好きや、それが理由 | ナノ


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教室を出て、俺はとりあえず屋上に向かって頭を冷やすことにした。
名無しさんは今、どないな気持ちやろうか。泣き虫やから、泣いとるんちゃうやろか。いつも一人でいる時間なんて滅多にないから、寂しい思いをしているかもしれない。それならまだいい。もしかしたら俺のことを簡単に割り切って、普通に過ごしてるかもしれない。

「こんなんでお嬢様泣かせてもうたら、執事失格やろな……。」

誰にでもなく、屋上から臨む空白に向かって呟く。
考えれば考えるほど、自分の情けなさに笑えてくる。今まで、名無しさんだけには自分の汚いところを見せないように頑張ってきたつもりだったのに、気付いたら手が出てた。俺の悪い癖だと思う。名無しさんがそういうのを最も嫌ってるのをわかってたのに、必死になりすぎて、何も見えなくて。

「カッコ悪……、」

こんな風に名無しさんと言い争うこともあまり無かったせいか、謝りに行くタイミングすら掴めない。お互いにもう少し頭を冷やすべきだと思う反面、自分が居ない間に名無しさんに何かあったら、そう考えると怖い。今の俺は、何もかもがカッコ悪い。
(やっぱり、まだ会えへん。)
横になって、もう少し頭を冷やそう。


どれくらいの時間が経っただろうか。起きた瞬間に、俺は何とも言えない恐怖心に襲われた。時計の示している時刻は三時。名無しさんの今日の授業が終わるのは……、二時半。帰りの車は、俺が電話しないと来ないようになっとるから、車に乗って帰ることはあり得ない。じゃあ……。

「名無しさん!名無しさん、どこや!」

走って向かった先の教室に、名無しさんの姿はなかった。残っていた生徒に聞けば、鞄を持ってどこかに行ったらしい。まさか、一人で帰るなんて、そんなことを名無しさんが出来るわけがない。名無しさんは(軽度だけど)方向音痴だし、それ以前に家までの道のりを知ってるとは思えないし。
(っちゅーか、靴紐結べへんやろ。)

「上靴のまま外に出たんか……?」

近くに何か所かある公園なら、名無しさんも行けるかもしれない。兎に角、今は走る。俺にできるのはそれだけ。名無しさんが無事なら、俺はどうなっても良いから、名無しさんだけは。


家の近くに、名無しさんのお気に入りの公園がある。よく犬やら猫やらが集まる、野良のたまり場になってるらしいそこは、動物好きの名無しさんが気に入るのも頷けるような場所だった。まさか、ずっと変わらずここがお気に入りだったなんて。
黒猫を抱く少女に話しかければ、黒猫だけがこちらを向いて「にゃー」と鳴いた。

「黒猫は不幸の象徴らしいで。」
「似てたから、つい。」
「似てた?」
「光に。」

俺はこんなに可愛くない。こんなに綺麗な目でもない。不幸の象徴は、コイツなんかじゃなくて、俺。
少女、名無しさんが手を離すと、その黒猫は再び「にゃー」と鳴いて、名無しさんから離れていった。もう泣かせんなよ、そう聞こえたのは、気のせいじゃないと思う。黒猫に説教されてるようじゃ、世話ないけど。

「泣いたやろ。」
「泣いてない。」

ぷい、とそっぽを向いてそう言う名無しさんの顔を強制的にこちらに向ければ、目は充血してるし、目の周りは赤いし、泣いたも同然。だけど俺はあえてそれ以上何も言わずに、小さく溜息だけを零した。それから何も言わずに、持ってきた外靴を出して靴を履かせる。白かったはずの上履きが泥やら何やらで汚れたのを見ると、改めて自分のやったことへの後悔の念が押し寄せて、辛い。




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