smile! | ナノ

 衝撃の撃墜からほどなくして、乱闘は終わりを告げた。どうやら二分間のタイム制だったらしく、優勝は終了間際でスミレを追い落としたファルコが颯爽とかっ攫っていった。無論、ビリっけつはただ一人撃墜された彼女である。
 格好よく勝利ポーズを決めるファルコを後ろから眺めながら、スミレはネスの真似をして拍手を送る。彼が隣にいて本当に助かった。タイムアップを告げる音声が流れたと思ったら何故かこの殺風景な場所に立っていたものだから、正直なところ混乱していたのだ。
 誰向けなのかも分からないパフォーマンスが終わると、ネスに腕を軽く引かれた。

「お姉さん、こっち」

 スミレは彼に引っ張られるがまま、いつの間にやら背後に出現していた扉に向かう。なかなかに大きな扉だが、どこに続いているのだろう。物理的に考えると扉の向こうも同じ風景が広がっているはずなのだが、スミレはもう目に見えるものを現実的に捉えることを放棄しかけていた。
 ネスが開いた扉を潜った瞬間、シャボン玉のような薄い膜を通り抜けた感触がして、スミレはびくりと肩を跳ね上げて顔に手を触れる。そんな彼女を見上げて、ネスが明るく笑った。

「いま、びっくりした?」
「……うん。びっくり、した」

 驚いたのはそれだけではなかった。扉の向こうに広がっていたのは、先程までのファンタジーな世界観からかけ離れたSFチックな部屋だったのだ。
 広さはおよそ六畳ほどだろうか。向かい側にもうひとつ質素な片開きの扉があり、床や天井は金属的な光沢のある黒い板が打ち付けてある。壁面はスクリーンやら操作盤やらで埋め尽くされており、一番大きな画面にはスミレたちが先程までいた幻想的なステージ――マジカントが映し出されている。

「おい、出口で立ち止まんな」

 背後から唐突にかけられた声に、スミレは小さな悲鳴を上げて飛びずさった。すると、ファルコが不満そうな目付きで扉の向こうの世界からこちらの部屋へと入ってきた。スミレは彼との距離の近さにびくびくしながらそそくさと壁際に寄る。散々追い回されていたせいか、どうしても恐怖が先立ってしまう。

「んなにビビるこたねえだろ」
「す、すいません」
「もう、ファルコが怖がらせてるんでしょ」
「ンだとォ?」

 不良のようにガンを飛ばすファルコに、その眼差しを向けられたわけでもないのにスミレは怯えてほんの少しだけ後ずさる。当のネスは慣れているのか涼しい顔だ。

「ま、いいけどよ。――ああ、そういや自己紹介がまだだったっけな。俺はファルコ・ランバルディ。スターフォックスっつう遊撃隊のエースだ」
「僕はネス。さっきも見たと思うけど、超能力が使えるんだ! それで、お姉さんの名前はなんていうの?」
「私……私は、スミレです」

 流されるままに自己紹介をしてしまう。本当はそんなことよりまず現状を把握するのが先だとは思うのだが、頭の中に浮かぶのは疑問符ばかりでそれをうまく言葉に出すことができない。何もかもが理解の範疇を越えていて、頭の整理が追い付かないのだ。
 不安げな表情の彼女を元気付けるように、ネスがその手を握って晴れやかに笑う。

「それじゃあ、これからよろしくね、スミレ!」
「ま、今日から一緒に暮らすんだ。嫌でもよろしくすることになるだろうな」

 これから? 一緒に、暮らす?

「またそういうこと言う! ごめんねスミレ。ファルコったら、いっつもこうなんだ」
「……えっ?」

 まさかの単語に呆然としていたスミレは、ネスの呼び掛けに反応するのが一拍遅れた。

「あ、いえ、それは構いませんが。あの、一緒に暮らすって、どういう――」
「あぁ? マスターから話は聞いてんだろ」
「えっと……」

 スミレはますます困惑する。話も何も、いつも通りゲームを始めようとしたらいきなりあのステージに立っていたのだ。一瞬のことで、誰かと会おうなどできるはずもない。

「マスター……というのは、その、どなたのことでしょうか」

 おずおずと訊ねると、その問いがあまりにも意外だったらしく、ファルコは目を見開いてスミレを凝視した。どうでもいいが、こうして正面から見られると鋭い嘴で突っつかれそうで非常に怖い。無言で向けられる驚きの眼差しに耐えかねて助けを求める意味でネスに視線を向ければ、彼も同じようにぽかんと口を開けて彼女を見上げている。沈黙が非常に気まずくて、スミレがますます体を縮こませたその時。
 ――バタン!
 向かいにあった部屋の扉が勢いよく開く音に、スミレは小さな悲鳴を上げた。先程から驚くか怯えるかしかしていないような気がするが、そんな小さなことを気にしている場合ではない。
 息せき切って中に飛び込んできたのは、オーバーオールを着た赤い帽子の男だった。男は顔を上げて部屋の様子をざっと確認すると、大きな溜め息と共にがくりと肩を落とす。

