魔王に捧ぐ硝子の花 | ナノ


 事の次第をゼルダ姫に説明するのには案の定、大変な苦労を要した。
 何せ、全体的に年齢規制の入る話だ。まともに考えれば、年端もいかない王女を前にその話題をほのめかすことすら許されない。だが天啓にも似た彼女の直感に『ガノンドロフとどうにかなりましたね』などと指摘されれば、打ち明けないわけにはいかなかった。

「それでその、ちょっぴり素直になる薬を飲まされたわけで」
「まあ、大変! ところでそれは自白剤ですか、それとも媚薬の類いですか?」
「……こ、後者、です」
「あら。それで、媚薬に侵されたあなたはどうなったのです?」
「そ、それは――その、えっと」
「もちろん、委細違わず報告してくださいね」

 王女の健全な成長に悪影響を与えないためにも――すでにやや手遅れであるかもしれないが――過激な表現は極力控えなければならない。だというのに、当のゼルダ姫がそれを一切許してくれないのだ。
 誤魔化し方が下手だと即座に切り込み方のエグい突っ込みが入る。曖昧に濁せば直接的な言葉に言い直され、展開をぼかせば詳細を言い当てられ、ならばと過程を飛ばせばそれすらも看破される。
 聡い彼女に嘘は通用しない。ナズナは罪悪感と羞恥心とインパの視線への恐怖にキリキリと胃を痛ませながら、ガノンドロフとの間に起こった出来事を正直に語るしかなかったのだった。

「――そうでしたか。一部始終を聞けなかったことが少しばかり心残りですが、これで良しとしましょう」

 きらきらと興味津々に輝く青い瞳が満足げに閉ざされる。ナズナは心底からほっと安堵して、渇いた舌を潤そうと冷めきってしまった紅茶を飲み干した。
 ――手を引いてくれて助かった。『最中』のあれこれなど、たとえ相手がゼルダでなくとも明かせない。インパと一緒になって全力の抵抗を続けた甲斐があったというものだ。……もっともインパの場合は、ゼルダ姫に聞かせたくないというよりも自分が聞きたくないという動機が勝っていたようだったが。

「ふふ、ですがこれで一安心しました」

 耳をくすぐる心地よい少女の笑い声に、ナズナはティーカップを置いて丸テーブルの向こう側に目を向けた。穏やかにきらめく湖面の瞳が、こちらを見て微笑む。

「一時期は見ていられないほど痛々しかったものですから。取り繕うのも忘れるくらい、追い詰められていたのでしょう?」
「う……」

 慈愛に満ちた眼差しに後ろめたさを覚えて、ナズナは小さく呻く。うまく隠そうと努力はしていたつもりだったが、やはり彼女の眼には筒抜けだったようだ。この分では、全部が丸く収まって浮かれポンチになっていたのも最初からお見通しだったのだろう。なんとも情けない。

「それより、厄介だったのはガノンドロフです」

 ゼルダがさりげなく片手を上げて合図を送ると、インパが音もなくティーポットを取り上げてナズナのカップに温かい紅茶を継ぎ足す。ふわりと漂う湯気に乗って、華やかな香りがナズナの鼻孔をくすぐった。

「あの男、目に見えて機嫌が悪かったもので」
「そんなに?」

 目を瞬かせたナズナに、インパが重々しく頷く。

「ああ。それはもう凄まじい荒れ様でな。練兵場で一度ならず見かけたが、稽古を口実に八つ当たりをされる兵達が気の毒でならなかった」
「そ、その節は大変ご迷惑をおかけしました……」

 ごとん、と重たいポットを置くインパの眉間に渋いしわが寄っている。この様子では、少なからず苦情も上がってきていたのだろう。さもありなん、である。
 全身からにじみ出る殺気を隠すことなく無造作に木槍を振るい、苛立ちのままにハイラル兵を薙ぎ払っていく。そんな暴虐の化身さながらのガノンドロフと相対して、危険を訴えるのは当然だ。インパによると、一時期は悪鬼が目覚めてハイラルを滅ぼしに来たのだと将兵の間でまことしやかに囁かれていたらしい。あながち間違っていないのがまたなんとも言えない。

「まあ、それは置いておきましょう。それでナズナ、その後は? めくるめく愛と官能のお話は? 新たな恋敵の出現は?」

 新しく注いでもらった紅茶に口をつけようとしたナズナは、きらきらと輝きながら話を促すゼルダの瞳に手を下ろし、ここ数日の出来事を思い返す。
 朝は何も起きない。眠気を堪えながら登城し、ガノンドロフが円滑に業務をこなせるように黙々と準備をしているだけだからだ。昼間も何も起きない。ただひたすら与えられた職務をこなし、手透きの時間は短槍の鍛練に励んでいるからだ。夜も何も起きない。お疲れ様でしたの一言を合図に、疲れを翌日に持ち越さないよう一直線に帰宅するからだ。……つまるところ。

