて。いくらお母さんの親友の家だからって安心出来るわけないでしょ?
泣いてもどうしようもないってわかってるけど、この涙が止まるわけなくて、ただただ溢れ出す一方で。ベッドの上にあるお気に入りのぬいぐるみに抱き着いて、声を殺して泣くのがあたしの精一杯なの。

「お母さんの親友、良い人だといいね。」

ぬいぐるみに向かって会話だなんて情けないけど、こうやって少しでも自分が元気になればそれで十分。出来るだけプラス思考になろうって思った結果がこれなんだから、よくやったよ、あたし。

「今年こそは幸せな1年を送るつもりだったんだけどなぁ…。まぁ、まだ半年くらいしか経ってないけど。」

ごろん、とそのままベッドに寝転がって、ぬいぐるみと会話を続ける。せめてあたしに兄弟が居たらもう少し幸せだったかもしれない。なんて何回願っても無理なことは重々承知なんだけど。
刹那、お母さんが言ったことを思い出した。あんまりちゃんとは聞いてなかったんだけど、確か向こうに3人兄弟が居るとかどうとか…。曖昧な上に正確かどうかはわからないけど、もしかしたら。

「希望を持つのって悪いことじゃないよね!」

ぬいぐるみと会話、じゃなくて自分に言い聞かせるように呟いた。大阪は美味しい食べ物が多いって聞くし、そんなに悪いところじゃないはず!なんて、案外プラス思考派なあたしはわくわくした気持ちで不安とか寂しさを消し去る。

それから大阪のこととかを考えていると眠れなくなっちゃって、遠足前日の小学生みたいなあたしは本当に馬鹿みたい。だけどそれでも良いじゃんって思うあたり、あたしの頭の作りはすごいと思う。



  →きっと、楽しくなる
     そう信じてるの。


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