※映画要素を含みます
※後編あります

 関係が変化すると、行動も変化する。そうはいっても、これは変わりすぎではないでしょうか。
 付き合うことになって次の日にリョータが塾の駐輪場に現れたとき、私は「何か用があったっけ」と首を捻った。正直、この発言をしたときはリョータと付き合ったという実感があまりなかった。リョータは「用がなきゃ来ちゃだめなのかよ」と唇を尖らせて、私から自転車の鍵を奪った。三度目のニケツである。
 
「インハイ終わったのに部活こんなに遅いの?」
「んなわけねーじゃん。朝から練習してんだから。家帰って飯食って風呂入ってから来た」
「え?家からここまで歩いてきたの?」
「おー。食後の運動ってやつ」
「お風呂入ったのに?」
「……いいからはやく乗れよ」 
 
 相変わらずどきどきしながら荷台に座ってリョータの肩に手を置きながら、進みだした自転車の後ろでそういえば昨日手を繋いだんだったと思い出した。いわゆる恋人繋ぎ。用がないのにわざわざ部活終わりに会いに来るというのは、つまり私に会いたいからか。というか昨日からリョータは私の彼氏だった。多分。恥ずかしさのあまり苦しくなった。
 
「……リョータ」
「んーなに」
「リョータ、なんか、なんか……ううう……」
「会話になってねーんだけど」   
 
 リョータが私の彼氏になった。多分だけど。しかも、用もないのに会いに来る。部活終わりで疲れているのに家に帰ってから、わざわざ徒歩で塾まで。私に会うために。
 普段のリョータはまめなほうじゃない。部屋だってキレイじゃないし、食べたあとのお皿だってほったらかしで、カオルさんがよく私のお母さんに愚痴っている。なのに、私のことにはまめなんだ。そう思った結果、リョータってもしかして私のことをものすごく好きなのでは?という結論に至った。
 あのリョータが、私のことを好き。そして、私もリョータが好き。自分から望んで恋人同士になったのに、今までの関係からは考えられない状況についていけなくてリョータの背中に思いっきり頭をぶつけた。
 
「はっ!?やべっ、なにすんだよ!事故んだろ!」
「だって……なんか、なんかさぁ!変!」
「はあ?意味わかんねー。あ、コラ!危ねーって!やめろバカ!」  
「なん、なんか……なんか……!」 
「だからなにがだよ!」
 
 私があまりにも頭を打ち付けるせいでバランスを崩しかけて、リョータが両足をついて自転車を止めた。「んで、なに」と振り向く。眉を寄せているけれど、不機嫌なわけではないようだった。きっとリョータも私ときちんと顔を合わせるのはまだ恥ずかしいのだ。
 
「リョ、リョータさあ」
「なに」
「あのさあ……」
「ん」
「……私の彼氏なの」
 
 好きだとか、付き合おうとか、昨日の私達はそんな言葉を交わしたわけではなかった。だから念のため確認してみると、リョータは「……そのつもりだけど」と唇を尖らせた。
 
「う、うわあ……マジか」
「マジに決まってんだろ。つーか、そっちは」
「そっちって?」
「……オレの彼女ってことでいいの」  
 
 そうか。リョータが私の彼氏ということは、私はリョータの彼女ということなのか。
 
「か、彼女ですね」  
「……ん」
 
 口の端がむずむずする。リョータを見ると目が合って、すぐに逸らされた。「明日もはえーんだろ。とっとと帰んぞ」漕ぎ出された自転車はさっきよりもずっと早いスピードで進んでいく。まるで私の心臓みたい。そっとリョータの背中に頭をくっつける。私達は同化したみたいに同じ速さの鼓動を打っていた。
 
 
 
 「盆休み、学校閉まるから部活休みなんだけど」塾の帰り道、私を家まで送り届けたリョータは、聞いてもいないのに珍しく自分の予定を伝えてきた。私は不思議に思いながら、「そりゃあ、学校もお盆くらいは休まないとねえ」と呑気に答えたら、リョータはため息をついた。
 
「名前って国語できねーだろ。ギョーカン読めよ」
「ぎょーかんって……行間ね。リョータに心配される覚えないんだけど」  
「さっきの。どっか行かねってこと」
「どっかって……え?」
 
 なんだよと言いたげな表情を向けるリョータに、それってデートじゃんと言い出しそうになって口を押さえた。掌の下でニヤける。夏休み中も部活と塾で予定が埋まっている私達は、塾の帰りしか会う時間を作れていなかった。
 初デートにワクワクしながら、どこ行く?と言おうとして、夏期講習のスケジュールが過った。
 