「……特に、何も」

 いっそ見事なまでに何もない。明後日の方向を見つめるナズナの答えが意外にすぎたらしく、ゼルダは動揺も露に身を乗り出した。

「そんな、嘘ですよね? 想いの通じあった恋人同士なのです、何もないはずがありません」
「こっ――」

 恋人という呼称にむずかゆいものを覚えて、ナズナは椅子に腰を落ち着け直す。

「嘘なんかつかないって。なんというか、こう、収まるべきところに収まった感じっていうか……」

 元をたどれば、ガノンドロフとナズナは互いの想いに確信が持てなくてもだもだしていただけなのだ。その確証を得たところで、二人の関係に劇的な変化が起こるはずもない。せいぜい互いの行動に疑問を抱かないようになっただとか、不安を抱かなくてもいいようになっただとか、その程度のものである。

「ああ、なんと無味乾燥とした関係なのでしょう……。まさかあの男が、釣った魚に餌をやらない性格だったとは」
「うーん、そういうのじゃないと思うけど」

 ナズナは苦笑しながら肘をつく。どちらかと言うと、そもそも真面目な性分であるナズナの方が公私混同を嫌っているのだ。休憩中ならまだしも、仕事中にそんな気分になれようはずがない。
 ガノンドロフもどうやらこちらと意見を同じくしているらしく、勤務中に向ける眼差しや指示を飛ばす声には甘さなど微塵もない。たとえ情を交わす相手といえど、仕事に妥協は許さない主義なのだろう。相手と価値観が合うというのは実に心地のいいものだ。
 だが、その見解にインパが異論を唱えた。

「いいや、分からぬぞ。相手を手に入れたと確信した時点で満足し、興味を失う男はままいるものだ」
「あはは。まさか、そんなはずは……」

 否定しかけて、ナズナはふと口をつぐんだ。……心当たりがないでもない。だって、ガノンドロフの態度があまりにも変わらなさすぎるのだ。あの夜の営みが夢であったかのようなその淡白さに、ほんのわずかな疑念すら抱かなかったと言えば嘘になる。
 まさかインパの言葉通り、戦利品を得るだけ得てすっかり興味をなくしてしまった、なんてことは――。

「ゼルダ様。ご歓談中、失礼致します」

 嫌な想像に引きつる口元を隠そうとして再びティーカップに手を伸ばしたところで、不意に若い男の声が扉の外からゼルダに呼び掛けた。窓にさっと視線を走らせて危険の有無を確認してから、インパが応対しに向かう。

「ところで、ナズナ」

 お目付け役が離れたその隙を狙って、こちらに身を乗り出したゼルダがそっと耳打ちをする。

「本当は、インパに気を遣って何も言えなかったのではありませんか?」
「……本当に何もないんだってば」
「もう、つまらないこと」

 ぷくっと頬を膨らませる彼女の無邪気な好奇心に、ナズナは穏やかな苦笑を目元に浮かべてティーカップを傾ける。全くもって、厄介な少女である。

「ゼルダ様」

 戻ってきたインパにふと何気なく目を向けたナズナは、その苦みばしった表情にぎくりと肩を強張らせる。内緒話をしていたのがバレたのだろうか。だが彼女はナズナに目もくれずにゼルダの傍らに屈むと、その長い耳に何事か囁きかけた。直後に幼い少女のかんばせにさっと緊迫感が走る。それを目にしたナズナは、ようやく事態を察してゆるくため息をついた。

「インパ。彼を中へ」
「ですが……」
「構いません。あの男がまだ事を起こせないのは、あなたもよく分かっているでしょう?」

 理知的な微笑に反論を封じられたインパは、渋りながらも王女の指示に頭を下げ、扉の外に立っている来客を迎え入れた。
 身を屈めて室内に入ってきた大男の偉容に、ナズナは知らず身を引き締めた。その男――ガノンドロフは、恭しく胸に手を当てながらゼルダの前に膝をつく。その金瞳が、ほんの一瞬だけ咎めるようにナズナに向けられた。どうやら、仕事をほったらかしてお喋りにうつつを抜かしていたことにご立腹らしい。

「王女殿下におかれましては、ご機嫌うるわしゅう」

 真面目くさった態度とは裏腹に、その声音には確かな侮蔑が含まれていた。余人の目がないからか、堅苦しい忠臣の皮は扉の外に脱ぎ捨てて来たらしい。ゼルダが不愉快さを隠そうともせず鼻を鳴らす。