「ああ、やっぱり間に合わなかったか」

 スミレは彼を知っていた。無論人間としてではなく、現実にいるはずのないキャラクターとして、だが。
 任天堂の顔と言っても差し支えないほど世界的に有名なキャラクターが目の前で動いて、しかも喋っている。有名人に会えて嬉しいやら、非現実的だとこの出来事を拒絶したいやらで、どんな顔をすればいいのかさっぱり分からない。

「マリオ、そんなに慌ててどうしたの?」
「珍しいな。いつも余裕かましてるお前が焦るなんてよ。ひょっとして、用があるのはこいつか?」

 ファルコが顎をしゃくってスミレを指し示すと、マリオはふう、と一息ついて彼女に向き直った。

「そうだよ。……君がスミレだね」
「は、はい」
「初めまして。僕はマリオ、しがない配管工だ」
「は――初めまして」

 話しかけられて、スミレは思わず居住まいを正した。まさか、あのマリオと会話する機会があるなんて。文字通り住んでいる世界の違う存在に、先程の戦いとは違う意味でどぎまぎする。

「すまないね。急にこんなことになって混乱しているだろう」
「い、いえ」
「君はこの世界に、特別枠のファイターとして招待される予定だったんだ。本来ならその前に、色々な説明を受けたり手続きを踏まないといけないんだけど――」

 彼は申し訳なさそうに眉根を下げる。

「マスターハンドが君を間違っていきなり乱闘のステージに飛ばしてしまったらしくて」
「そう、なんですか?」

 せっかく説明をしてもらったのに悪いが、どうにもピンとこない。そもそも、何故自分がファイターとして招待されることになったのだろう。そこからして意味不明だ。どうせならもっと運動神経のいい人間や社交的な人間を連れて来ればいいものを。

「……マジかよ」

 部屋の脇からファルコの低い声が聞こえた。それに反応したネスが彼を小突く。

「ほら、だから変だって言ったじゃないか」
「うるせぇ! まさかなんも知らずにあそこにいるとは思わねえだろ!」

 小さな声で言い争う二人をマリオが見とがめて腰に手を当てる。

「ファルコ。もしやとは思うけど、無闇やたらと彼女に攻撃を仕掛けたりはしなかっただろうね?」

 ネスがファルコにじとっとした眼差しを送り、ファルコはバツが悪そうに明後日の方向に顔を背ける。その様子でマリオは何が起こったのかを正確に察したらしい。

「ファルコ?」

 マリオに睨まれたファルコは目をそらしたまま、後頭部をぽりぽりとかく。

「あー、その、なんだ。……悪かったな、スミレ」
「いえ、そんな。ファルコさんは悪くないです。気になさらないでください」

 スミレは顔の前で両手を振って笑みを浮かべる。今回は彼女の落ちてきた場所が悪かったのだ。あそこはファイターたちが乱闘を繰り広げるためのステージなのだから、彼がこちらを攻撃するのは当然のことと言える。それを責めるのはお門違いだ。

「なら、いいんだが……。何かあったら言えよ。罪滅ぼしって訳じゃねえが、相談くらいになら乗ってやるぜ」
「あーっ、ずるいよファルコ! スミレ、僕のことも頼りにしていいからね!」
「――お二人とも、ありがとうございます」

 スミレはほっと表情を緩める。自分の置かれている現状すらまだ十分に把握できない中で、彼らのあたたかい言葉はこれ以上なく心強く感じられた。

「それじゃあスミレ、こちらにおいで。マスターに君を呼んでくるように頼まれたんだ」
「は、はい。――では、失礼します」
「うん、また後でね!」
「これっきりにならないことを祈るぜ」

 元気よく手を振るネスと、腕を組みながらこちらに視線を送ってくるファルコ。スミレは両者に軽く会釈をすると、マリオの後に続いて出口を潜った。




 機械仕掛けの部屋を出ると、毛足の短い絨毯の敷いてある長い廊下が目の前に延びていた。廊下の左右には今通ったような扉が幾つか見受けられる。扉にはそれぞれプレートが取り付けられていた。そこに描かれているイラストで、何に使用する部屋かを判別しているようだ。
 物珍しげに見回していると、マリオが歩きながら説明を始めた。

「ここはスマブラ館の一角あるファイティングエリアだよ。その名の通り、乱闘やトレーニングに使うステージに繋がる部屋が集まっているんだ。さっき君たちが使っていた部屋は乱闘ルームVで――っと、その前にこの建物の説明をした方がいいな」

 振り返ったマリオは、スミレがきょとんとしているのを見て取って耳の後ろをかく。

「さっきも言った通り、この建物はスマブラ館と呼ばれていてね。『大乱闘スマッシュブラザーズ』に出場しているファイターはみんなここで生活をしているんだ」
「そうなんですか」
「居住区や共有エリアの他にも、色々な施設があるんだよ。ここのような乱闘に使うエリアに子供たちが遊べるアスレチックルーム、趣味や芸術活動に専念できる場所もある」
「へぇ……ずいぶん広いんですね」

 さすがに五十名近い人が住んでいるだけはある。個性豊かな面々に対応するために様々な工夫をしているらしい。

「マリオ!」

 渡り廊下を抜けて広いホールに出ると、そこで可愛らしい声がマリオを呼んだ。マリオと一緒にそちらを見やると、ピンクのドレスに身を包んだ金髪の女性がこちらに歩いてきた。何があったのか、ぷりぷりと可愛らしく怒っている。

「ピーチ」
「もう、さっきはよくも無視してくれたわね。……って、あら? まあまあ! その子、新しいファイターね?」

 大きな明るいブルーの瞳が動作や声音に合わせてころころと表情を変える。どの表情も底抜けに明るく、彼女が楽天的な性格であることを如実に表している。
 その女性は両手を差し出してにこりと微笑みかけた。

「初めまして。わたくしはピーチよ」
「は、初めまして。スミレと申します」

 マリオと並ぶ有名人の登場にスミレは顔を赤らめ、差し出された手をそっと握る。白い手袋に包まれていても分かる、細くやわらかな女性らしい手だ。

「ふふ、あまり固くならないでいいのよ。ここにいるのはみんないい人だから」
「――はい」

 こちらを安心させるように笑いかける彼女に、スミレはそっと肩の力を抜く。

「ところで、好きな食べ物は何かしら。やっぱり甘いもの? わたくしは紅茶を淹れるのが趣味なのだけれど、よろしければ一緒にいかが? あ、異性の好みも知りたいわね。この館には素敵な男性が多いから、きっとあなたの琴線に触れる人もいると思うの。住む世界の違う者同士が繰り広げるロマンス……本当に素敵! あなたもそう思わない?」
「え、えーっと……」

 気を抜いたところに、怒濤の質問ラッシュである。こういう場合は、まず何から答えればいいのだろうか。最初の質問か、それとも最後の質問か。いや、そもそも回答するためであってもピーチのマシンガントークを遮ることが無理そうだ。戸惑う彼女にマリオが助け船を出した。

「ピーチ、そろそろいいかな。実はこの子を、マスターのところへ連れていかないといけないんだ」
「あら、そうなの? それならそうと早く言いなさいな。さてと、わたくしも歓迎会の準備をしなくっちゃ! それじゃあマリオ、スミレ、ごめんあそばせ」
「は、はい。では……」

 二人の返事を聞こうともせず、ピーチはるんるんとご機嫌なスキップでその場を去っていった。本当に、まるで嵐のような人である。呆然とピーチの去った方向を眺める彼女を気の毒に思ったのか、マリオが気まずそうに頬をかく。

「その、ピーチがすまないね。新しい参戦者が来るといつもこうなんだ」
「いえ。とても素敵な女性だと思います」

 スミレは微笑んで小さく首を傾ける。もちろん、建前などではなくれっきとした本心だ。明るくおちゃめで、他者への興味と行動力に溢れているピーチ。天真爛漫に振る舞う彼女は、いつも周囲に元気を分け与えているに違いない。

「そう言ってもらえると嬉しいよ」

 自分が褒められているわけではないにも関わらず、マリオはそう言って照れ臭そうに笑った。





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