魔王に捧ぐ硝子の花 | ナノ


 この日、ガノンドロフはリンクが水の神殿のあるハイリア湖に足を踏み入れたのを魔鏡で見届けたのち、久々に一人ハイラル平原へと馬を駆った。平原の一角に潜む反乱分子が何かを企てているとの情報が入ったのだ。小規模な反乱の鎮圧など手下に任せれば済む話なのだが、その日は自らの手で叩き潰したくて仕方がない気分だった。
 盗賊の王として生まれたガノンドロフは幼い頃から殺戮と暴虐の世界に生きてきた。煙と血臭が立ち込め、悲鳴と怒号と断末魔に彩られた戦場は彼の故郷であると言っても過言ではない。トライフォースの力を得て魔王となり、自ら動く必要のなくなった今でも、こうして時折血が騒いで戦場へと足を運ぶのだ。

「――ふん。大したことはなかったな」

 数時間後、首尾よく反乱を片付け終えた彼は血に濡れた剣もそのままに不満げに舌打ちをした。質には元々期待していなかったが、いかんせん数が物足りない。あんなちっぽけな勢力でよくぞ魔王に歯向かおうなどと考えていたものだ。
 戦を好むとはいえ、ガノンドロフの求めているものは強敵との戦闘などではない。圧倒的な力で相手を蹂躙し、奪い尽くす。それこそが彼の欲望を満たすのだ。
 反抗勢力が大きくなるまで待った方が良かったかと思ったものの、後の祭りである。彼は身の内にくすぶる苛立ちをぶつけるかのように、すでに動かない男の体へ無造作に得物を突き立てる。どうせ血や脂でなまくらとなった使いものにならない剣だ。乱暴に扱ったとて気が咎めることはない。
 短く息を吐いて顔を上げた彼の頬に、ぽつりと雨粒が触れた。見上げると、今にも落ちてきそうな鈍色の空が目に映る。空模様から雨足が強くなることを予測したガノンドロフは、城に戻らず雨が止むまで平原でやり過ごすことにした。休息時を狙った反抗勢力の残党に襲われる可能性もあったが、望むところだ。群がる羽虫も払えぬようでは魔王など務まらない。
 ――徐々に雨風が勢いを増し、大地に残された争いの傷跡を洗い流していく。そんな中、彼は黒馬を駆足で走らせていた。少しして平原の端にたどり着いたところで鞍から降りると、そのまま馬の尻を叩いて野に放す。ゲルド馬は賢い。乗り手が世話をせずとも、自分で雨をしのぐ場所を見つけるだろう。もしかするとロンロン牧場辺りでお人好しな父娘が面倒を見る羽目になるかもしれないが、それはガノンドロフの預かり知らぬところである。

「……さて」

 彼は断層に向き直ると、手のひらから凝縮した魔力を放つ。必要以上に土を抉らないよう調節された魔力は、彼の意のままに土壁を穿った。ガノンドロフにとって少し天井が低いのは難点だが、一晩限りの宿にするには十分だろう。少なくとも、砂漠の真っ只中で布を被って野宿をするよりはずっと快適なはずだ。
 ガノンドロフは簡単な魔術を用いて浮遊する光の玉を作り出すと、その明かりを頼りに身を屈めて進んでいく。冷たい風の届かぬ奥まった位置まで来ると、魔法の光を揺らめく炎へと変えて地面近くに浮かべた。
 彼は衣服が汚れるのも構わずその場に腰を下ろし、戦闘を終えてから初めて自分の状態を改めた。体には無論傷ひとつない。守りの魔術を施してあるマントのお陰で、身に纏っている衣服や鎧などにも返り血はほとんど付いていなかった。気になることといえばマントが湿り気を帯びている程度であるが、それも火に当たっている内に乾くだろう。
 洞穴の外から、叩きつけるような雨風の音が聞こえてくる。大分強くなってきたようだ。この分ではほどなく、近年まれに見る大嵐となるだろう。そうなる前に避難できたのは幸運だった。ガノンドロフはふっと息をつくと瞼を下ろし、いつ何が侵入してきても即座に対応できるよう聴覚を研ぎ澄ませる。
 ――それからどれほどの時が経っただろう。外の雨音と火の爆ぜる音に混じって足音が聞こえたのは、水滴のついたマントが乾ききった頃のことだった。




 ぱちり、と炎が爆ぜる。
 ガノンドロフは自分の二の腕に寄りかかって寝入っている女に目を向けた。小柄な上にうつ向いているため頭頂部しか見えないが、さぞかし無防備な顔で眠っているのだろう。こうも安心しきって身を委ねられると、自分の魔王としての威厳を疑いたくなる。
 時の勇者であるリンクがただの子供に過ぎなかった七年前からその旅に付き添っていた女、ナズナ。ガノンドロフは彼女のことを少なからず知っていた。過去幾度かの邂逅のこともあるが、それ以上に近頃は城から魔鏡を通して勇者の動向を観察していることが大きい。特別意識せずとも、常に勇者の傍らにいる彼女の顔は自然と目に入ってくるのだ。
 とはいえ、彼女に関してはこれまで時の勇者の添え物程度の認識でしかなかった。
 大人しく穏やかな目付きと控えめで素朴な所作。ともすれば地味とも取れる真面目そうな外見。脅威となるほど強くもなければ、目立つ活躍をするわけでもない。あえて特徴を上げるとすれば、七年も経つというのに外見がほとんど変わっていない点だろうか。ゲルドの女どもの耳に入れば、血眼になってその若さの秘訣を聞き出そうとするはずだ。
 ともかく、ナズナはともするとその存在を忘れそうになるほど目立たない女である。共に行動するリンクが色々な意味で規格外であることも相まって、彼女の印象は日に日に薄まっていくばかりだった。
 彼は自分に体を預けて眠っている女をじっと見下ろす。
 ――だが、少しばかりその認識を改める必要が出てきたようだ。
 ひとことで言えば、彼女は相当に変わった人物だった。
 ハイラルの支配者たる魔王を前にあまりにも無防備な姿をさらし、敵同士とはとても思えないあっけらかんとした態度で接してくる。落ち着きのある言動からそれなりの知識と教養を兼ね備えた人物かと思えば、ゆるく微笑む唇からぽんぽんと軽口が飛び出してガノンドロフを驚かせる。彼女が真面目なのかふざけているのかは、おっとりとした表情や穏やかな声音のせいでほとんど判別できなかった。
 こちらに対して敵意を抱いていないことは確かだが、何を考えているのかさっぱり掴めない。そんなナズナと共に過ごす時間は、思いがけず心地よいものだった。それこそ、熱を出した彼女に肩を貸すなどという気まぐれを起こす程度には。