「たったいま地に落ちたところです。それで何用ですか、ガノンドロフ」
「では率直に」

 冷えきった声に動じもせずに、ガノンドロフはおもむろに立ち上がった。ゼルダを見下ろす眼差しは邪魔な羽虫を鬱陶しがるそれにも似て、敬意は欠片も存在しない。……こんな視線を向けられて、ゼルダはよく澄まし顔で相手を見返せるものである。

「我が補佐官が殿下にご迷惑をおかけしていると耳にし、引き取りに参りました」
「あら、それはそれは」

 ころころとゼルダが無邪気に笑う。

「我が恋人、の間違いではなくて?」

 笑みを含んだ指摘にガノンドロフの頬が歪む。憎々しげな視線に睨まれたナズナは、冷や汗を背中に感じながら首を小刻みに横に振った。私は悪くない、という精一杯の主張である。ふと舌打ちする音が耳に届いた気もするが、きっと幻聴だろう。

「話はナズナから聞かせてもらいました。なんでも、口づけのひとつもくれない甲斐性なしにほとほと愛想を尽かしているとか」
「――左様で」

 断じて左様ではない。ナズナはこちらを見据えたまま動かない金の瞳に向かって、全力で首を横に振った。そんな不満は一言たりとも口にしていない。まごうことなき濡れ衣である。
 ナズナの必死の主張が伝わったのかどうか定かではないが、ガノンドロフはふいとナズナから視線を外した。無言の圧力から解放されて一息ついた彼女をよそに、彼はわざとらしいほど丁寧ぶった仕草でゼルダに頭を下げる。

「ご配慮、痛み入ります。ですがそれは、あくまで私めとその女の私的な問題。王女殿下ともあろう方がお気を揉まれる必要はございますまい」
「いいえ。彼女は私の友人です。友人の悩みに力添えをするのは、それほど不自然なことではないでしょう?」

 言外に『首を突っ込むな』と釘を刺したガノンドロフの言葉に臆すことなく、ゼルダは優雅に微笑んでみせた。退去の前にとまだ温かい紅茶の残りを飲み干しながら、ナズナはゼルダを窺い見る。なんだかんだ言って、この王女はこうしてガノンドロフとやり取りしている時が一番生き生きと輝いて見える。

「ということで、あなたがナズナを愛しているという証拠を見せていただけるまで、彼女を返すわけにはいきません」

 うっかり最後の一口を噴き出しそうになった。三人の前で無様をさらすまいと気力で飲み下したナズナは、咳を手のひらに吐き出しつつゼルダに目を向ける。その視線に、ませた少女は可愛らしく片目をつむってみせた。――いや、『これで万事解決ですね』などという顔をされても困る。

「証拠、と仰せか」

 ガノンドロフが嘲笑混じりにゼルダの命令を復唱した。その眼差しが、冷えた金属の色を帯びてナズナを射すくめる。ゼルダとインパが、体を緊張に強張らせる気配がした。
 彼は足を重たげに持ち上げ、重圧をかけるように、ゆったりとした足取りでこちらに歩み寄ってくる。喉をじわりじわりと押し潰されるような圧迫感に耐えきれず、ナズナは椅子を引いて立ち上がった。彼の目的は自分を連れ帰ることだ。それなら、この場を上手く収めるには彼に従うしかない。ゼルダの意向に反することにはなるが、それは後日埋め合わせをすることにしよう。

「ゼルダちゃん、今日は――」

 この場を去ることを詫びるために幼い友人を振り返ったナズナの顎を、ガノンドロフが無造作に掴んだ。強引に上を向かされた彼女は、間近にあったガノンドロフの眼差しに射抜かれて頭が真っ白になる。
 ――唇を塞がれた。そう理解したのは、友人達の息を飲む音を聞いてからだった。
 反射的に突き放そうと腕が持ち上がる。だが残念なことに、その稚拙な抵抗は事前に想定されていたらしい。ガノンドロフは素早くナズナの体を抱きすくめ、その弱々しい動きごと彼女の上半身を封殺した。
 唇から熱を流し込まれる。体の芯から溶かしていく、甘い毒にも似た熱だ。
自分を補食される感覚に恐怖を覚えて、ナズナはきつく目をつむる。……あの夜に彼がくれたのは、荒々しく貪る嵐のような口づけだった。だというのに、こんな、こんな――。
 記憶との落差に戸惑い揺れる心すら、唇と舌にかき回されてぐずぐずに崩れていく。体に力を入れようとも、入れるそばから口を通して奪われてしまう。すでに足の感覚もない。背に回された腕に支えられなければ、きっと立っていられなかっただろう。
 ――このままでは、意志も魂も形をなくして喰らい尽くされてしまう。頭のどこかで遠い警鐘を聞いたような気がしたところで、ナズナはようやく解放された。
 熱く蕩けた唇がじんじんと痺れている。見える世界がにじんでいるのは瞳に膜を張った涙のせいか、それとも意識を失いかけていたからだろうか。ぼんやりとした視界でも、ガノンドロフが愉快そうに頬を歪めてこちらを見下ろしているのが分かる。……なんて性根のねじ曲がった、意地悪そうな顔なのだろう。

「さて――これでよろしいかな?」

 ぼんやりと麻痺していた脳が、一瞬で覚醒した。仰向かされたままの首をほんのわずかに傾けて、ガノンドロフの話しかけた先に恐る恐る目を向ける。
 両手で口元を覆ったゼルダが、耳まで真っ赤に染めながら目を真ん丸に見開いている。そんな姫君の目を塞ごうとして間に合わなかったらしく、インパが中途半端な体制で硬直している。その顔は吐き気を堪えているのかと思うほど真っ青だ。
 ……そうだ。そうだった。今の今まですっかり失念していた。自分達は、二人の面前で事に耽っていたのだ。

「あ、え、うぁ」

 羞恥心にみるみる顔が熱を持っていく。言葉は茹だった頭から蒸発して消えてしまったようで、口からこぼれるのは意味を成さない音ばかり。穴があったら頭から突っ込みたい。崖があったら助走をつけて飛び込みたい。ナズナは混乱で制御のつかなくなった脳の片隅で断言する。――きっとこの瞬間なら、自分は躊躇いなく己が命を断つことができるだろう。

「異論はないようですな。では、私めはこれにて」

 ガノンドロフは呆気に取られて何も言えない二人に向かってにやりと口の端を持ち上げると、ナズナの背を支えていた腕をくびれた腰に固く巻き付ける。そうして宝を奪い去る盗賊のように――あるいは宝冠を取り戻した王のように――颯爽と身を翻すと、沈黙の支配する部屋を立ち去った。




 ようやく感覚の戻ってきた足で、ナズナはガノンドロフの後ろを小走りについていく。目の前を悠然と闊歩するガノンドロフは、仕事中の姿と何ら変わらない。……何を考えているのか分からないのも、いつも通りだ。その背をじとりと見据えていたたナズナは、廊下の石床にふとため息を落とす。

「なにも、子供の前ですることじゃないでしょうに」

 ナズナの口からぽつりとこぼれた恨み言たっぷりの愚痴に、ガノンドロフはわずかに振り返って嘲笑を吐く。

「何を言う。千の言葉や万の花束を贈るより、こちらの方が遥かに手っ取り早い」
「そりゃまあ、そうなんですけど」

 それにしたって、もう少しやり方を考えるべきだろう。まさか彼とのセカンドキスがこんな茶番のために消費されるとはつゆとも思っていなかった。つくづく、女心を踏みにじるのが得意な男である。
 ――そう、セカンドキスだったのだ。ナズナはそっと口元に指を持っていく。……まだ、先程の熱が唇を這っている。
 不意に、ガノンドロフが歩調をゆるめたのに気づく。隣を歩めという無言の指示に、ナズナは首を横に振って余韻を振り払いつつそれに従った。

「それはともかくとして――ナズナ。覚悟はできておるか?」
「か、覚悟、ですか」
「よもや忘れたとは言うまいな」

 ガノンドロフの口から勿体ぶって放たれたその言葉に、ナズナは目を瞬かせて彼を見上げる。彼の機嫌を損ねるようなことなど――した。むしろ心当たりがありすぎて特定できない。記憶をたどりつつ視線を泳がせたナズナを、ガノンドロフは小馬鹿にするように短く笑い飛ばす。

「二度と、その口から『甲斐性なし』などという言葉が出ぬようにしつけてやろう」
「で、ですからあれは――」

 ゼルダちゃんが勝手に。そう主張しようと口を開いた彼女は、視線の先でにやにやと笑うガノンドロフの目に言葉を飲み込む。
 ガノンドロフは決して愚者ではない。現状を粛々と受け入れているナズナがそんな馬鹿げたことを言うはずがないと、最初から理解している。理解してなお、彼はナズナを責めているのだ。――それを、彼女を欲する口実にするために。

「……その。お手柔らかに、お願いします」

 唐突にしおらしくなったナズナの内心を見透かしたのだろう。ガノンドロフは軽く鼻を鳴らすと、無言で足を早めた。置いてけぼりを食らいそうになって、ナズナは慌てて彼に追いすがる。その足取りは、春風と共に駆ける少女のように軽やかだった。




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