「お盆、ずっと塾だあ……」
「あー……ならしゃーねーな」
 
 受験生に盆も正月もないことはわかっている。今が大事な時期だということも。けれど、これじゃあ付き合ったばかりの彼氏と初デートなんていつになってもできないのではないだろうか。
 がっくりと肩を落としている私を見て、リョータは吹き出すみたいに笑った。
 
「……なんで笑うの」
「なんでもねーって」
「なんでもなくないじゃん。ちょっと、なんなのもう!」
 
 遊べないことを寂しく思っているのは私だけなのか。恥ずかしくなってきてリョータの腕をバシバシと叩く。たいして痛くもないくせに、リョータは「いてえって」と笑う。なんだよもう、私はいつものリョータみたいに唇を尖らせた。
 リョータは眉を上げて、なぜか得意げだ。「残念?」そう聞かれて、私は尖っていた唇を包んで噛んだ。
 
「調子のんな、バカ」 

 そっちが先に好きになったくせに。なんだか私の好きの方が大きいみたいで悔しかった。
 
 休みという休みを満喫した覚えはないうちに夏休みはあっという間に過ぎ去っていった。夏休み中は部活が早く終わるから、という理由でリョータは毎日塾まで迎えに来てくれていた。流石に学校が始まったらそういうわけにもいかずーーもはや迎えに来ていることを否定しなくなったリョータは「別に苦じゃねーけど」と平然と言ってのけるので私は無駄にどきどきさせられたーー私達は夏休み前の生活に戻っていた。
 そんな日が何日か続くと、ふと気付くことがある。私達は学校が違うのに、塾だ部活だで会うことがない。デートの約束もしていない。今まで会えていたのはリョータが時間を作って会いに来てくれていたからだった。
 付き合うまではリョータに会わない日が普通で、会う日がイレギュラーだった。なのに、今じゃ会えないことに対してこんなに悩むなんて自分でも馬鹿だと思う。
 そんなことばかり考えているから、問題を解く手が全く進まない。気持ちを切り替えるために飲もうと思ったオレンジジュースはすでに空になっていた。机に置いた時計は二十三時を過ぎている。声を聞きたいと思ってしまった。
 
「……さすがにだめだよね」
 
 だめだ。だめだめ。だめだって。キッチンに行って麦茶でも飲んで落ち着こう。頭の中は冷静で、私はそれに従ってキッチンに行ったのに、気付けば電話の子機を持って部屋に戻っていた。
 
「いやいやいや、迷惑だって。この時間はマナー違反だって。きっと皆寝てるし。絶対寝てる」
 
 それなのに指先はアンナちゃんから何度もかかってきたことのある番号を押していく。「……アンナちゃんだったら起きてるかも。久々にアンナちゃんと話すのもありだし」誰に言うでもなく言い訳して、発信ボタンを押そうとした瞬間、電話が鳴って、反射で耳に当てた。
 
「は、はいもしもし苗字です!」 
「うおっ!あの、遅くにすみません、リョータなんすけど」
「え?リョータ?」 
「……名前じゃん」
 
 かしこまって損しちまった、とリョータが続ける。「畏まるなんて言葉知ってたの」なんて可愛くないことを言ったのは、照れ隠しに他ならなかった。「バカにすんなよ」電話で聞くリョータの声はいつもよりも低く響いて耳がむず痒い。

「今勉強してんの?」
「部屋で……あー、ゴロゴロしてた。そっちはなにしてんの」 
「ふうん。オレもそんなとこ」
 
 あなたに電話をしようとしていました、なんて言えるはずがなくて、取り繕った言葉通りに床に寝そべる。
 
「明日、塾何時からあんの」 
「ろくじ〜」
 
 ぐうたらしていたように間延びして答える。なんだか滑稽だ。
 
「じゃあそれまでの間会わね」
「部活は?」
「休みんなった」
「……まー、リョータがそんなに会いたいなら会ってもいいけど?」
 
 この前は優位に立たれたから、今回は私が優位に立ってやる。そんな下らないプライドは、「会いたいに決まってんじゃん」という一撃で砕けた。彼氏になってからのリョータは妙に素直で可愛げがあって、私の調子を狂わせる。
 鼻から抜けるような笑いが漏れた。電話で良かったと思う。締まりのない顔を見られずに済むから。
 