「う……」

 熱に浮かされているのか、ナズナが小さく呻いて身じろぎをした。その拍子に身をくるんでいた大きなマントが肩を滑り、弛んだ隙間からわずかに胸の膨らみが覗く。谷間ができるほど大きくはないが、かと言って物足りないほど小さくもない。ほどよい大きさの、実に柔らかそうなモノがそこにあった。
 過去の苦い経験から『女は信用ならぬもの』と常々思っているガノンドロフでも、こうして目の前にあればつい視線が吸い寄せられてしまう。

「……わざとではあるまいな」

 複雑な感情のこもった低い唸り声に、当然返事がくるはずもない。彼はしばしナズナの頭頂部を鋭い目付きでじっと睨んでいたが、やがて諦めたようにため息をついて眠る彼女のもたれかかっている右腕をそっと引き抜いた。重力に従ってぐらりと傾いだ小さな体に腕を回して抱き寄せ、肌蹴て露になりかけている胸元を隠すようにマントを引き上げる。少々乱暴な動作にナズナは再び呻き声を漏らしたが、目を覚ます様子はない。
 彼はもう一度ため息をついた。こうなることを見越して意図的にやったのだとしたら、この女は相当の悪女である。
 小脇に抱えた彼女の体温が、マントの重厚な生地を通してほのかに伝わってくる。奇妙に心地がいいのは、きっと洞の気温が低いからだろう。そう結論付けてガノンドロフは瞼を下ろした。
 ――眠るつもりはない。炎を燃やし続けるために一晩中魔力を制御せねばならないし、ほんの僅かな油断が原因で大きな痛手を負うことも有り得る。故に、自分の懐で眠るナズナに対しても、ガノンドロフは警戒を怠るわけにはいかなかった。




 小鳥の鳴き声が耳に届いた気がして、ガノンドロフは閉ざしていた瞳をにわかに開いた。周囲はすでに、炎がなくてもうっすらと物が見えるほど明るくなっている。雨音も聞こえない。この分では、外はきっと快晴だろう。
 ガノンドロフは小さく息をつく。一晩中気を張り巡らせていたというのに、結局朝まで何も起きることがなかった。何事もないことが一番だと頭では分かっているものの、少々損をした気分である。せめて自分に寄りかかっているこの女が何かしでかしてくれれば少しは楽しめたものを。

「おい、女。いつまで寝ているつもりだ」

 声をかけても反応はない。ガノンドロフは顔をしかめて舌打ちをした。貸しっぱなしのマントを返してもらうためにも、さっさと目を覚まして着替えてもらわねばならないのだが。いっそ無理矢理にでも剥いでしまおうかと考えたその時、ふと彼はあることに気がついた。
 ――ナズナの息がわずかに荒い。もしやと思って彼女の額に手を当てると、かなりの熱を持っていた。昨夜よりもさらに体温が上がっている。よくよく見れば、自分にもたれかかる小さな体も心なしかぐったりとしている。眠っているというよりは、高熱で意識が朦朧としているようだ。
 ガノンドロフはしばらく口を閉ざしたままナズナを見下ろす。この状態の彼女を置いて城へ戻ることもできる。そもそもこの女は勇者側の人間だ。死んだところで一向に問題はないし、さして特別な感慨を抱くわけでもない。――だが。

「……気に食わんな」

 ガノンドロフはしかめ面でそう吐き捨てると、女のやわらかな肢体を、その身をくるんだマントごと抱え上げた。そこらに放ってあった荷物は魔術で浮かび上がらせ、横抱きにした彼女の腹の上に落とす。ナズナは虚ろな意識の中でもその衝撃を感じたのか、眉をしかめて小さく呻く。
 ――情にほだされたわけでも、哀れに思ったわけでもない。そもそも寒さに凍えたナズナに自分の側へ寄ることを許したのは、彼女が何をしてこようと防ぎきれる自信があったからだ。マントを貸し与えたのはくしゃみの音が鬱陶しかっただけで、体に寄りかからせてやったのは単なる気まぐれでしかない。
 良心に依らぬことだとしても、ガノンドロフ自身がナズナに手を差し伸べたという事実には代わりない。だからこそ、彼は彼女を見捨てるという選択を無視した。偶然が重なっただけとはいえ、この自分がここまでしてやったのだ。無駄に死なれるのは気分が悪い。
 身をかがめながら洞穴の外に出たガノンドロフは、目を射るような朝日の眩しさに憎々しげに目を細める。が、次の瞬間その口の端に微かな笑みをのぼらせた。
 金色の朝日が雨上がりの平原をあまねく照らす中、一点だけ浮かび上がる闇のように真っ黒なゲルド馬がこちらに向かって駆けてきていた。





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