魔王に捧ぐ硝子の花 | ナノ


 ガノンドロフはハイラル城内の回廊を悠然と闊歩していた。窓の下に見つけた、牛乳箱に隠れている影が不届き者かどうかを確かめるためである。
 仮に職務を怠けて居眠りしている城の者であれば、軽く注意をすれば事足りるだろう。だが真っ昼間に忍び込むような間抜けな侵入者であれば、容赦なく捕らえて衛兵に突き出すつもりでいた。ほんのわずかな功績でも、こうして積み上げておくに越したことはない。
 そうした細々とした気遣いの甲斐もあって、ハイラル王は今やガノンドロフに全幅の信頼を置いていた。目の前にひざまづき、耳障りのよい言葉で忠誠を誓う彼を第一の臣下であると疑いもしない。――その心中に、黒く凶暴な獣が潜んでいるとも知らず。
 通用口の扉を開けて人影の正体を確かめたガノンドロフは、見覚えのあるその姿に軽く目を見張った。
 緑を基調とした衣服に身を包んだ、このハイラルに住むどの種族の特徴も有しない年若い女。日だまりの中積み上げられた木箱に背を預けた彼女は、無防備な顔つきで眠っている。

「この女は――確か、コキリの森の……」

 記憶を辿ろうとしたガノンドロフは、そこで違和感を覚えて眉を寄せた。
 ――以前にも、こんなことがあったような気がする。いつだったか、こうしてこの場所で同じように眠る彼女を起こそうとしていたような。……いや、あり得ない。この女とは、数日前に森の中の小さな集落で出会ったばかりのはずだ。
 先程中庭に見た子供といい、この女といい、何故こうも自分の心がかき乱されるのだろうか。ガノンドロフはかぶりを振り、脳裏にこびりつく既視感を追い払おうとする。

「よかった。来てくれなかったらどうしようかと思いました」

 不意に、穏やかで落ち着いた声が耳朶を打った。はっと我に返った彼の視線の先で、眠っていると思っていたその女が手をついてゆっくりと立ち上がる。
 彼女は服についた砂埃を軽くはたき、おもむろに顔を上げた。こちらを真っ直ぐに見据える瞳と目が合った瞬間、ガノンドロフの頭に鋭い痛みが走る。――見覚えがある。人の内面を見透かすようなその眼差しに、髪に添えられたやわらかなその指に、控えめで温かなその笑みに。

「貴様は……」

 何者だ、と誰何しようとした彼は口をつぐむ。訊ねる必要はない。ガノンドロフはすでに、聞いたはずのない彼女の名を知っていたのだから。
 ……いいや、違う。そのようなことがあり得るわけがない。混乱しつつある思考を強引に引き戻し、彼は微笑む女を睨めつける。
 ――よもや、知らぬ間に精神に作用する術でもかけられたのではあるまいな。疑念と警戒が沸き起こり、徐々に表情が険しくなる。そんなことをする女ではないと彼は『知って』いたが、存在自体があやふやな記憶を当てになどはできない。
 顔をしかめて自分を睨むガノンドロフの様子をどう捉えたか、彼女はふと瞳を揺らすとほんのわずかに首を傾ける。

「七年後のこと、覚えてますか?」

 奇妙な問いかけに、ガノンドロフは眉を寄せる。

「七年後、だと?」
「いえ。分からないならいいんです、それで」

 女は肩をすくめて微笑む。静かなその笑みには、うっすらと寂しげな色が見て取れた。
 ――七年後。妄言としか思えないその言葉に、ガノンドロフを惑わす違和感の答えがあるのだろうか。現実だと思っていたものがじわりじわりと溶かされていく曖昧な感覚の中で、吹けば飛びそうなほど小さな女の存在だけがいやに色鮮やかに映っている。
 二人の間に降りていた沈黙のとばりを破って、彼女は小さく口を開いて微かな吐息を漏らす。その音ですら、ガノンドロフには耳元で囁かれるのと同じくらい鮮明に感じられた。

「ずっと、言い損ねてたことがあるんです。――今言うのも、ちょっと変な感じしますけど」

 両手の指を腹の前で組んだ彼女は少しの間逡巡し、覚悟を決めたように顔を上げる。潤んだ瞳とほんのりと朱に染まった頬が、彼女の緊張の度合いを表している。

「これは宣戦布告でもありますから、しっかり聞いてくださいね」

 その言葉が真剣なものであるのか、それともただ冗談めかしているだけなのか、おっとりとした表情と穏やかな声音のせいでほとんど判別できない。ただ、彼女が自分に嘘をつくつもりでないことだけは、はっきりと『分かって』いた。
 女は軽く息を吸って、組んだその指にぎゅっと力を込める。

「あなたが好きです」

 目を細めてふわりと笑った女の髪を、甘い匂いを孕んだ穏やかな春風がさらっていった。




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