「仕方ないなあ、もうっ!」
「声でけーよ」
 
 電話の向こうにいるリョータもきっと同じように笑っているのだろうと思った。
 
 ホームルームを終え、終業のベルが鳴った瞬間私は一目散に駆け出した。後ろから聞こえる「早っ」という声に「また明日!」と振り返りもせずに手を振る。全速力で辿り着いた駅のホーム。普段よりも一本早い電車に飛び乗った。
 今日はいつもの駅では降りなかった。今日の目的地はもう一つ先だからだ。定期の範囲から外れた分の料金を払い、駅から湘北高校まで歩く。下校途中の生徒たちがチラチラと他校の制服で高校に向かって歩いて行く私を見ていたけれど、以前リョータに鍵を持っていった時ほど気にならなかった。むしろ、もう少しでリョータに会えると思うと足が弾んだ。
 
 待ち合わせしている正門に着くとポケットに手を突っ込んで気怠そうに立つリョータがいた。「思ったよりはえーな」制服を着たリョータに会うのは夏休み前以来だ。学校指定服から外れたポロシャツ姿。会えていないのはたった数日だというのに何年も待ちわびたみたいな気持ちになった。
 
「一本早いの乗れたから」
「なに、今日電車?塾どーすんの」 
「歩いてくつもり」 
「なら夜迎え行く」 
 
 その言葉を期待していなかったわけではないというと嘘になる。けれど、せっかくの部活休みの日くらいリョータにはゆっくり自分の時間を過ごしてほしいという気持ちもあって、「別にいいよ。歩き以外にもバスとか、電車でも帰れるし」と手の掛からないイイ女を気取った。
 
「……オレがしたいからすんの」
 
 「それとも、やなの」子どもみたいに唇を尖らせてじとりと私を見る姿を可愛いと思ってしまった。気を抜けば締まりのない顔になってしまうから、唇にぐっと力を入れる。そっぽを向いて、「やなわけじゃ、ないけど」と可愛げなく答えた。イイ女にはまだまだなれそうにもない。
 
「じゃあいいじゃん」  
「……うん」 
 
 リョータの小指が私の小指に触れて、そっと私の手を握った。付き合った日以来のことだった。こんなに神経が通っていたのかと驚くほど、私の手はリョータの手の大きさや体温、肌の感覚を感じてこそばゆかった。
 リョータの緊張は手のひらを通して私に伝わっているのに、「で、今からどこ行く?」とそれを表には出さないリョータの器用っぷりがおかしくて、可愛かった。参ったな、私はよっぽどリョータに惚れ込んでしまっているらしい。
 
 無計画だった私たちは、結局近場のファストフードで過ごすことを選んだ。テーブル席が空いていなくてカウンター席の端に座った。簡単な食事をとりながら会話を重ねていくなかで、驚くことがいくつかあった。なんと、リョータは部活のキャプテンになったのだ。それに、国体にも選ばれたという。
 
「すごいじゃん!もっと早く教えてよ!」 
「別に、聞かれなかったし。名前あんまバスケ興味ねーじゃん」
「興味ないっていうか、リョータが話したがらないから聞かなかっただけだけどなあ。練習してるとことか見てたらよく怒ったじゃん」 
「それは誰かさんがいっつも比べてたからだろ」
 
 リョータは不貞腐れたようにそう言ってストローを啜った。トレーにはミルクとガムシロップが手つかずで転がっている。実は驚いたことのひとつにリョータがブラックコーヒーを飲めることも含まれていたけれど、今はそれを口にすべきタイミングじゃないので黙っておいた。
 
「比べるって。私、比べるほどバスケ詳しくないし。ソーちゃんとリョータがしてたのを見たことしか……ちょ、ちょっと待って、もしかして」
「……やっぱ今のナシ」 
 
 確かに、ソーちゃんラブな小学生の私は何かと突っかかってくるリョータをうざったく思っていた。リョータが意地悪なことを言うので、言い返したりすることもあった。そんなやりとりの中で、もしかしたらリョータが言うようにソーちゃんと比較するようなことを言ったのかもしれない。私の記憶には全く残っていないけれど。
 
「ナシっつっただろ。バカ、笑うな」 
「だって、リョータ……ふふ、よく覚えてないけどごめんね?」 
「あーくそ、言うんじゃなかった」
「今度練習見に行っていい?誰かと比べたりしないからさ」
「……好きにすれば」   
 
