気になってなかった訳じゃない。

真新しい制服に身を包んだ後ろ姿を、何度無意識に、目で追ったか分からない。
初めて教室で会った時の、自分を見る彼女の瞳を、一度だって忘れた事は無い。

せっかく気付かないふりをしていたのに。



―そばに居たい…



お前が、全てを台無しにしたんだよ。










矛盾する気持ち










桂や高杉が入学してから二ヶ月が経過し、皆高校生活にはすっかり慣れた様子だ。
桂の近くの席の女子生徒の話題は、恋の話で持ちきりになっている。同じクラスの誰々が気になるとか、あのクラスの誰々がかっこいいとか、そんな話。
桂にとっては、それらは特に興味の無いものであった。

そう、気になるのはただ一人。



「おー、てめぇら席に着けー。授業始めんぞー。」



今日も、楽しみにしていた時間が始まる。










坂田が教室から去った後、先程の女子生徒達が、また集まって話し始めた。
桂は大して気にも留めなかったが。



「ねぇ、坂田先生って実はカッコいいよね。」



一人の女子生徒の口から出された名前に、教科書を仕舞っていた桂の手が止まる。

「わかる〜!最初は何かルーズ過ぎてあんまり思わなかったけど、実は顔立ち整ってるよね。」

何を今更、と桂は思う。
自分は一目見た時から、ずっと坂田の顔が頭から離れないというのに。

「この高校の先生っておっさんかおじいちゃんが多いからさ、やっぱ目立つよね〜。」

「私狙っちゃおっかな♪」

えー何言ってんのー、と他の女子生徒達は笑う。

恐らく冗談だったのだろうが、桂は何だか居たたまれなくなり、立ち上がって足早に教室を出た。





「はぁ…」

特に用も無いのに廊下に出た事を後悔した。
高杉の元へ向かったが、彼女は教室に居なかったため、行くところが無かった。
だが、どうしてもあの場に戻る気にはなれなかった。

(俺だけじゃ、ないんだな…)

心臓がきゅうっと締め付けられる様だった。とても、とても苦しい。



もし、先生が俺の知らない誰かと恋仲になってしまったら―…



そんなのは耐えられない、と桂は思った。

多くは求めない。少しでもそばに居られれば、それでいい。

そう思っていたはずなのに、何たる矛盾だろう。





いつの間にか、職員室の前を歩いていた。それに気付いて、ふと思う。

(ちょっとだけ、覗いていこうかな…)

坂田の顔が見たかった。見れば、この胸の痛みも、少しは治まるような気がした。

近くの扉に手を掛けようとした時、反対側の扉ががらりと開く。反射的にそちらを見ると、そこには頭を掻きながら出てくる坂田の姿。



心臓の鼓動が、とくとく、と速くなる。

目を離す事が、出来ない。



そのまま目を逸らせずにいると、坂田は視線に気付いたのか、桂の方に振り向いた。
瞬間、桂の心臓は跳ね上がる。
坂田はそのまま歩みを進め、桂に近付いてきた。

(ど…どうしよう…)



こっちに来て欲しくない。
この心臓の鼓動が、先生に伝わってしまうかもしれない。

こっちに来て欲しい。
先生の体温を、少しでも感じられるかも知れない。



矛盾した気持ちに混乱し、桂は俯いてしまう。
坂田は、桂の前で足を止めた。桂は坂田の履くサンダルを、ひたすら見つめるしかなかった。

「どうしたの?」

程良く低い声が聞こえる。



あぁ、先生の声だ。



桂は胸の辺りがほぅっと温かくなるのを感じた。

「何か、悩み事?」

答えない桂に、坂田はまた尋ねる。桂はやはり俯いたまま、何も答える事が出来ない。
坂田がふぅ、と小さな溜め息をついた。

呆れているのだろうか。何も答えず、ただ俯いている自分に。



何か言わなければ。

先生に呆れられてしまう。

先生に、嫌われてしまう。



思えば思うほど、言葉は出てきてくれない。情けない自分に、涙が出そうになった。



「俺は悩んでるよ。」



坂田の意外な言葉に驚き、桂は顔を上げる。
そこには優しく微笑む坂田の顔。
胸の辺りがきゅうっと締め付けられて、また何も言えなくなる。

「相談に乗ってよ。」

坂田が何を言いたいのかよく分からなくて、桂は首を傾げる。

「放課後、国語科準備室においで。」

言って、坂田は桂の頭を、ぽん、と軽く撫でる。そしてそのまま、桂に背を向け、歩き出した。
桂は、撫でられた部分にそっと手を触れ、去り行く後ろ姿をぼんやりと眺めながら。

「は…ぃ」

きっと坂田には届いていないだろう、小さな小さな返事をした。





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