世界はときどき僕に優しい | ナノ


恋は意外と身近に落ちている
 

「あー、」
 
 だらしなく口を開けて、だらしなく声を上げた。
 ボーダー本部の屋上は普段あまり人気が少ないこともあり、隠れスポットだったりする。
 勿論、観光でいう隠れスポットではなく、サボったり、一人になったりしたくなった時のスポットだ。
 屋上の柵に腕を預けてぼうっと街並みを見下ろした。
 この後は隊長会議という面倒なものに徴集されていて、暫くランク戦は出来そうにない。夜になれば学生の数は極端に減るから相手をしてくれる人も限局される訳だから、今のうちに戦いたいのに、今日は不完全燃焼と言えただろう。
 
「あー」
 
 もう一度声を上げた。
 次に考えることは鈴谷のことだ。
 出水の紹介で太刀川隊に所属することになった新顔。既に新顔とは言いがたいくらいの活躍ぶりを見せている後輩は俺の脳裏でも不機嫌そうな顔をしていたのだ。
 最近よく、あいつのことを考える。
 出会い頭できれいな顔だちをしていると内心驚いたものだ。そこから内面を知り、悪いやつではないと知って、純粋な興味に惹かれる。
 しかし、出水と鈴谷を比べた時に、自分の中では決定的にナニカが違う、そう感じてしまうのだ。
 心の中に靄がかかる。ここまではっきりしない相手というのも珍しい気がして、らしくもなくぼんやりしながら終わりのない考えにふけるのだ。
 その思考が中断されたのは、普段は誰かと鉢合わせたことのない屋上の扉が開いたことに気付いた時だ。
 ――風間さんかな。しかし、隊長会議はまだ先だ。
 ――迅だろうか。けどあいつは本部に来ていないはず。
 
「え、」
「あ、」
 
 動いた影を見つめていれば、角からぬっと顔を出したのは、私服姿の鈴谷であった。鈴谷の瞳には唖然とする俺が映っていて、俺の瞳には唖然とする彼が映っているのだろう。予想外の客に声を上げれずにいれば、鈴谷は眉間に皺を寄せたのだ。
 もはや癖と言っても過言ではない不機嫌そうな顔を見て、少しだけ、ほんの少しだけ胸が締め付けられる感覚を覚えたのだ。
 思えば、俺が鈴谷と出会ってから今までで、一度も“不機嫌ではない顔”を見たことがなかった。
 不機嫌そうな顔、迷惑そうな顔。鈴谷の表情には必ず負の感情が混ざっていた。
 性格を考えても可笑しくはく、出水ですらあきらめたように接していたのにも関わらず、そんな相手に少しでも“さみしさ”を覚えてしまったのだ。
 自分の感情に内心首をかしげていれば、鈴谷はゆっくりと此方に近づいてきた。上司を前に回れ右をすることが出来なくなったと表現するほうが的確なのかもしれない。
 
「タバコ、吸っていいぞ」
「え、」
「吸いに来たんだろ? 俺は気にしないし誰にも言わないさ」
 
 此処へ来る途中、鈴谷がポケットの中に何かの箱を仕舞い込んだのが視界に飛び込んできた。場所と時間帯を考えても俺の推測は間違えていないだろう。
 そう確信する反面、鈴谷は俺の発言に戸惑いを隠せないようであった。
 一瞬の逡巡を見せたが、ポケットから取り出したのは紙で出来た箱とライター。箱から取り出したタバコを慣れた手つきで加えてライターの火をつける。その一連をぼんやりと目で追った。
 タバコを挟み込む指先がきれいなのがやけに印象として残った。
 
「あんた」
「んあ?」
「変だって言われない? 何も言われなかったのは初めてなんだけど」
 
 タバコを咥えながら話すので煙が上下に揺れる。
 鈴谷から話を振ってきたことにも驚くが、そんな彼が俺自身の話題を出してきたことにも驚いた。
 
「さあ、言われたことないはずだけど」
 
 今までを思い出しても変だと言われたことはなかった。戦闘狂とかはあるかな。
 
「へえ、俺は最初からそう思ってたんだけどな」
 
 タバコを手にすると饒舌になるのか、鈴谷の言葉に目を見開くことになった。
 隣に立つ男に目を向ければ、鈴谷が俺を見ていたことに気付く。その瞳に、先ほどの発言を撤回する気はないように思えて口ごもる。未知で接するのにも手探りであった相手からの唐突な告白に動揺を隠せないでいたのだ。
 
「例えば?」
 
 小さく伝えて、口を閉ざす。視線に映る鈴谷は少し考える素振りを見せて、咥えていたタバコを手に持ち直す。
 
「今みたいにタバコを否定しないことろ。俺に構い倒そうとするところ。いつも“あんた”って呼んでいるのに嫌な顔一つもしないところ。……俺を、あんたの隊に迎え入れたところ」
 
 鈴谷が一つ一つを口にすれば、煙が空に立ち上り、ゆっくりと消える。
 最後の言葉を聞き、改めて彼を見れば、彼は俺から視線を逸らしていた。
 構おうとしていた心情が読まれていたことには驚く他ないが、最後の言葉が鈴谷の、一番の疑問であることをどことなく悟ってしまった。
 俺の隣に居る男は、年下の癖に無愛想で、態度がでかくて、それでいて不器用だ。
 そこまで考えると自然と笑みがこぼれてしまう。
 また一つ、鈴谷の良さを気付いてしまったからだ。
 
「それを言うなら、お前だって十分変だぞ」
「なん」
「だってそうだろ? こんな変なヤツの隊に所属したんだから」
 
 鈴谷の手に持っていたタバコを奪い取って、吹かしてみる。普段は清ましている顔をする鈴谷の慌てたような驚いたような表情は新鮮だ。
 
「離れたいって言われても、離さねえからな。覚えとけ」
 
 タバコを地面に落として足で踏みつぶす。
 声を上げようとする鈴谷の頭を乱雑に撫ぜれば戸惑った表情の中に少しだけ、笑顔を見つけてしまった。
 

恋は意外と身近に落ちている
 

 恋に落ちたほうが負けとよく言うけれど、もし仮にそうであれば、きっと俺は最初から鈴谷に負けているのだろう。
 躊躇いがちに除けられた掌の隙間から見えた鈴谷の表情に、愛おしさを覚えてしまう自分に苦笑いを浮かべてしまう。
 恋の駆け引きは始まったばかりなのに、既に完敗の連続だ。
 
20160713