 リョータは苦虫を噛み潰したような顔をしてコーヒーを飲んだ。照れ隠しに違いなかった。それがまたおかしくて、「コーヒー苦い?」とからかう。リョータはやけくそ気味に「ちょーにげー」と言ってずずず、と音を立ててストローを吸った。
 
 店から塾までのそう遠くない距離を私たちは手を繋いで歩いた。塾についたころ、同じ塾に通うクラスメイトに出会った。「あ、苗字さん」去年ファミレスで勉強会をしていたときの感じが悪い印象が残っているのか、隣に立つリョータは眉を歪めて露骨に嫌そうな顔をしていた。こういうときこそ涼しい顔をしておいてくれたらいいのに。
 さすがにクラスメイトに手を繋いでいるところを見られるのは恥ずかしくて、絡んだ指を外そうとしたのに外せない。「ちょ、ちょっとリョータ」小声で抗議してもリョータは聞こえないふりでむしろ握る手に力が入った。
 
「もしかして、彼氏……?」
 
 この人にこの質問をされるのは二度目だ。頷こうとしたら、繋いでいる手を見せつけるように振ったリョータが「見てわかんねー?」とふてぶてしく言い放った。挑発的な物言いに思わずリョータを肘で小突く。
 またもやリョータに威嚇されてしまった不憫な彼は、「邪魔してごめん」と言うと先に塾へ入っていった。もう、とリョータを睨みあげると、リョータも不機嫌そうに唇を突き出していた。
 
「あいつ、塾も同じなのかよ」
「あいつって。三年なんだから一応あんたより先輩」
「……一年しか変わんねーし」
 
 たった一年しか変わらないのは三年生の私と二年生のリョータも同じ。受験生の私とそうじゃないリョータにとってこの一年の差は大きくて、だからなかなか会える時間が作れない。たった一年とはいえ、侮れない一年なのだ。
 はあ、とため息をついたリョータは「んじゃ、頑張って」と言って私の手を離した。空っぽになった手にはまだリョータの手の感覚が残っていて名残惜しい。「うん」早くこの受験勉強から開放されたいと思いながらリョータと別れた。
   
 早くリョータと会いたいと思っているからか今日の授業はやけに遅く感じた。ちらちらと時計を見ながら終わりの時間を計って、授業が終わった瞬間、学校のときみたいに走りだそうとした私を「苗字さん」と誰かが呼びかけた。クラスメイトの彼だ。
 
「ごめん、急いでて」
「さっきの彼氏?」 
「うん。多分もう待ってるはずだから」 
 
 要件があるなら手短にして欲しいと思いながらドアに手をかけていると、彼は視線を落として、「付き合う人、ちゃんと選んだほうがいいよ」と言った。
 
「あんな見た目して、怖そうだし。釣り合ってないよ」
「あー……確かに見た目ちょっと怖いかもね」
 
 私とリョータの並びが釣り合っていないように見えるのはそりゃそうだろう。傍目からすれば不良と真面目っ子だ。リョータが見た目で判断されるのは本人だって慣れっこだろうし、素行がいいとは言えないので彼の言っていることを否定するつもりはない。
 けれど、選んだのは私じゃない。手を打とうと妥協案に逃げた私を本命にしてくれたのは他でもない、リョータだ。「でもさ、選んでもらったの、私の方だから。じゃあね」ぽかんと口を開けた彼を尻目に私は教室を後にした。 
 
 塾の玄関では私服のリョータが手をポケットに入れたまま立っていた。デジャブだな、と今日の放課後のことを思い出して笑っていると、私に気づいたリョータが「来たなら声かけろよ」と呆れていた。
 
「ん、鞄貸して」
「鞄?はい」
「おっも!なに入ってんだよこれ」
「今日学校から直で来たから、学校のと塾の参考書。ていうか、リョータ自転車じゃないの?」
「久々に乗ろうとしたらパンクしてた」
「事故するまでバイクばっか乗ってたからねえ」
 
 まるで持つことが当たり前みたいに私の鞄を肩にかけたリョータに「自分で持つよ」と言ったけれど「意味わかんねーほど重てえからこれで筋トレするわ」と返され、そのまま「ん」と私に手のひらを見せた。言いたいことはわかったけれどアピールされると恥ずかしいものである。目を合わせると、「名前ちゃんお手てつーなぎーましょ」とリョータが眉を上げて茶化すので、その手を叩いてやったら、そのまま捕まえられた。不覚だ。
 
