魔王に捧ぐ硝子の花 | ナノ


 西日が差し込む仮眠室で、ガノンドロフは仰向けに眠るナズナをじっと見下ろしていた。彼女はガノンドロフが寝台の縁に腰を下ろしているのにも気づかず、すうすうと穏やかな寝息を立てている。
 ――午前中に仮眠室に向かったナズナは、彼がその日の仕事を終えるまで戻ってくることはなかった。あまりの静かさに、もしや窓から逃亡でも図ったかと覗いてみればこれである。どうやら、寝不足だという彼女の言葉は口から出任せではなかったらしい。
 だが、このような時間まで目を覚まさずにいたのは、単に寝不足のみが原因ではないだろう。
 日常の細々とした雑事に加え、近頃のナズナは補佐としての本格的な仕事を任されることも増えた。その上、昼時は槍の訓練までしているのだ。穏やかな微笑みで隠してはいても、やはり疲労は蓄積していたようだ。
 それにしても、とガノンドロフは眉を寄せる。

「伴侶、か。……らしくないことを口にしたものだ」

 彼はこれまでの人生で一度たりとも、伴侶を迎えるならどういう女がいいかなどと考えたことがなかった。そもそも、生きとし生ける全ては己より下にあるべきなのだ。隣に誰かを並び立たせるなど言語道断、自尊心が許さない。
 恐らく、ナズナが自分に向ける思慕の情に触発されて、そのような馬鹿げたことを無意識に考えてしまったのだろう。思い付くままに上げた条件が彼女にぴたりと当てはまっていたのも、たまたま彼女が今現在最も近しい女であるからに違いない。――だが。

「悪くはないかもしれんな」

 条件に照らし合わせるならば、伴侶として今のところナズナ以上の適任はいない。ガノンドロフの目的や本性を初めから承知し、それでいて臆すことなく真っ直ぐに好意を伝えてくる。何事も筋を通そうとする律儀さから見て、彼女が裏切る可能性も薄い。仮初めにでも契りを結べば、ハイラル王から見合い話を持ち込まれることもなくなるだろう。
 見目もそこまで悪くはなく、穏やかで明け透けな性格は好ましいとすら言える。気を張る必要もなく、気軽に軽口を叩き合える存在というのも稀だ。彼女ならば、長く傍に留め置いても障りはない。そう思えるほどには、ガノンドロフは彼女に気を許していた。

「……ふん」

 毒されているな、と思いながらガノンドロフは小さく鼻を鳴らす。深い眠りに就いているナズナをじっと眺めていたガノンドロフは、ふと覚えた既視感に眉を寄せる。
 いつだったか、こうして同じように彼女の寝顔を見下ろしていたような覚えがある。……はっきりとした記憶はない。恐らく彼女の言う七年後とやらの名残だろう。
 七年後の自分と彼女にどのような関わりがあったかは、未だナズナの口から語られたことがない。最早あり得ない未来となったその時代について彼女が話したのは、自分が力のトライフォースを手に魔王として君臨していたことと、勇者と王女に討ち倒されて封印されたことだけだ。感情や主観的な見方を一切排した語り口からは、彼女と『ガノンドロフ』の関係性は欠片も読み取れなかった。
 だが、二人がそれなりに近しい間柄であったことは想像に難くない。そうでなければ、寝顔など覚えにないはずだ。
 ――その『ガノンドロフ』は、どのような目で眠る彼女を見下ろしていたのだろう。
 シーツにしどけなく広がる髪、閉ざされた目蓋を縁取る睫毛、すべらかな頬。行儀よく閉じられた唇から細い首に視線を移したガノンドロフは、身を乗り出して彼女の体に覆い被さる。ぎしりと寝台が大きく軋んだが、ナズナが目を覚ます気配はない。控えめに上下する胸、無防備な薄い腹、力なく投げ出されたやわらかな肢体。
 静かに繰り返す規則的な息遣いを聞きながら、彼は剣呑に目を細める。その男は彼女に触れたのだろうか。そのなだらかな輪郭に、やわらかな肌に、欲を孕んだ指を這わせたことがなかったとは言い切れない。あまつさえ、その体を暴きでもしていたら――。
 ……ならば、奪えばいい。ガノンドロフの内にくすぶる黒い炎がそう囁く。これまでも、欲しいものは全てそうやってこの手に収めてきたのだ。今回も同じように、彼女を掠め取ってしまえばいいのだ。呪いのように彼女に絡み付く、未来という過去の幻影を引きちぎって。
 ――ガノンドロフはナズナの頬に触れる寸前で手を止め、ゆっくりと息を吸いながら体を起こす。そして何も知らず穏やかな寝顔で眠っているナズナを見下ろしながら、不快も露に舌を鳴らした。




 執務机の脇によけてあった資料に、小さな白い手がすっと伸びる。あまりに自然でさりげないその動きを見逃しかけて、ガノンドロフはペンを動かしていた手を硬直させた。書類から顔を上げると、資料を胸に抱いていつものように微笑みを浮かべるナズナと目が合う。彼女は視線がかち合ったことに驚いたように瞬いた後、わずかに笑みを深めた。

「ガノンドロフ様、こちらの資料は片付けておきますね。またご入り用でしたら、その時に仰ってください」
「……ああ」

 短く返答しながら、ガノンドロフは眉を寄せてナズナの微笑をじっと見据える。
 彼女の存在が自分の警戒を呼び起こさなくなって久しい。書類をめくる音、自分に呼び掛ける静かな声、執務室を歩き回る姿――初めはいちいち気に留めていたはずのそれらは、いつの間にかただの日常風景としてガノンドロフの世界に違和感なく溶け込んでしまっていた。そのため、こうして思いも寄らぬほど近くに彼女がいることに気づいて時折ぎょっとすることがある。――それほどまでに自分は彼女に気を許しているのだと、思い知らされるのだ。
 そこまで自然にその存在を受け入れている今だからこそ、ガノンドロフは近頃の彼女の違和感に気づかずにはいられなかった。

「いかがなさいました?」

 こちらの視線を受けて居心地悪そうに顎を引いたナズナは、戸惑いがちに視線を揺らすと小さく首を傾ける。ガノンドロフはその表情の変化をしばらく観察していたが、ふいと目をそらしてペンをペン立てに戻し、机の引き出しを開いた。

「明日の会議に使う資料がここにある。これの要旨をまとめたものを人数分作っておけ」
「承知致しました。えっと……参加者は何人でしたっけ」
「オレを抜いて八人だ」

 ガノンドロフが机から出した分厚い資料の束を見た途端、ナズナがぐっと小さく呻いた。うんざりとした目つきで資料を見下ろした彼女の唇からため息がこぼれる。

「……もっと早くおっしゃってください」
「出来ぬと言うのか?」

 揶揄するように顎を上げれば、彼女はゆるゆると首を横に振ってその口元に薄く笑みを浮かべる。その落ち着いたやわらかな表情は、自分の能力に対する確かな自信の表れだった。

「ご安心ください、ちゃんと間に合わせますよ。それではこちら、お借りしますね」
「――ナズナ」

 紙の束を受け取ろうと伸ばされた腕を、ガノンドロフは無造作に掴む。重たい武器を扱うようになってようやく判別できるようになった薄い筋肉が、その瞬間びくりと強張るのを手の平に感じた。
 驚き見開かれていたナズナの瞳は、ガノンドロフの眼差しに絡め取られて次第に茫洋と溶けていく。その頬はうっすらと染まり、唇は薄く開いて震える吐息をこぼす。彼は資料を机の上にばさりと置くとおもむろに彼女に顔を近づけた。細い腕を捕らえたまま、なだらかなその頬にそっと手を滑らせる。
 ――やはり、抵抗しない。ガノンドロフは眉を寄せると、目を細めて彼女の瞳を見据える。
 そのやわらかい体の弱い部分に指を走らせても、嫌がるように身をよじらせない。遠回しに男女の営みを連想させる言葉をその耳に囁いても、恥じらいの中に非難の色を含ませた目つきでこちらを睨むこともない。近頃のナズナはただ困ったように笑うだけで、従順に素直にガノンドロフの行為を受け入れるのだ。
 心境の変化があったと結論付けるのは簡単だ。だが、どうにも違和感が拭えない。
 腕を軽く引いてやれば、彼女はたやすく体を傾けて自分の胸元に手をついた。わずかに押し返そうとする力を感じるも、それは抵抗とは呼べないほど弱々しい。鼻がつきそうなほど間近で相手の瞳を覗き込めば、その眼差しが戸惑いと恐怖の色を見せてわずかに揺れる。それでもなお、彼女はガノンドロフに強く反発しようとはしなかった。
 ――何やら無性に腹立たしい。ガノンドロフは小さく舌打ちをすると、彼女の頬に添えていた手で薄い肩を掴む。そのまま軽い体をぐるりと回転させて、執務机に上半身を縫い止めた。
 重ねてあった書類や資料がばさばさと崩れ落ち、床に散乱する。ナズナは体を硬直させ、ただ自分の上に覆い被さるガノンドロフを怯えたような眼差しで見つめるばかりだ。
 恐怖を感じたのならば抗えばいい。嫌ならば拒絶の言葉を吐くこともできる。……受け入れると決めたのならば、何故そのような顔をする。

「ガノンさん」

 泣きそうに震える囁きがガノンドロフの耳を撫でる。それは単なる呼び掛け以上の意味を持たず、ただ静かに執務室の空気に溶けていく。募る苛立ちを抑えきれずに、彼はナズナの胸ぐらを掴んで歯を剥いた。

「オレは人形で遊ぶ趣味は持たぬぞ」

 歯の隙間から漏れ出る地の底を這うような怒りに、ナズナは目を大きく見開いて鋭く息を吸う。――少なくとも、思い当たる節があったのだろう。彼女は眉根を下げると、居心地悪そうに軽く目を伏せた。

「……ごめんなさい」

 ガノンドロフは鼻を鳴らすと、ナズナの小さな体を解放した。彼女はゆっくりと体を起こし、視線を俯けたまま頭に手を当てて小さく息をつく。そしてふと床に散乱した書類に目を留め、そのまま数秒固まった。
 ……ゆっくりとこちらを振り返ったナズナの瞳は、久々に非難めいた色を宿していた。何故その目つきをもっと早くにしないのだ。ガノンドロフが睨むように見下ろすと、彼女はその視線をどう取ったのか「分かりましたよ」とため息をつき、命じたわけでもないのに散乱した書類を無言で拾い始めた。
 ガノンドロフは椅子に腰を下ろし、肘置きに頬杖をつく。腰を曲げて黙々と紙を拾い集めるナズナを眺めていたガノンドロフは、俯いたその横顔にふと視線が吸い寄せられる。
 ――全くもって、何を考えているのか分からぬ女だ。悲しみと懊悩がない交ぜになった虚ろな瞳が煩わしくて、彼は相手に聞こえぬ程度に小さく舌打ちをした。……と、不意に部屋の中に魔力がの渦が発生するのを感じ取って、その片眉がぴくりと上がる。
 次の瞬間、床に落ちていた書類がつむじ風に巻き上げられるようにして宙に舞った。驚いたナズナが数歩後じさり、不安をまぎらわせようと執務机の角を掴むのが視界の隅に映る。
 魔力の風は一際強くなるとふたところに収束し、箒に跨がって宙に浮く双子の老婆の姿を形作った。――ガノンドロフの乳母、コウメとコタケである。

「おやおや。この娘が例の『不測の事態』ってヤツかい、コタケさん?」
「そのようですねぇ、コウメさん。それにしてもまた、随分と貧相な娘だことで」

 二人は不気味な笑い声を上げながら部屋の中を旋回し、大きな眼球をぎょろりと動かしてナズナを見下ろす。当の彼女は唇をぎゅっと唇を引き結び、動揺を隠しきれない表情で頭上の二人を見上げている。その瞳がつ、と自分に向けられた。中途半端に下がった眉根から察するに、どうすればよいか判断に困っているらしい。
 貴族の嫌味や唐突な仕事の増加には何食わぬ笑顔で応対できる彼女ではあるが、あまりにも突飛すぎて想定すらしていなかった事態には滅法弱い。今回はさしずめ、扉をノックすらせず唐突に現れた客人と部屋中に撒き散らされてしまった書類、どちらを先に対処すべきか迷っているのだろう。ガノンドロフは軽くため息をつくと、助け船を出すことにした。

「ツインローバ」

 彼は低い声で乳母達に呼び掛け、顎で床に散乱する書類を示す。するとそのわずかな動作で彼が何を言いたいかを汲み取ったらしく、二人は顔を合わせて楽しげに笑った。

「ヒッヒ、これはこれは、悪うございました」

 姉のコウメが手を怪しげにひらめかせれば、紙が再び舞い上がった。あ、とナズナが小さな声を上げる。彼女の拾い上げた数枚もまた、魔力の大きな流れに巻き込まれてその腕の中からすり抜けたのだ。反射的に取り戻そうと伸ばされた指を嘲笑うかのようにかわした書類は部屋の中央で他のものと混ざり、コタケが指で道を示すと順々にガノンドロフの執務机の上に重ねられていく。
 二人がいともたやすく魔力を操るのを呆然と見つめていたナズナは、全てが終わると感嘆のため息をついた。

「すごい。便利……」

 便利とは言うが、これはツインローバの膨大な魔力量と緻密な制御があってこそ為せる高度な業である。恐らく乳母達は、敵の回し者である癖にさも当然のようにガノンドロフの傍に居座っている小娘が気に食わず、警告の意味も含めて実力の差を見せつけようとしたのだろう。もっとも、本人は感心するばかりで全く気づいていないようだが。

「それで、何用だ」

 何もそのためだけにわざわざハイラル城くんだりまで訪れたわけではないだろう。ガノンドロフがいまだに空中に浮いている二人を睥睨すると、彼女達は長いたもとに口元を隠して含みのある笑い声をこもらせる。

「いえ、何やら計画に思わぬ支障が出たとお聞きしたもので」
「心配になって探りを入れれば、なんとガノンドロフ様が一人の女に入れ込んでいるとの噂が流れているではございませんか」
「どんなものかと思って来てみれば――」

 ぎょろりと四つの目玉がナズナに向かい、にたりと細められる。あからさまと言っていいほどの侮蔑の眼差しを、ナズナはただ困ったように微笑んで受け流した。大して堪えていない彼女の様子に、双子の魔女はつまらなそうにふんと鼻を鳴らす。女達の無言の攻防を眉を寄せて眺めていたガノンドロフは、大きく息をついて彼女達の意識をこちらに向けさせる。
 視線を戻したツインローバに、彼は冷ややかな眼差しを浴びせる。

「貴様らは茶化しに来ただけか? ならば早々に立ち去るがいい。帰りの馬車の手配はしてやろう」
「おやまあ! 聞きましたかコタケさん。なんと冷たいお言葉ですこと!」
「アタシらはガノンドロフ様が心配で心配で、老体に鞭打ってここまで来たってのに……」

 あいたたた、とコタケがわざとらしく腰をさするのをコウメが憐れむように支え、ちらちらと視線をこちらに送ってくる。老い先短い乳母をいたわれと全力で訴えかけてきている二人に、ガノンドロフはげんなりとため息をついた。もう後百年はしぶとく生き長らえるつもりの魔女が何を言う。
 と、ナズナが不意にくすくすと笑いだした。双子の老女とガノンドロフのやり取りをよほど滑稽に感じたのだろうか。彼女はしばらくそうしていたかと思うと、笑ってしまったことを詫びるかのように一度頭を下げ、申し訳なさそうにツインローバに向かって小さく首を傾ける。

「遠路はるばる、ようこそいらっしゃいました。ただいまお茶をお出ししますね。差し支えなければ、お好みの茶葉を教えていただきたいのですが――」

 コウメとコタケは微笑むナズナをじっと見据えていたかと思うと、ふと何か悪事でも思いついたかのよう目元ににたりと笑みを作った。

「そうだねぇ、ガノンドロフ様と同じもので構わないよ」
「承知致しました。よろしければ、どうぞこちらに掛けてお待ちください」

 すっかりいつもの調子を取り戻したナズナは、やわらかな仕草で応接テーブルに二人を誘導する。わざとらしいほど年寄りめいた動きで乳母達が長椅子に移動するのを見届けた後、彼女はゆっくりと一礼して退室していった。
 直後、部屋の雰囲気が冷たく硬質なものへと変化する。

「――して、ガノンドロフ様」

 コウメが笑みを消し、背を一層丸めて声を潜めた。

「あの娘、始末はなされないので?」

 それを聞いたガノンドロフは無言で目を細める。やはり、本題はそちらであったらしい。
 ハイラルの傘下に収まった振りをして機を伺い、謀反を起こしてその玉座とトライフォースを奪う。ガノンドロフやゲルド族は十年近く息を潜めて爪を砥ぎ、その時に備えていたのだ。……だが実行目前だったその計画は、ナズナの出現によって頓挫させざるを得なくなった。

「聞けばあの娘、ハイラルの王女と通じているというではありませんか」
「生かしておいても害にしかなりますまい」
「お望みならば、我らが手を加えて従順な駒にすることも可能でございますよ」

 コタケが袖の向こうで忍び笑いをする。老獪な双子の魔女の言葉に、ガノンドロフは眉間のシワをわずかに深めた。
 彼女達の得意とする洗脳は、本人としての人格を保ったままに記憶を改竄したり、価値観だけをそっくりすり替えることのできる高度な術だ。その利点は、術をかけられた本人に自覚症状がない上に維持に使う魔力量が少ないため、他者に気取られにくいところにある。まだ実験段階ではあるが、意識の底に絡み付かせるように念入りに術を施せば、ゼルダ達の裏をかくこともできるかもしれない。
 だが、ガノンドロフは鼻を鳴らしてその提案を一蹴した。

「手出しはならぬ。あれに危害を加えるのは、こちらの首を絞めるも同義だ」

 七年後の未来で何を見てきたのか、ナズナはガノンドロフの使いうるあらゆる手を熟知している。脅迫、暴力、拷問、煽動、冤罪からの制裁――恐らくは洗脳も想定の範囲内だろう。前もって手を打っていないはずがない。万一こちらが彼女に手を出したことが知れては、これまで彼女達が集めてきたガノンドロフの情報が証拠と共にハイラル王に開示されるなどという最悪の事態になりかねない。手綱を握られているようで気に食わないが、ここで慎重に動かなければ全てが水の泡となってしまう。
 こちらは十年待ったのだ。あとほんのわずかな間くらい、堪えることなど造作もない。

「ガノンドロフ様がそうおおせなら、アタシらはそれに従うだけさね」

 コウメとコタケは、笑い声に含みを持たせながら互いに視線を交わらせる。自分が幼かった頃から相も変わらず、何を考えているか読めない乳母達である。ガノンドロフが胡散臭げに眉をしかめたちょうどその時、閉ざされた扉が控えめにノックされた。

「お待たせ致しました」
「おや、随分と早かったねぇ」

 入室してきたナズナが扉を閉めてこちらを振り返る頃には、ツインローバは老獪な魔女から偏屈な老婆の顔に戻っていた。変わり身の早さにガノンドロフは呆れたように小さくため息をつき、ゆったりとした動作でティーカップを客人の前に置くナズナに目をやる。彼女は何も知らない様子で、自分を洗脳しようと画策していた魔女を前に人がよさそうな笑みを浮かべている。

「ちゃんと葉は蒸らしたのかい?」
「はい。そのつもりなのですが……まだまだ未熟者ですので、もし至らない点があればご指南いただけると助かります」

 無難に笑顔で応対しつつトレイをテーブルに置くと、彼女はこちらにやって来てガノンドロフにも湯気の立った紅茶を差し出す。

「はい、ガノンドロフ様もどうぞ。せっかくお母様方がいらっしゃったことですし、この際休憩しちゃいましょう」

 その穏やかな笑みに、ガノンドロフはゆっくりと目を細める。ナズナの視界に入らぬ背後で、コウメがトレイの上に残ったティーカップに何やら粉末を溶かし込んでいるのが目に入ったのだ。ガノンドロフの視線に気づいた彼女は、その人差し指を自分の唇に押し当ててにたりと人を食ったような笑みを浮かべた。
 ガノンドロフの返事のないことを不審に思ったナズナが瞬きをして首をかしげる。彼は「なんでもない」と返すと、何も見なかったことにしてティーカップを持ち上げた。ツインローバが自分の意に反する行動を取らないことは知っている。ナズナの紅茶に混入した薬は、少なくとも彼女の意志や命を脅かすことはない。――そのはずだ。
 双子の魔女に勧められるがままに、ナズナが彼女らの向かいに腰かける。遠慮がちに微笑むその唇がティーカップに触れるのを、ガノンドロフはじっと眺めていた。





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