「バイクあったら移動範囲広がんのになー」 
「リョータは二度とバイク乗らないほうがいいよ。また事故ったらカオルさんとアンナちゃん泣いちゃう」
「名前ちゃんもまた泣いちゃうもんね?」
 
 まださっきの茶化されたことに対して羞恥が残っているのに、重ねてにやけ笑いでフザケてきたのに腹が立って繋いだ手に思いっきり爪を立てた。
 
「いてっ!ちょっ、冗談だろ!」
「言っていい冗談とだめな冗談があるでしょ!つーかあんときリョータも泣いてたからね!」
「はあ?泣いてねーし」

 塾から家まで、歩いて帰るには遠い道のりだというのに、今日ばっかりはこの遠さが有り難かった。リョータと長く一緒にいられるから。だというのに、くだらない話や口喧嘩をしているとあっという間に家についていた。塾の授業はあんなに長く感じたのに。
 
「送ってくれてありがと」
「おー。今からまた勉強すんの?」
「うん。ちょっとだけね」
「すげーな。尊敬するわ」
 
 繋いでいた手を離して、家の玄関の前でリョータから鞄を受け取った。
 
「でしょ?来年はリョータも頑張んなよ」 
「金かかるし大学あんま行く気ねーけど……推薦来たら考えよっかな」
「推薦ってどれくらいの成績でくんの?」
「わかんねーけど。インハイとか選抜とかそれなりに勝たなきゃだめだろ」
「ふーん。インハイ、来年なら見に行けたのにな。来年も行ってよ、広島」
「簡単に言うなよ。来年は広島じゃねーし、多分」
「そーなの?試合、見てみたかったなあ」 
 
 バスケの推薦はどの程度の成績でくるのだろう。もし推薦が来なかったら、来年の今頃は頭を抱えるリョータに私は勉強を教えているのかもしれない。
 
「試合見るだけなら来年まで待たなくていーじゃん。今度の土曜、練習試合あるし」
 
 まさかリョータから試合に誘われるとは思っていなくて目を瞬かせる。「……ま、塾だろうけど」とリョータは素っ気なく話を終わらせようとしたけれど、私はこのチャンスを逃したくなかった。
 
「……サボっちゃおうかな」
「いーのかよ」
「まあ、たまには?リョータのかっこ悪いとこ見に行こっと」
「かっこよすぎるとこの間違いだろ」
「自意識過剰だなあ」
「あっそ。はー、そろそろ帰るわ」  
 
 本当はいつまでもここでこうして立ち話をしたいのに、そういうわけにはいかない。時間は有限だ。会話が途切れたタイミングで「じゃあ、おやすみ」と胸の前で手を振るとその手を掴まれた。

「どうし、っ」
 
 掠めるみたいに一瞬の出来事だった。理解が追いつかなくて呆然とする私と合わさった目をすぐに逸したリョータは、「おやすみ」と呟いて背を向けた。初めてのキスだった。 
 家に帰って私がまず向かったのは洗面所だった。バタバタと廊下を駆け抜ける私を「走らない!こら、名前聞いてるの!」とお母さんが叱りつけたけれど返事をする余裕もなかった。鏡に映った自分の顔は驚くほど真っ赤で、唇をそっと指でなぞった。一瞬すぎて感触なんかわからなかった。それなのに、透明の何かがくっついているみたいにボヤケた感覚があった。
 そこからは勉強どころじゃなかった。問題集を広げても文字を追うだけで頭に入ってこないし、気を紛らわせようと飲んだ麦茶に唇をつけるとすべての感覚がそこに持っていかれた。お風呂を入ってる間も歯を磨いている間も布団に入った後だって私の頭にはリョータとのキスで埋め尽くされていた。
 それは翌日にも続いていて、私は初めて学校を遅刻したし、初めて提出物を出し損なった。授業で当てられても友達に呼び掛けられても上の空で「苗字!聞いているのか!」「名前?ちょっと無視しないでよ!」と皆に怒られた。塾で行われたテストも全然出来なくて、過去最低点を大幅に更新してしまった。
 いくら思春期真っ盛りだといっても、これじゃあ煩悩の塊だ。そうわかっているのに、リョータのむっと突き出した唇が浮かんできてしまう。
 
「このままじゃだめだよ……」 
 
 勉強机に広がるノートにはみみずが這ったような文字。今夜も勉強は捗らなさそう。土曜日が楽しみなのに、なんだか嫌な予感がした。
 
 
後編へつづく

2023.2.11

  back
×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -